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原付ライダー青春グラフィティ (7)

87.50ccオフロード車の系譜

 市販バイクに「オフロード車」という区分ができたのは、実は比較的新しい。1960年代はロードモデルのオートバイを軽量化、マフラーを高い位置に移設、タイヤを替えるなど改造したものをオフロード用としていた。これらのバイクは、オフロード向けのレースの俗称から「スクランブラー」と呼ばれていた。この「スクランブラー」タイプのバイクが60年代半ばの早い時期から登場したのは、当時はまだ地方などに未舗装道路が多かったという日本国内の道路事情も背景にある。

 1960年代半ばになると、アメリカではデザートレース、60年代後半にはヨーロッパではモトクロスレースが盛んになり、国内メーカーが世界モトクロス選手権に参加を初め(スズキ 1968〜、ヤマハ1972〜)日本国内でもオフロードブームが起きた。この時期、各社からオフロードでの走行も想定したバイクが開発・市販され始める。時代の先駆者となったのは、ヤマハが1967年に市販したDT1(250cc)だ。このDT1でヤマハは、「オフロード走行もでき公道も走ることができる」という「トレール」という新しいジャンルのバイクの存在をアピールした。DT1は爆発的な売上をみせ、その後メーカー各社から同様のコンセプトのバイクが次々に登場した。

 そのヤマハが原付のジャンルでオフロード車を最初に投入したのは、前述した50F5-Sのバリエーションモデルとして、1968年に発売したヤマハトレール50F5-Cだ。そしてスズキは、1970年に発売されたAC50が「スクランブラー」を名乗りながらも、モトクロスレースに参加するための豊富なキットパーツを用意した。これが後のハスラー50へとつながる。

 まずは、70年代初頭の原付オフロード車を代表するヤマハMR50の系譜から見ていこう。実際に購入して乗っていたバイクだ。当時同居人が普段乗っていたRD50が不調になり代替車として1976~7年頃に行きつけのバイク屋で程度の良い中古車を見つけて購入したが、おそらく74~75年モデルだろう。

ヤマハ MR50 初期型

 このMR50は、1972年にFX50と同時に発売されたヤマハ初の原付本格オフ車だ。FXをベースに、アップマフラーなどオフロード車っぽい外観にして、6.3馬力のエンジンを中低速寄りに若干ディチューンして6馬力としたものだ。車重は70kg、タイヤは前後ともに17インチだった。当時RD50から乗り換えた彼女は、ポジションがゆったりして乗りやすく、パワーダウンもほとんど感じることなく、気にいって毎日のように乗っていた。僕もよく乗ったが、オフロードでもそこそこ走れる上、日帰りツーリングなどで長時間走っても疲れが少ない良いバイクだった。

 MR50は1979年にモデルチェンジしてリアにモノクロスサスを採用、その後DT50にその座を譲るまで10年間近くに渡ってヤマハのオフロード入門モデルとして販売され続けた。

 ヤマハ・DT50が発売されたのは、1982年6月のことだった。RZ50と同じ水冷単気筒エンジンにYEIS(吸気管にインテークチャンバーをつけたもの)を採用、最高出力は7.2psで、車体の乾燥重量は75kgという軽量。6速ミッションを搭載し、ホイールはフロント19インチ、リア17インチの本格サイズだった。このDT50は、RZ50と並んで原付50ccスポーツバイクの全盛期を支えた車種である。

 現在はどうだか知らないが、このDT50は7~8年前まではイタリアヤマハが「DT50X」として製造・販売しており、日本国内も逆輸入車として販売しているショップがあった。水冷、モノサス、前後ディスクブレーキ、デジタルメーター装備で、ずいぶんおしゃれなデザインで驚いたものである。

