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原付ライダー青春グラフィティ (9)

9.原付二種、黄色ナンバーの名車たち

 原付二種、黄色ナンバーの名車というと、まず思い出すのがヤマハの90ccツインのシリーズだ。45ccという市販車最小シリンダーを搭載した世界初の2スト2気筒90ccのスポーツ車は、1965年に発売されたAT90に遡る。ATの名称はヤマハが開発した分離給油式の潤滑装置オートルーブ(AUTOLUBE)に由来するそうだ。ミッションはロータリー4速、8.2ps/8000rpm、2ストで、2気筒で、2キャブで、2本マフラーのバイクだった。

 AT90の後継車が1968年に発売された90HS1だ。AT90(1965年発売)をベースに排気効率を高める5ポートシステムを採用。最高出力は10.5ps/8,000rpm、ミッションは5段リターン、ダイヤモンドフレームに前後18インチのホイールを組み合わせた本格スポーツモデルとなった。

ヤマハ HX90 当時のカタログ

 そしてヤマハからは、市販車最後の90ccツインであるHX90が1971年に発売される。最高出力などはHS1と変わりはないが、何といってもタンク形状などデザインが大幅に洗練された。カッコよくなったのだ。このHX90がいつまで売られていたのか記憶がないが、少なくとも自分がバイクに乗り始めた直後の1973年までは新車が存在した。そして1975年にはヤマハの90ccは単気筒のRD90になり、ツイン車はラインアップから消えていた。

 僕はFS1に乗っていた頃、次に買うのはHX90だとほぼ決めていた。HX90は知人が所有していて、FS1に乗る自分と一緒にツーリングに行ったこともある。何度か乗せてもらったが、その軽快な走りっぷりが気にいっていた。吹け上がりがよく、軽やかに加速していく。FS1で一緒に走っていると、けっして遅くはないFS1があっという間に置いて行かれる。自分もそのHX90が欲しかった。あこがれのバイクだった。ただ、ちょっと理由があって1974年から75年にかけてバイクを購入する状況ではなく、それで実際にバイクを新車で購入すると決めた1975年には、もうHX90は売っていなかった。

 当時は当然自動二輪免許を持っていたが、大排気量車の購入には関心がなかった。置き場所の問題、新車価格の高さや維持費の問題もあったし、何よりも重くて大きいバイクに乗る気がなかったことが大きい。初めて買う新車スポーツバイクは90~125ccクラスと決めていた。それでカワサキの90SSを買ったわけだ。この時には1974年に発売されたばかりのヤマハRD90と迷った。

 カワサキ90SS、1975年に新車で購入したこのバイクについて書き出すとキリがない。何と言っても、僕にバイクの楽しさ、特にツーリングの楽しさを教えてくれたバイクだ。数多くバイクに乗ってきたが、乗り始めてから手放すまでの走行距離が最も長かったのは、この90SSと後に絶対的な愛車となったTDR250の2台で、それぞれ4~5万kmは走った。

 当時の僕は2スト50cc車をK50、FS1と乗り継いで、ステップアップするために90SSを新車で購入した。当時は一時期名古屋に住んでいたが、様々な理由から宿泊を伴うツーリングは難しい状況だったので、この90SSで毎週末に往復100kmを超える日帰りツーリングに出かけた。

 ロータリーディスクバルブの2スト単気筒エンジンを搭載する90SSは、息の長いバイクである。最初は1968年に発売された。当時ライバルであったヤマハAT90、スズキAS90など90ccスポーツ車の最高出力は8馬力台であったが、カワサキ90SSは10.5馬力と格段に高出力で、当時のカタログにははっきりと「最高速度110km/h」と書かれており、パワーとスピードを売り物にして登場したバイクだ。余談だが、1971年に始まった初代「仮面ライダー」で本郷猛が90SSに乗っていた。

 90SSは1973年に、すっきりしたガソリンタンク形状を採用するなど車体デザインを一新して大型化、しっかりとしたダブルクレードルのフレームを採用してカッコよくなった。僕はこのモデルチェンジ後の後期型90SSを購入した。

