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原付ライダー青春グラフィティ (2)

2.熱狂と混沌の70年代

 本稿で書くつもりの1970年代初頭から1980年代初頭までの約10年間、この時代のバイクとライダーを取り巻く状況について簡単に俯瞰してみよう。

 世界MotoGPでは1970年代前半までに125ccクラス、250ccクラスで日本車が優勝とファクトリータイトルを獲得していたが、1975年に初めて500ccクラスでヤマハ車が優勝、そして1976年にはスズキ車に乗るバリー・シーンが500cc王座に輝き、日本製バイクの速さ・強さは揺るぎないものになりつつあった。事実、その後は2007年シーズンまで日本メーカーによるタイトル独占時代が続くことになった。また1970年代以降は、モトクロス世界選手権でも日本車が圧倒的強さを見せるようになった。日本のバイクメーカーの開発・生産技術が、世界の頂点を極めつつある時代だった。

 これらレーシングバイクの技術は市販車にフィードバックされ、日本の大手メーカーが投入する市販バイクの高性能化、技術革新が急激に進んだ。1970年代には2スト車、4スト車を問わずエンジンの高出力化が進み、電装の12V化進展とCDI点火への移行、ディスクブレーキの普及、モノクロス(プロリンク、ユニトラック)サスの普及など、エンジンの高出力化に見合うべく車体各部の高性能化が進展した。1970年代半ばから各メーカーは、オン車、オフ車、そして小排気量レジャー車カテゴリーで、こぞって高性能バイクを開発し市場に送り込んだ。1970年代後半には原付一種で50種以上の車種が、原付二種で30種以上の車種が同時にラインアップされていた。

 誰もが簡単に異次元のスピードを楽しめる中・大排気量高性能バイクの普及は、逆にそれを操るライダーのモラルを低下させた。関東の大弛峠や箱根、関西の六甲など高速コーナーが続く道路は、日本中のどこもがサーキットと化し、いわゆるローリング族が跋扈した。当然ながら、バイクの事故は多発した。

 さらにメーカー各社は、1975年の免許制度改正に伴って需要が急増した400ccクラスに経営資源を注ぎ込んで、こぞって高性能の400ccスーパースポーツ車群を市場に投入した。加えて急増する初心者ライダー市場のニーズに応えるべく多種多様な小・中排気量車も市場に送り込んだ。1970年代後半頃からは、メーカー間の開発・販売競争がさらに激化した。ライダー人口の増加に伴って、国内の二輪車の市場は拡大の一途を辿っていた。メーカー間の販売競争も熾烈で、とりわけホンダとヤマハは「HY戦争」と呼ばれた激烈な新車開発競争、販売競争を繰り広げた。両社は、特に原付一種50ccバイクの開発とラインアップ拡充に力を注いだ。そして膨大な数の原付ライダーが街に溢れる状況となった

 1970年代の半ばから後半にかけて、バイクとライダーの存在が社会問題化した。依然として暴走族は減らず、各地でローリング族が走り回り、原付に乗る初心者ライダーは増え続け、バイクが絡む交通事故が多発した。加えて騒音問題もクローズアップされ、高性能バイクを謳歌するライダー達はむろん、原付ライダーまでもが社会から白眼視された。その結果、度重なる免許制度の改正(改悪)、バイク通行規制の増加、バイクの出力規制、高校生に対する悪名高い「3ない運動」の蔓延など、ライダーを取り巻く環境は悪化の一途を辿った。

 それにしても、1970年代末頃から始まった「3ない運動」はひどかった。「3ない運動」とは、高校生によるバイク・自動車の運転免許証取得や車両購入、運転を禁止するため、「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」というスローガンを掲げた社会運動である。1980年代に入ると、全国高等学校PTA連合会や一部の県の警察、教育委員会などが中心になり、さらに「自称・良識ある大人」たちが理不尽な規制を声高に叫ぶことで、社会運動として全国に拡大した。一部の都道県の公立高校や私立高校では、無断で運転免許証を取得した生徒に対して、謹慎・停学・退学を含む過酷な処分を実施した。事故や違反の多発については、本来なら若い世代に自動車やバイクの運転に関する交通安全教育を行ってこそ解決する問題であり、こんな理不尽な規制をしても何も建設的な結果を生み出さないのは自明のことであった。

 こうしてライダーへの規制が強まる中でも、バイク人口は増加の一途を辿り、ロードレース、モトクロス、トライアルなどレース参加人口も急増した。初心者向けのミニバイクレースも隆盛を極めた。80年代に入っても、オンロード、オフロード、レジャー、実用車などジャンルを問わず、毎年多種の新車が市場に投入され続け、バイクは売れ続けた。多種多様なチューニングパーツが市販され、改造バイクが走り回った。

 1978年から毎夏に鈴鹿サーキットで開催された4時間、8時間耐久レースには、80年代の最盛期には十万人を超える観客が全国から集まった。全国各地でライダーが集うイベントが頻繁に行われ、どこでも多くの参加者を集めた。バイクとライダーを主人公とするマンガ、小説、映画が数多く出版・公開されてヒットした。
 よくも悪くも、バイクとライダーの存在感が著しく高まった時代であった。

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