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原付ライダー青春グラフィティ (19)

19.その後の中年バイクライフ その2 ~センチメンタル・ジャーニー

 そして40代後半から50代半ばにかけて非常にお気に入りだったのが、スズキの実用車K125である。1990年代の終わり頃だったと思うが、書店で立ち読みしたバイク雑誌で、ホンダの実用車CD125をクラシックバイク風にカスタマイズして乗っている人の記事を読んで、同じようなバイクが自分も欲しくなった。そこでふと思ったのだが、同じ125ccの実用車ならスズキのK125があるじゃないか…。何といっても大好きな2スト車である。デザインもクラシカルでいい。タンク形状や2本出しマフラーなどホンダCD125よりもカッコいい。しかも実用車だから安い。それでCD125ではなくK125を買ってカスタマイズしようと考えた。乗ったこともないし、当時まだ新車で買えるかどうかわからなかったので、カブ90のボアアップを依頼したバイク屋に話をしたら、3000kmも走っていない極上の中古K125を格安で紹介してくれた。現物を見て速攻で買って、すぐにカスタマイズに取り掛かった。

スズキ K125 後期型(1990年以降)

 納車されたバイクを一目見て、前後16インチタイヤというのもあるが、125ccにしては小さいバイクだと感じた。納車後にまずはノーマルで乗り回してみたが、最初に感じたのは思ったよりもスピードが出ないことだ。2スト・ロータリーディスクバルブの125ccと言えば、かつてカワサキKE125や90SSに乗っていた時のイメージがあったので、実用車とは言え12馬力もあれば軽く100km/hは出ると思っていた。実際に乗るとメーターの目盛りは120km/hまであるのに、メーター読みで90km/h前後が精一杯である。ボアアップしてハイカムを入れたスーパーカブよりも遅いし、昔乗った原付50ccスポーツバイクよりも遅い。ドラムブレーキの利きも中途半端だ。あと、思ったよりも車格が小さい。シートが固くて座り心地もよくない。勇んで買ったのに、走行性能や乗り心地については何かと期待外れの部分が多かった。

 最高速が頭打ちになるのは、4速ミッションのギヤ比の問題とスプロケット比、そして16インチタイヤの組み合わせに起因するんじゃないかと思った。それでまずは前後のスプロケを交換するなど、いろいろと試してみようかと考えた。しかしそのままノーマルで乗っても加速自体は悪くない。低中速のトルクは十分で、3速あたりでも力強く加速する。最高速はともかくトップ70km/h前後の巡航は余裕なので、とりあえず一般道の走行には特に問題はない。そして、高速を走らないこのバイクで90km/h以上スピードを出すシチュエーションも考えにくい。ならエンジンはこのままでいいし、無理に手を加えることはないかと思い直して、基本的にノーマルで乗ることにした。

 で、エンジンには全く手を加えず、プロに依頼して全体をODカラー(オリーブドラブ:アーミーグリーン)に塗装し、ODカラーに合うダークブラウンのダブルシートに交換、小さめの黒いリアキャリアを付けた(これだけで20万円近くかかった)。ブラック塗装のエンジンガードを付けた。それだけでずいぶんとカッコよくなった。何といっても、単気筒なのに2本出しマフラーが最高だ。ハンドルも少しフラットなものに交換した。ノーマルで35Wのヘッドライトもバルブを交換して明るくした。ミリタリースタイルのサイドバッグを付けた。タイヤも交換したが、16インチというのは手頃なタイヤが少ないので、良さそうタイヤをかなり探した。

