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原付ライダー青春グラフィティ (13)

13.法令と規制の変遷を振り返る

 原付というか、自転車に小型のガソリンエンジン(自転車用補助動力)を取り付けたモペット的な乗り物は、日本国内でもかなり古くからあった。ただ戦後しばらくの間は、あくまで自転車の延長線上の乗り物であって「バイク」とは認識されていなかった。当初は自転車と同じ軽車両扱いで運転免許が不要であった。

 原付の区分のバイクが初めて脚光を浴びたのは1953年のことだ。この年にスズキが発売した2スト60ccの2段ギア付き「ダイヤモンドフリー」が、月産6000台を記録した大ヒットモデルとなった。さらに大きな転機となったのは、1958年にホンダが発売した「スーパーカブ」だ。当時から現行機種とほとんど変わらないデザインだったが、これが売れに売れた。スーパーカブがあまりにも売れたために他メーカーからも同様の車種が販売されるようになり(スズキ「スズモペット」やヤマハ「モペットMF」など)、それに合わせて道路交通法も順次改正されていった。正確には、原付二輪車は1952年に14歳以上を対象とする「許可制」(申請すれば誰でも4スト車が90ccまで、2スト60ccまで乗れた)となった後、モペットブームが訪れた1960年の道路交通法施行で16歳以上を対象とする「免許制」となった。

 1960年に公布された道路交通法では、二輪免許はシンプルに「自動二輪免許(排気量制限なし)」と「原動機付自転車免許(~50cc)」の2つの区分に分けられた。昔の軽免許・軽二輪・原付二種所持者が繰り上げで自動二輪(大型自動二輪)を貰えたのはこの時期までである。ちなみにこの頃の自分はまだ小学生になったばかりで、特にバイクに関心などなかった時代だ。その後1963~4年頃だったか、初めてわが家に「マイカー」がやってきたのを覚えている。サラリーマンだった父が初めて購入した車は「ブルーバード410」だった。

 そして1965年からは、普通自動車免許、大型自動車免許では原動機付自転車(50cc以下)しか運転できなくなった。 二輪免許の技能教習と技能試験は、125ccの教習車を用いるように変更された。

 この時代あたりから、後世に残る名車が次々に市販される。1965年には2ストのスズキT20(後のGT250、RG250のルーツ)が、そして翌1966年にはカワサキ650W1(現在のW3のルーツ)と初のトレール車であるヤマハDT-1が、さらに1969年には当時最速を誇った2スト3気筒のカワサキ500SSマッハⅢ、エポックメイキングな初のナナハンであるホンダ750フォア、さらにはスズキのハスラー250が、1970年には4ストバーチカルツインのヤマハ650XS1、初のCDI点火を採用したトレール車のカワサキTR350が、1971年にはスズキの2ストナナハンGT750などの名車が相次いで発売された。市販車の分野でも日本製バイクが名実ともに世界に抜きん出た存在になっていく時期だ。また別章で詳しく書くが、原付一種・二種の小型バイク分野でもスポーツタイプの名車が次々に登場する。

 あらためて書いておくが、乱暴な言い方をすれば、1971年以前は普通免許などを取るとオマケに大型も乗れる自動二輪免許がついてきた(通称「ポツダム免許」)。そのため、二輪経験がなくてもナナハンに乗れて、しかもノーヘルでも乗れるという、実におおらかでいいかげんな時代であった。

 そして1972年の道交法改正により、二輪免許の区分が次のように変更された。同時に自動二輪のヘルメット装着が義務化された。ただし、この時点では原付と小型自動二輪はヘルメット着用が義務化されていない。ちなみに自分が初めて自動二輪免許を取得したのはこの時代で、教習車は1972年に発売された「スズキGT380」だった。

・自動二輪免許(排気量制限なし)
・小型自動二輪免許(~125cc)
・原動機付自転車免許(~50cc)

 さて本稿に多少は関係してくるのが、1975年の道交法改正だ。二輪車の免許区分は次のようになった。

・自動二輪免許(排気量制限なし)
・中型限定自動二輪免許(~400cc)
・小型限定自動二輪免許(~125cc)
・原動機付自転車免許(~50cc)

