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原付ライダー青春グラフィティ (8)

8.50ccミニレジャーバイク ~謎のミニトレJT60

 70年代は、特に後半になってホイール径が16インチ以下の「ミニレジャーバイク」が実に数多く市販された。多種多彩なミニレジャーバイクは、多くの原付ライダーにとってまさに70年代のバイクライフを彩る存在となっていたと思う。また僕の周囲には、普段大型バイクに乗っていてもセカンドバイクとしてとして原付レジャーバイクを所有する…というライダーが非常に多かった。

 所沢サーキットでミニバイクレースに参加していた頃、ヤマハGT80(ミニトレ)やその派生車種のGR80などに乗って遊んでいたことは先に書いたが、当時はミニトレやGRだけでなく、スズキのミニクロやバンバン、そしてホンダのモンキーなどでもよく遊んだ。これら小径ホイールのレジャーバイクは、街乗りだけでなく、河川敷や近郊の不整地で遊ぶには最高の道具だった。

 まずは、この分野でもっとも馴染みがあり、個人的にも70年代を通して散々乗り回したヤマハのミニトレについて書いていこう。

懐かしいミニトレ 当時のカタログ

 ミニトレは1972年に50ccのGT50が発売されて大ヒットした。このミニトレGT50の原型となったのが、1970年に発売された元祖ミニトレ「FT1」だ。FT1は、「ミニレジャーバイク」というジャンルでヤマハが最初に投入したバイクだ。

 ところで、ミニレジャーバイクというジャンルを開拓したのが4スト50ccのホンダ「モンキー」であることに異論を挟む人はいないだろう。モンキーがもともと多摩テック遊園地の乗り物からスタートしたことは有名で、つまりモンキーというバイクは出自自体が「レジャーバイク」なのだ。しかし、この分野で後発のヤマハが出したFT1は、ヤマハが先駆者となった「トレール車」というジャンルの名車「DT1」(1968年発売)をそのままスケールダウンしたようなデザインで発売され、本格的なダブルクレードルフレームに搭載した空冷2スト・ロータリーディスクバルブ49ccのエンジンは4PS/7500rpmと強力で、前後ともに15インチホイールにブロックタイヤをはき、4速ミッションで最高速度は70km/h(カタログ表記)に達した。つまり、ミニトレは「ミニレジャー」というよりも、最初からその名の通り「ミニトレールバイク」を目指したものだったと言える。

 1970年当時のモンキーは、前後8インチのタイヤに4ストSOHCの2.6馬力のエンジンを搭載し、クラッチは自動遠心3速だった。ここでは、同時期のモンキーよりもミニトレの方が高性能だと言いたいわけではない。1970年時点では、同じ「ミニレジャーバイク」のカテゴリーながら。ホンダとヤマハが目指したバイクのコンセプトは全く違ったということだ。

 しかしこの話には後日談がある。1970年代後半になって、ホンダは売れ続けるミニトレに対抗して16インチホールのXE50/75を投入した。逆にヤマハは売れ続けるモンキー、ゴリラ、ダックスについて、それぞれに対抗する「ポッケ」「フォーゲル」、そしてダックスそっくりの「BOBBY(ボビィ)」を市場に投入した。要するに「パクリ」である。お互いに相手が強みを持つコンセプトジャンルに、同じコンセプトで類似デザインの対抗車を開発して恥ずかしげもなく販売したわけである。「HY戦争」とはよく言ったもので、まったくもって面白い時代であった。

 FT1の話に戻るが、本稿を書くために昔の資料を探していた時、1972~3年頃のヤマハの新車総合カタログを見つけた。ジャンル別に「スポーツシリーズ」「ビジネスシリーズ」「ミニシリーズ」などに分かれ、その「ミニシリーズ」の中に、「しゃれたタウンライディングに、海辺のサンドバギーに、オートレジャーの世界をでっかく広げたヤマハミニ」という、とても洗練されているとは言い難いキャッチコピーともに掲載されていたのは、FT1の他にもう一車種、「JT60」というバイクである。