カワサキ 90SS

 さて購入したこの90SS、最高時速110キロは単なるカタログスペックではなく、実際に4速で全開にして5速にシフトアップすると、短時間で簡単にメーター読みで100km/hを超えた。5速ミッションの配分もよく、中低速トルクも十分で流れの速い一般道で70km/hで巡航するのは余裕だった。ミッションは5速リターン式だが、ボトムニュートラルという変則的なもので、慣れればそれなりに使いやすかった。しかし、エンジン性能はともかく、サスやブレーキなどは当時でも既に時代遅れの感があった。特にフロントのドラムブレーキは貧弱だった。今思えば、あんなブレーキで街中を飛ばしまくって、よく追突事故を起こさなかったものだ。1975年と言えば、50cc原付のスポーツ車であるヤマハRD50が既に油圧ディスクブレーキを装備していた時期である。90SSのフロントブレーキは完全にエンジン性能に負けていた。25Wのヘッドライトも暗かった。日帰りツーリングの帰り道はいつも日没後になるのだが、交通量の多い一般国道の夜道を走行するのはかなり怖かった。あとエキパイとマフラーが詰まりやすい。詰まってくると覿面パワーが落ちる。定期的なカーボン落としが面倒だった。ともかくいろいろと欠陥の多いバイクだったが、軽量・パワフルで走行性能に関しては文句がなかった。購入した年に年間1万km以上走ったのだから、非常に気に入っていた。

 ところでこの90SSの兄弟車にKC90というバイクがある。実用車として販売されていたが、ミッションが4速になり、シートがシングルになって荷台が付いただけで、その他はエンジンも含めて事実上90SSと全く同じスペックだ。90SSを手放した後、確か1980年代の後半頃に行きつけのバイク屋の店頭でバカみたいに安く売られていて、もう一度90SSの乗り心地を楽しみたくて購入し、時々乗っていた。

 カワサキKM90も印象に残る黄色ナンバー車だ。カワサキというメーカーは、50cc原付一種市場にはあまり興味を示さず、カワサキの50cc市販車と言えば、1981年~1988年に渡って発売したAR50と、1988年にそのAR50のエンジン使ってレジャーバイク化したKS-1ぐらいしか思いつかない。一方でカワサキは原付二種分野、特に80~90ccの黄色ナンバー車の領域では国内外向けに多くの名車を送り出し続けた。

 KM90は1973年発売の90MSが前身となる。MS90は、前後14インチホイールにアップフェンダーとアップマフラーのミニスポーツ・レジャーバイクとして、カワサキお得意の2ストロータリーディスクバルブエンジンを搭載して発売された。その90MSから発展したモデルがKM90で、1980年に発売された。フロント16インチ、リヤ14インチ、エンジンは10.5馬力を発生した90SS用のエンジンを低中速寄りにディチューンした6.6馬力のもの、むろん5速ミッションを搭載していた。戦闘力の高いマシンで、別章で書いたように桶川のミニエンデューロレースなどで、かなりたくさん走っていた。確か「城東カワサキ」あたりから専用のチューンアップキットが発売されていたと思う。

カワサキ KM90 当時のカタログ

 友人から譲り受けて短期間所有していたが、小さいのにパワフルなマシンで、いろいろなシチュエーションで乗ってみて実に面白かった。ノーマルでも最高速は100km/h近くは出たし、ミニトレ80あたりと比較しても加速は抜群、ガソリンタンクは9.5lと大きく、ミニのくせになんとなくラインディングポジションにゆとりがあって、十分にツーリングもこなした。今思い出しても、楽しくいいバイクだった。

 僕が90SSのファンだからというわけではないが、カワサキの2スト・ロータリーディスクバルブ90ccエンジンは、そのバリエーションで多くの名車を生み出した。スズキやヤマハの2スト車の多くがピストンリードバルブエンジンへと移行する中で、カワサキはかなり後までロータリーディスクバルブにこだわり続けた。つい最近と言える2000年代の半ば頃まで、タイカワサキ(タイの現地法人)がロータリーディスクバルブのKH125を生産・市販していたことは、知らない人が多いだろう。そんなカワサキの2スト・ロータリーディスクバルブ90ccエンジンを搭載したバイクの中で、「トレールボス」と呼ばれた90TRも強く印象に残っている。

 カワサキ90TRトレールボス(GA4)は、「ビッグホーン」350TRと同時期、1969年に市販されたオフロードモデルが。エンジンはむろん90SS系で、90SSのフレームと足回りを一新してトレール車を作った。最高出力は90SSと同じ10.5馬力だが、多少中速寄りにセッティングされている。70年代の90ccトレール車の中では最強のエンジンを搭載していた。