 この改正によって二輪免許は排気量別分類では現在の免許区分とほぼ同じになった。しかし多くのライダー予備軍にとっては「暗黒の20年間」の始まりになったと言える。排気量制限のない大型バイク免許を教習所で取得することができなくなったからだ。今考えても、何故こんな無意味な改正を行ったのかよくわからない。「大型バイクは事故が多くて危険」という統計的な裏付けなどなかったはずだ。警察、そして社会全体に「バイクは危険な乗り物だから規制を強めるべきだ」という感情的な風潮が芽生え、その風潮に規制する側が乗っかった…に過ぎない。まあ個人的なことを言えば、私のように「重くて大きいバイクは嫌い、小排気量バイクが大好き」という人間にとっては、各メーカーが売れる400cc以下のバイクに経営資源を注ぎ込み、その結果中・小排気量バイクの多様化と高性能化が一気に進んだことはむしろ歓迎すべきことでもあったのだけれど…。

 この時の改正で、原付一種(50cc以下)を除く全ての二輪車にヘルメット着用が義務化された(政令指定道路区間という条件付き)。

 そして「暗黒の20年間」が過ぎて後、1995年に次のように道路交通法が改正され、やっと大型自動二輪免許が教習所で取得できるようなる。

・大型自動二輪免許(排気量制限なし)
・普通自動二輪免許(~400cc)
・小型限定普通自動二輪免許(~125cc)
・原動機付自転車免許(~50cc)

 さらに2005年からAT免許が新設された。同時にバイクの二人乗りの要件も改正された。本稿とは関係のない話であるが…

・大型自動二輪免許(排気量制限なし)
・AT限定大型自動二輪免許(~650cc)
・普通自動二輪免許(~400cc)
・AT限定普通自動二輪免許(~400cc)
・小型限定普通自動二輪免許(~125cc)
・AT小型限定普通自動二輪免許(~125cc)
・原動機付自転車免許(~50cc)

 そして2019年12月の改正によりAT限定大型自動二輪免許の排気量制限がなくなったが、もうこのあたりの話は個人的にはどうでもいい感じがする。

 さて、この章の最後にヘルメット着用義務化の変遷について簡単にまとめておこう。

 バイクのヘルメット着用義務は1965年に始まっている。1965年に高速道路での「ヘルメット着用努力義務(罰則なし)」が規定され、1972年には最高速度規制が40km/hを超える道路での「ヘルメット着用が義務化(罰則なし)」された。ここまではヘルメットを被らず走行しても罰則がなかったが、1975年から罰則ありの制度が導入され始める。以下が罰則ありのヘルメット着用義務化の流れだ。

・1975年:政令指定道路区間で、51cc以上のバイクのヘルメット着用が義務化
・1978年:すべての道路で51cc以上のバイクのヘルメット着用が義務化
・1986年:原付も含めたすべてのバイク、すべての道路でヘルメット着用が義務化

 こうして見ると、原付のヘルメット着用義務が罰則付きで法令化されたのは、まだ最近(自分のような年齢層にとっては…)のことで、1986年だ。1986年と言えば、私はもう30代。つまり私が20代の頃は条件付きとは言え、原付一種はヘルメット無しでも乗れたわけである。ヘルメット無しで乗ることの安全性の問題はさておき、ちょいと近くのお店まで買い物に行くのに、ヘルメットをかぶらなくてもよいというのは非常に便利なことだった。当時練馬に住んでいた僕が池袋のオフィスまで原付のカブで通勤するのに、ノーヘルで行けたわけである。

 ちなみに、悪評高い原付の二段階右折が法令化されたのも1986年の話で、自分もこの頃から原付一種、50cc車に全く乗らなくなった。まあ、80年代半ば以降に原付50ccに乗らなくなったのは、ヘルメットの問題や二段階右折の問題よりも、82年の馬力規制以降の50cc車が全く面白くなくなったことがいちばん大きな理由ではあったが…。

 もう1つライダーに大きなダメージとなったのが、路上駐車法の改正だろう。これは本稿とは関係のないずっと後の話ではあるが、2006年に路上駐車法の対象に二輪車が追加された。思い出してみれば、昔はバイクはどこにでも停められた。買い物に出かけた時など、歩道の端にちょっと停めておくことができた。昨今、都市部でのバイクの駐車は非常に厳しい状況になっている。僕のオフィスがある池袋など、どこを探しても合法的にバイクを停める場所がない。一部の有料駐車場などにバイク専用エリアが作られてはいるが、圧倒的に確保されているスペースが少ない。バイクの駐車を厳しく取り締まるのはいいが、同時に自治体などが駐車場の確保にも努力して欲しいものだ。

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