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原付ライダー青春グラフィティ (4)

4.ミニバイクレースが盛んだった時代

 バイクレースの登竜門としてのミニバイクレースは、現在でも各地のサーキットで行われている。しかし1970年代に盛り上がったミニバイクレースは、現在のそれとはかなり雰囲気も目的も異なるものであった。市販車をフル改造したマシンを操る素人ライダーが、全国各地で行われたショップ主催のレースに参加し、観客も巻き込んでお祭り騒ぎのように熱狂したのだ。

 関東では、1970年代半ばから後半にかけて、今は無き「所沢サーキット」でミニバイクレースが盛んだった。所沢サーキットは、ミニバイクレースの聖地だった。そして年間ポイント制を実施して最終レースだけ筑波サーキットで開かれるような大きな大会もあった。関西では「びわ湖サーキット」、中部地方は三重県の「YAMAHA第一カートランド」や「浜松サーキット」、中国地方は岡山の「中山サーキット」、東北地方は「菅生サーキット」などで盛んにミニバイクレースが開催されていた。

 レース参加車両は50ccと80ccの16インチホイール以下のバイクが基本で、それぞれノーマル(Mクラス)と改造(Sクラス)に分かれていた。他に10インチ以下と8インチ以下のクラスや、スクータークラスを設けているレースがあり、FLクラスというミニモトクロッサーの改造クラスを設けているレースもあった。さらに桶川などでは、50、80ccオフロード車によるミニエンデューロレースが盛んに行われていた。

 ミニバイクレースがいつ頃始まったかについては記憶がはっきりしないが、所沢サーキットで最初に主催したのはバイクショップ「スペシャルパーツ武川」ではなかったかと思う。各地でこうした大手チューンショップが主催するレースが多数行われていた。例えば岡山の中山サーキットでは地元の大月モータースが、関西では月木モータースなどが主催するレースが多かったと記憶している。

 自分は遊び半分で所沢でノーマルクラスに参戦していたが、盛り上がっていたのは改造クラスだ。参戦しているマシンの大半がミニトレやミニクロなど2スト空冷のマシンで、その多くが「SRSスガヤ」や「ノグチ」「木島」「大真工業」などのチューンアップキットを組み込んでいた。DAXやモンキー、XE50やXE75など4ストマシンの場合は、「SP武川」や「スペシャルパーツ忠男」「キタコ」、「スーパーモンキー」などがチューンアップキットを提供していた。

 改造クラスでは、4ストマシンはほとんど見なかった。決勝レースなどはミニトレばかり(スズキのミニクロもいたか…)。改造にはほとんど制限がなかった。当時スガヤやノグチからチャンバー、キャブ、ボアアップ用シリンダー、シリンダーヘッド、オーバーサイズピストン、コンロッド、ビッグキャブ、強化サスペンション、スプロケット、クロスミッションなどチューアップパーツ一式がキットとして販売されていて、灯火類など保安部品を外してキット一式を交換・装着すれば(たいがいショップでやってもらった)簡単にフルチューンマシンが完成した。あとはレース専用のスリックタイヤに交換すれば、とりあえず誰でも予選には出場できた。

 僕がミニバイクレースに参戦したきっかけは、仲の良い友人が所沢サーキットの80cc改造(S2)クラスで走っていたことに始まる。彼は、お決まりのミニトレ80改で参戦していた。確か1976年頃の話だ。当時のミニトレ(GT80)はまだモノクロスサスやCDI点火になる前の中期モデルだった。

 何度か友人について所沢サーキットに見物に行っているうちに、自分でも走りたくなった。しかし、友人の改造ミニトレを借りてコースを走ってみて驚いた。とてもまともに走れる代物ではない。カリカリにチューンした改造GT80はノーマルとは桁違いにハイパワーになっていた。

 改造クラスに参加しているマシンは、どれもボアアップしてチャンバー、キャブなどを交換し、どのバイクもノーマルの4.9馬力が2倍以上、12~13馬力近くになっていた。決勝レースに残る改造マシンの中には、何だかよくわからないが15馬力近く出す改造車があったとも聞く。もともと車重が60kg台のミニトレをさらに軽量化しているのだから、12~3馬力近いとなるともうメチャクチャだ。ちなみに、2021年現在の最新の原付二種スポーツバイクであるホンダCB125Rは、13馬力で車重が130kgだ。こんなの当時の改造ミニバイクと較べれば、実用車みたいなものだ。

 60kgそこそこの重量で14インチホイールのミニバイクが12~3馬力も出すとなると、そのパワー感、ライディング感覚は今のライダーには想像できないだろう。アクセルを開けて走るのが怖いぐらいなのだ。パワーバンドはすごく狭い。パワーバンドの入口あたりの回転数でシフトアップしていくと、ポンポンとフロントがアップする。ホイールスピンも多かった。コーナーの立ち上がりで全開にするとリヤタイヤがズルズルと滑る。いやズルズルではなく、アクセルを開けた瞬間にツルっと滑って即転倒というケースもある。コーナリングの途中でシフトアップのために半クラッチにした瞬間にもグリップを失って滑る。実際に何度も転倒した。当時はそれなりにバイクの運転には自信があったが、こんなとんでもないマシンは怖いし自分には乗れない、改造クラスはとても無理だと思って、まずはノーマルレースに参戦した。

 最初は中古のミニトレ50でノーマル50ccクラスに参戦、まあいつも予選で敗退していたけど…。その後同じノーマルでも80ccクラスに参戦したくなり、周囲と同じミニトレでは面白くなくてミニトレと同じエンジンでカフェレーサースタイルのGR80を買って参戦した。結局、自分にはレースの才能はなくていつも予選で敗退していたわけだが、それはそれで面白かった。

 ところで、先に80cc改造クラスのマシンで15馬力なんてのがあった…と書いたが、当時のミニバイクレースには、さらに上級者向けの「FLクラス」(100cc以下、16インチ以下、フル改造OK)というのがあった。参戦していたマシンは、市販の2ストミニモトクロッサーであるヤマハYZ80やスズキRM80だ。これらはノーマルでも18馬力はあり、それをさらにチューンしていたのだから何馬力出ていたのかよくわからない。とんでもないバケモノマシンだった。大手ショップの支援を受けてこのFLクラスに参戦していた人たちの中には、のちにプロのライダーになった人も多い。

 先に書いたようにミニバイクレースの1つに「ミニエンデューロレース」というのがあった。関東では主に桶川サーキットで開催されていた。10インチ以下と16インチ以下のクラスに分かれ、ノーマルの50ccと80cc、改造の80ccがスプリントレースで、それ以外に改造の100cc以下というクラスがあって2時間の耐久レースが行われていた。このミニ耐久レースを桶川に見に行ったことがあるが、ホンダのXE75などとともにカワサキのKM90が活躍していたのを思い出す。

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