 アメリカ向けには100ccで副変速機付きのG4TR(KV100)が作られた。昔、行きつけのバイク屋で実物を見たことがある。大きなリアキャリアを装備し、フルチェーンケースで、サイドカバーに「TLAIL BOSS」のエンブレムがあって、そのロゴの下に「10SPEEDと書かれていた。GT4Rには国内向けのGA4(90TR)には無い副変速機が装備されていることを示していた。副変速機は、ワンタッチで全体のレシオをダウンさせることができる機構だ。このG4TR(KV100)は、アメリカではファームバイクとして人気で、長く売られてベストセラーとなった。

 本章の内容とは関係のない全くの余談だが、副変速機と言えば初代の赤ハンターカブ、ホンダCT110やヤマハAG200など、輸出用オフロードバイク、特にファームバイクによく搭載されていたが、国産市販車に搭載例がほとんどないのは何故だろう? 知り得る限りでは、1982年発売のホンダの原付レジャーバイク、MOTRA(モトラ)に3段✕2のサブミッションが搭載されていた例を見るぐらいだ。このモトラ、本稿の趣旨に反する4スト車ながら個性的で面白いバイクだ。こんなユニークなコンセプトの原付バイクが発売できた理由も、やはり「時代」の雰囲気だったんだろう。

 このクラスの2ストの名車といえば、ミニバイクレースで遊んでいた頃に乗っていたヤマハのミニトレ80とGR80も思い出深いバイクだ。加えてスズキMINICRO75など黄色ナンバーのミニレジャーバイクの話は別章で書いたのでここでは省く。いずれにせよミニレジャーバイクというジャンルでは、パンチがあってパワフルなバイクが多く、いろいろと乗ってずいぶん楽しんだ。

 80~90ccクラスのバイクの話として、最後にカワサキAR80について書いておこう。
 あくまで個人的な感想だが、過去に市販された90cc以下の原付二種車を語る時、このAR80を抜いて語ることはできない。それほどにロードスポーツとしては完成度が高いバイクだったと思う。当時いろいろ考えて、どうしても欲しくなって新車で購入した。

カワサキ AR80 当時のカタログ

 AR80は、1981年に出たAR50の姉妹モデルだ。完全にノーマルで乗っていたが、加速、最高速度ともに文句なしに速く、このクラスで過去に市販された多くのバイク(あくまで自分が乗った経験がある範囲だが)のどれと比較しても非常にバランスがとれた高性能ロードスポーツバイクであった。78ccの空冷2ストエンジンは、カワサキお得意のロータリーディスクバルブではなくピストンリードバルブを採用していた。最高出力は10馬力で6速ミッション。タイヤは前後とも18インチ、前輪には油圧ブレーキ、リアサスはユニトラック。発進加速は鋭く、ローギヤでは頻繁にフロントが浮くほど。最高速はメーター読みで110km/hは出た。

 空冷だったが、1時間近く全開に近い走行をしても熱ダレを起こすことはなく、自分はむろん、他のユーザからも抱きついたという話はあまり聞かない。それなりに耐久性があるエンジンだったのだろう。中低速のトルクはさほど感じなかったが、それほどパワーバンドが狭いという感覚もなく、普通に乗る分には非常に乗りやすかった。このAR80、何と言っても飛ばしたときに真価がわかる。重心の位置とバランスがよいのか、体重移動への追随が素直でバンク角が異様に深く、S字コーナーなどでは速い切り返しが可能。細めの純正タイヤのグリップも見た目よりは良く、ユニトラックサスの性能もあってか路面にきちんとパワーを伝えてくれる。比較的深いバンク状態でアクセルを開閉しても、グリップを失ったりスリップしたりする気配はなかった。となると、タイトなコーナーが続くワインディングでは無敵で、奥多摩有料道路の下りならレーサーレプリカとマジでいい勝負をした。

 これまで80~90ccの黄色ナンバー2スト車の良さについていろいろと書いてきたが、自分が乗った範囲では、小型・軽量・シンプル・ハイパワーのバイクとしてはこのAR80がひとつの完成形、最終回答だと思う。車体デザインについての好き嫌いはあるだろう。比較的燃費が悪かったり、ヘッドライトが暗かったりといくつかの不満はあったが、ノーマルで乗っての走行性能面で、あれほど完成度が高く満足感を与えてくれたバイクは少ない。

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