 さて、外観だけをカスタマイズしたK125、性能面ではいろいろとマイナス方向に予想外だったが、のんびり走る分には、太い低中速トルクとロータリー4速ミッションとの相性がよくて、バイクの特性に慣れたら楽しく走れる。その気になってアクセルを開ければ、さすがの2スト125ccで加速性能は悪くない。燃費は実用車のくせに思ったよりも悪くて街中で40km/l弱だったが、13リットルの大容量タンクなので満タンの航続距離は500km近い。とりあえず郊外道路の車の速い流れにも問題なく乗れるし、遅い車を素早く追い越したり危険を避けるための加速は十分に速い。ドラムブレーキの利きの悪さは不満だったが、飛ばし過ぎない限りは我慢できる範囲だ。仕事が多忙な中、たまの日曜日に近場の奥秩父や奥多摩、湘南、千葉・房総方面などの近場へのんびり日帰りツーリングをするのが楽しかった。ODカラーの車体色やバイクの雰囲気に合わせて、いつもA-2やB-3などのミリタリー革ジャンを着て、レッドウィングのワークブーツを履いて乗っていた。車体色とシートやハンドルを交換しただけのカスタマイズだったが、車種とミリタリー風の車体の雰囲気が珍しいのか、観光地の駐車場などでツーリング中のライダーから話しかけられることが多く、時にはバイクの写真を撮られたりして、それが年甲斐もなくちょっと嬉しかった。

 50歳を過ぎた2005年頃、確か9月の下旬だったと思う、このK125カスタムに乗って一般道で京都まで1泊2日で往復したことがある。現在でもその時の細かい状況を、昨日のことのようにはっきりと思い出すことができる印象深い旅、中年になった僕のささやかな「センチメンタル・ジャーニー」の話だ。今まで誰にも話したことはない。

 金曜日の夜仕事が終わり、自宅でちょっと飲んでベッドに入った。なんとなく寝付けなくて考え事をしていた時、急にバイクで旅に出たくなった。当時、1年以上ツーリングをしていなかったこともあり、どうしてもバイクで長距離を走ってみたくなった。行先は、「西へ」だけを考えた。当面の目的地として、なんとなく実家がある名古屋、そして京都・大阪方面を思い浮かべていた。

 それで土曜日の早朝6時頃、後先を考えず家族や会社のスタッフにも黙って、K125に跨って衝動的に走り出した。厚地のチノパンにワークブーツ、Tシャツ、長袖シャツの上にマウンテンパーカというラフなスタイルだ。サイドバッグに押し込んだ登山用雨具と防水スパッツ、下着の着替え、携帯電話以外にほとんど荷物はなし。スマホのナビもない時代だが、地図も待たなかった。若い頃から数限りないほど多くツーリングをしてきた僕は、地図なしで日本中どこへでも行ける自信がある。西へ向かうと言っても長野経由の国道19号か静岡経由の国道1号かを迷ったが、なんとなくストレートに国道1号を走ることに決めた。練馬の自宅から環八、国道246と走り、御殿場を経由して富士で国道1号に出た。最初に寄ったガソリンスタンドで、タイヤの空気圧をちょっと高めにした。あまり飛ばすこともなく制限速度+アルファで、ゆっくり休み休み1号線といくつかのバイパスを走り続けた。国道1号のバイパスは原付二種では走れないところがあるので面倒だが、標識に注意しながら何とか間違えずに走ることができた。

 浜松に近づいたあたりで、エンジンオイルのことに気が付いた。2ストのK125はオイルの消費量が800~900km/lぐらいで、おまけにオイルインジケーターランプがない。ヤバいかもしれないと思って停まって確認窓を見たら、案の定かなりオイルが減っていた。国道沿いで営業しているカーショップを見つけ、2スト用エンジンオイル買って補充した。夕方、西に向かって走るのはつらい。夕日が眩しい中を走り続けて愛知県に入ってすぐに日没を迎え、夜8時過ぎに名古屋市内に入った。一瞬実家に泊まって帰ろうかと考えたが、バイクの調子もよく体力的にもまだ余力があったので走り続けることにした。