 スズキHUSTLER(ハスラー)50は、1971年に発売され、90年代後半までラインナップされた原付一種のオフロード車だ。エンジンは、登場時からしばらくは空冷、1983年のモデルチェンジで水冷となって同時にミッションは6段変速になった。ホイールサイズは、初期型の前後とも17インチから、前18/後16インチ、前19/後17インチと変わり、83年からは前21インチ/後18インチのオフロード「フルサイズ」になった。ヤマハのMR50からDT50への進化をそのまま追随し、長期間に渡って原付オフロード車として人気を保ち続けた。

スズキ ハスラー50

 1982年に発売されたMTX50は、発売直後に新車で購入したバイクだ。彼女が中型免許取得前に最後に買った原付50cc車である。MTX50は1979年に発売されたMT50の後継車で、より本格的なオフロード仕様にモデルチェンジされた。リアには「プロリンクサス」を、さらに30mm径のフロントフォークを採用した。最高出力はMT50と同じ6.5psだが中低速でのトルクアップが図られていた。6速ミッションを搭載し、フロント21インチ、リア18インチの大柄なフルサイズオフロード車だ。

 当時、RD50、MR50と乗り継いでいた彼女は、大柄で赤いMTX50を一目で気に入り新車で購入した。あまり出力が変わらないMR50と較べても、中速域では明らかにパワーがあって、車格が大きいためにライディングポジションが楽、往復100km程度の日帰りツーリングでは疲れ知らずのマシンだった。荒川河川敷でモトクロスの真似事をして走っても、不整地によく追随する前後のサスで、けっこう遊べた。彼女が中型免許を取得してからはあまり乗らなくなって手放したが、原付オフ車の実力を十分に感じたマシンだった。

 そして、原付オフ車と言えば思い出すのが、ヤマハ原付スポーツ3兄弟の一角であるTY50である。当時職場の同僚で仲の良い女性がいた。その女性が、僕と連れの彼女がいつも原付バイクで遊んでいるのを見て自分もバイクに乗りたいと言い出し、普通免許しか持っていないので原付バイクを買うことになった。バイク雑誌でいろいろと原付バイクを検討していた時、TY50が目に留まり、黄色のかわいいデザインが一目で気に入って、ただそれだけの理由で購入した。実際のところ、タンク形状や車高など本格トライアル車風のTY50は、センスの良いボディカラーとも相まって、デザインが抜群に可愛い原付車だった。

ヤマハ TY50

 1980年に発売されたTY50は、RD50やMR50と同じ6.3馬力の2スト空冷エンジンをベースに中低速寄りの4馬力にディチューン、ダブルクレードルフレームで十分に車高を取り、マフラーの出し方もトライアル車風で良い感じ、前18インチ、後ろ16インチのホイールのバランスも独特で、スリムな競技用トライアル車をそのまま小さくしたような、何とも雰囲気のある可愛い原付車だった。黄色をベースとしたファクトリーカラー風のボディ色、スリムなタンクの配色も良かった。むろん、街中を走ると遅かった。最高速度も70km/hちょっとだし、低速寄りの5速クロスミッションで高速巡航は苦手だった。4リットルちょっとしか入らないタンク容量も少な過ぎた。かと言って、本格的なトライアル走行ができるほどのパワーもない。今思うと、よくこんなものを作ったと思うほど不思議なバイクだ。

 余談だが、その後に友人の彼女がバイクに乗らなくなったのでTY50を譲り受け、せっかくのトライアル風バイクということで荒川の河川敷、現在のレインボーモータースクールの裏あたりの河川敷にあった草トライアルコースで遊んでいた。トライアルごっこはとても面白くてハマったのだが、バイクのデザインはともかく、実際にTY50の4馬力のエンジンでは瞬発力が足りず、ロクにトライルの真似事も出来ない。それで、とりあえずキタコのボアアップキットを組みこんでパワーアップして遊んでいた。実はこのボアアップ版TY50でトライアルごっこに本格的にのめり込み、結局中古のTY125の175ccボアアップ版を手に入れて一時期は夢中で遊んでいた。本格的にトライアルをやるには至らなかったが、多摩川の河川敷で開催されていたトライアル草レースに出場したり、けっこう面白かった。

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