謎のミニトレ JT60

 このカタログを見てJT60というバイクの名前は何となく思い出したのだが、実物を見た記憶も乗った記憶もない。当時は原付バイクで遊び倒していた時代で、当然ながらFT1にもGT50にも何度も乗った事があるにも関わらず、JT60についてはよく知らない。周囲にも乗っていた人はいなかったと思う。何でもFT1のボアアップ版で58cc、4.5馬力のエンジンを搭載、前後ともに17インチホイールだったそうだが、たった0.5馬力アップのために60cc版を市販したなんて不思議な話である。ネーミングにも統一性がない。ミニトレJT60は謎のバイクだ。

 1972年に発売されたミニトレGT50はエンジンがFT1と同じ4馬力ながらピストンリードバルブとなり、1977年のモデルチェンジで5速ミッションとなった。さらに1979年のフルモデルチェンジで、モノクロスサスペンションを採用し、燃料タンク、シート形状などデザインが一新され、ボディも大型化された。最高出力が5,0ps、最大トルクも0,47kg/mへとアップし、さらに1980年のマイナーチェンジでは、タコメーターを備えるなどミニトレは進化を続けた。

 ヤマハのレジャーバイクと言えばジッピィ(Zippy)50/80(1973年)やチャピィ(CHAPPY)50/80(1974年)がある。ジッピィはリヤに極太小径タイヤをはき、チャピィはジッピィをパワーダウンしてファミリバイク風にしたものだ。基本ミニトレと同じ2ストエンジンでその素性は良く、80ccタイプもラインアップされていたので、70年代の半ば頃のミニバイクレースで時々フルチューンした改造車が走っていた。

ヤマハ CHAPPY 当時のカタログ

 スズキも負けてはいない。ミニレジャーバイク分野でスズキは後発にあたるが、それでも1972年に発売されて80年代まで続いたBANBAN(バンバン)シリーズは強烈で個性的なバイクだった。サンドバギーのような極太サイズのバルーンタイヤを履き、空気圧を低く設定すれば抜群の悪路走破性を発揮した。このバンバンシリーズは、先にバンバン90が1971年に販売を開始し、バンバン50が発売されたのは1972年である。さらに1973年にバンバン75が発売された。49ccの空冷2ストエンジンを搭載し、変速機やサスペンションが異なる様々なバリエーションが存在した。別章で触れたが、このバンバンシリーズの悪路・不整地走破性の高さは海外でも評価され、バンバン90がアメリカで「RV90F」という名でファームバイクとして売られていた。また、このシリーズの中で最も面白いバイクだったバンバン125については、実際に乗った感触などを別章で書く。

スズキ VanVan50 当時のカタログ

 このバンバンシリーズのヒットに触発されたのだろうか、1973年にホンダがダックス50に極太タイヤをはかせた“パクリ”バイク、NAUTY DAX(ノーティダックス)を発売したのが記憶に残る。

 スズキは、レジャーバイク分野で1975年になってMINICRO(ミニクロ)50(CM50)、1977年にMAMETAN(マメタン)50と相次いで市場に投入したが、ミニクロ50/75は完全にヤマハのミニトレ50/80対抗車種である。何でも同社のミニモトクロッサーTM75の「ミニモトクロッサー」を縮めて「ミニクロ」という愛称にしたらしいが、前16インチ、後15インチのホイールで「ミニ」とは言いながら大きめの車体に、50ccが5馬力、75ccが6.5馬力のエンジンを搭載したミニクロは、走行性能や走破性では完全にミニトレに拮抗していた。1977年頃にはミニバイクレースの改造クラスなどでもよく見かけた。ミニクロ50には乗ったことがないが、ミニクロ75には乗ったことがある。乗りやすく、しかもミニトレ80のノーマル車よりもパワーがある感じだった。当然ミニクロ50もいいバイクだのだろうと想像する。