 僕は名古屋に住んでいる時代にカワサキ90SSでよく日帰りツーリングをしていたので、愛知、岐阜、三重、滋賀あたりの国道や抜け道には非常に詳しい。それで、名古屋からは北へ向かって大垣方面へ22号線、そして関ヶ原を超えて21号線を走り続け、深夜12時近くに疲れて辿り着いた米原駅前のビジネスホテルに泊まった。ここまで約450km、東京を発って約18時間だ。休憩を除いて14時間ぐらいで走ったことになる。基本はあまり飛ばさず、車の流れに乗って安全運転に徹して走った。バカなことをやっているという高揚感もあり、昼食・夕食ともにファミレスで小1時間ずつ休むなど、食事と休憩もしっかりとっていたので体力的にはまだ余裕があった。ちなみに、当時の携帯(i-mode)で、時々自宅と会社にメールだけはしていた。どこにいるかは明かさずに…

 翌朝7時前にホテルを出発して京都に向かった。睡眠不足だったし、多少は身体の節々が痛んだが、まずは体調は悪くなかった。米原から京都までは、景色の良い琵琶湖岸の道路を走っても2時間半ぐらいだ。京都は短い期間だが住んでいたこともあり詳しいが、特に行きたいところもないし目的もない。朝9時半頃にとりあえず思いついた祖父母の納骨先の永観堂(禅林寺)を訪れて、門前からすぐに来た道を引き返した。京都を出たのが日曜日の午前10時前だが、翌日の月曜日は大事な仕事があるので、できればその日のうちに東京に帰りたかった。復路は往路の米原・大垣経由ではなく、鈴鹿峠越えの国道1号を選んだ。名古屋からは国道23号、豊橋からは国道1号と、食事と給油以外はほとんど休憩をとらずにひたすら東へと走って約12時間、夜10時頃にやっと静岡県を抜けて神奈川県に入り、秦野あたりに着いたのが夜11時を過ぎていた。復路は往路より精神的にも体力的にもきつく、身体はあちこちが固まっていた。秦野では疲労で完全にダウンして、また駅近くのビジネスホテルに泊まった。早朝6時前にこわばった身体で無理やり起きて自宅へ向かい、朝8時過ぎに自宅に戻って朝食を食べてスーツに着替えてオフィスに向かった。

 1泊2日+アルファ、実質2日間で125ccの実用車で一般道を往復約1000kmの旅だった。ずっと晴れていて気温も高く、天気に恵まれた。バイクもトラブルがなく、最後まで調子が良かった。さすがに日本製の実用車は信頼性が高い。そしてヘッドライトを明るめに交換しておいたのも良かった。交換したロングシートも具合がよく、座る位置を微妙に変えながら走っていたので、お尻はあまり痛くならなかった。走っている時は、眠くならないように大声で歌を歌い続けていた。疲れ果てたし、いい年をしてつくづくバカなことをやったと思ったが、気分は爽快だった。ライダーとして、年をとってもこんな旅が出来る…という満足感もあった。K125で一般道を京都まで往復したことは、家族や会社のスタッフも含めて周囲の人の誰にも話さなかった。もし話していたら、きっと「何をバカなことやってるんだ」と言われただろう。

 この時の2日間の不在は、周囲には「ちょっと用事があって…」で通した。何となく、まもなく老境に差し掛かる中年後半の男の「ささやかな秘密」にしたかったのだ。そういえば長い間、K125に乗っていることもあまり周囲の人に話さなかった。行きつけのバイク屋が閉店したり、親友とも言えるバイク乗りの友人が病死したり、身近なバイク仲間との付き合いがほとんどなくなっていた時期でもあった。

 このK125カスタム、50代後半まで10年間近く所有していて最終的に合計1万kmちょっとしか走らなかったが、90ccカブとともにほぼ人生最後のバイクとして十分に楽しめた。請われて知人に譲ったが、今思い出すともったいないことをした。持っていればよかった。60代半ばを過ぎた今、もう一度のんびり乗ってみたいバイクである。

続く…


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