 マメタン50は、1977年に発売されたアメリカンクルーザーっぽい原付車で、当時は乗車スタイル面で類似コンセプトの原付車がなかったため、一定のファン層を獲得していたと思う。このバイクも個人的に乗ったことはないが、都内で走っているのを時々見かけた。

スズキ マメタン 当時のカタログ

 カワサキは、何度も述べたように原付一種50cc分野ではほとんど市場に参加していない。原付二種、特に90ccクラスでは90MS(1973年)、そして後継車のKM90(1975年)など、2スト・ロータリーディスクバルブのエンジンを搭載した抜群に高性能の小径ホイール車を出しているし、海外ではもっと早い時期に50ccの「コヨーテ(MB-1)」(1969年)や75ccの「ダイナマイト(75MT1)」という2ストのレジャーバイクを発売している。ちなみにこのダイナマイトMT1は、1977年になって日本国内で「KV75」として販売したが、あまり人気は出なかった。

 そのカワサキが50ccレジャーバイク分野で、突然国内市場に投入したのはAV50だ。思いがけず4スト車である。1981年に発売されたAV50は、プルバック風のハンドルに背もたれ付きのシートを備えたアメリカンスタイル。それだけでもびっくりである。フロント14インチ、リア10インチの小柄な車体に、何と7.2馬力という当時50cc最高出力の4ストSOHCのエンジンを搭載していた。個人的には乗ったことがないので、どんな乗り心地のバイクだったのか具体的なイメージが湧かないが、今スペックを見ると一度乗っておけばよかったと思える原付車である。何と言ってもAV50は、日本市場に投入されたカワサキ車として唯一の4スト50cc搭載モデルなのだから。

カワサキ AV50 当時のカタログ

 そしてカワサキは、時代が大きく下がった1988年に、「KS-1/2」、1990年に「KSR-1/2」という小径ホイールのミニレジャータイプで90cc車とシリーズ化した高性能2スト50cc車を発売して、一部ライダーからカルト的な人気を得る。まあ、これは70年代の話をメインとする本稿には関係がない時代のことである。

 さて最後にもう一度、ホンダについて書いておこう。いくら2スト車の話がメインとはいえ、ミニレジャーバイクという分野を最初に切り開いたホンダの4スト車群、「モンキー」「ダックス」「ゴリラ」の話に触れないわけにはいかない。モンキーは、もともと多摩テック遊園地の遊具として製造された。1963年にはモデルチェンジ版で公道走行に対応させたCZ100を開発し、翌1964年から海外への輸出販売を開始し、これが好評だったことから日本国内向け仕様を開発して1967年に「モンキー」の社名で国内販売を始めた。

 ダックス(ST50)も古く、1969年に発売された。その名前は、小柄・低重心で長いホイールベースが胴長短足の猟犬ダックスフントを連想させるところに由来し、当初はダックスホンダと呼ばれた。サスペンションはフロントがテレスコピック、リアがスイングアームで、ホイールサイズは10インチ。3速の自動遠心クラッチ仕様と4速のマニュアルクラッチ仕様があった。70年代半ばのモデルで4.1馬力あり、モンキーとは異なってけっこうパワーがあった。

 1978年に発売されたゴリラは、モンキーのZ50J-I型へのモデルチェンジと同時に追加された姉妹車である。タンクを大型化した独特のスタイル、4速マニュアルミッション、手動クラッチを搭載したことで人気を得た。モンキー、ダックスともにともかくよく売れたバイクで、ユーザー数は多かった。70年代には街中のいたる所で見かけたし、ダックスは大きな荷物を搭載してツーリングしているライダーも多かった。

 70年代半ばに各地で行われていたミニバイクレースでは、モンキーやダックスの専用クラスが設けられているレースも多く、デコレーション、チューニングのためのアフターパーツも多かった。モンキー専用のチューニングショップも多数あり、「SP武川」や「スーパーモンキー」、名古屋の「モンキー工場早矢仕」などが有名だった。

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