レプリコン・ワクチンのこと
1.はじめに
2019年末から発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対抗するワクチンとして、2020年には mRNA ワクチンが実用化され、2023年にはノーベル賞の対象となったが、あまりに早いワクチン開発と非常的な承認・接種体制について、一般世間では疑問と大きな反発もあった。
mRNA ワクチン接種開始から4年が経ち、多くの実際データが蓄積された事により、もはや mRNA ワクチンは「市民権を得た」と言える状況にある。
しかし2023年から、さらに新たな技術による「レプリコン・ワクチン(自己増殖型 mRNA ワクチン)」が承認申請され、2024年10月から日本で接種開始されると、ネット上を中心に、またもや大きな反発が起きてしまった。
生物学や医学の知識を充分に持つ機会が無く(多くの人はウイルスと細菌の差もよく知らない)、臨床試験の当事者でもない、大多数の一般の人間が、理解の難しい新しい技術に大きな不安をおぼえ、反発するのは当然である。
最初のワクチンを開発したジェンナーも周囲から不安視されていたし、医学は「自分ごと」であるがゆえに、納得できなければ反発も大きいのは致し方ない。
しかし、ネット上の「根拠不明な情報」に、訳の分からない恐怖を煽られるのは賢明ではない。
出典の確かな客観的データを見て、確認済みの安全性と未確認の危険性を理解した上で、接種を受ける本人の健康状況から、個々の是々非々で接種の利点と危険を判断すべきであろう。
本テキストは、そうした筆者の個人的な考えから、急ぎ書き下したものである。
「レプリコンワクチン来院お断り」のような主張を掲げる人達にも、ご覧頂ければ幸いと思っている。
2.レプリコン・ワクチンの安全性と有効性を確かめた臨床試験の論文(※1)
臨床試験対象者はベトナム人の成人。 第1相100人、第2相300人、第3a相600人、第3b相1万6千人、と段階を踏んで、慎重に安全性や有効性を確認した(もちろんこの前に動物実験があり、その前には in vitro 実験もある;医薬品開発には厳密なプロトコールが有る)。
なお第1相の対象者は18~60歳だが、第3b相は60歳以上も含まれていた事を申し添えておく。
第1相は1日目に初回接種した100人のうち、99人が29日目に2回目の接種を受け、210日目まで経過観察された。
第2相は1日目に初回接種した301人のうち、300人が29日目に2回目の接種を受け、210日目まで経過観察された。
第3a相は1日目に初回接種した600人のうち、579人が29日目に2回目の接種を受け、210日目まで経過観察された。
ここまで死亡例は無し。
第3b相の対象者約1万6千人は2群に分けられ、8059人にはレプリコン・ワクチンが、別の8041人にはプラセボ(偽薬)が接種された。
第3b相ワクチン群は1日目に初回接種した8059人のうち、7867人が29日目に2回目の接種を受け、210日目まで経過観察された。
第3b相プラセボ群は1日目に初回接種した8041人のうち、7822人が29日目に2回目の接種を受け、210日目まで経過観察された。
この第3b相では試験期間前半92日の間に両群合わせて21件の死亡が確認された。
ネット上でよく問題とされているのは、この最終段階・第3b相で死亡者が出たという点である。 だが本当の問題は、それらの死亡の内訳であろう。
第3b相1~92日目における死亡例と死因は以下の通り。
・ワクチン群=5/8059例(0.062%)
(内訳=コロナ感染、低血糖、膵炎、肺の悪性新生物、咽頭癌転移が各1例)
・プラセボ群=16/8041例(0.199%)
(内訳=コロナ感染が9例、リンパ節腫脹、肝硬変、肝がん、大動脈解離、肺炎、アシネトバクター性肺炎、敗血症性ショックが各1例)
ネットで言われる「21人死亡」という数はワクチン群5人とプラセボ群16人を合わせたものだが、そもそもプラセボ群の死亡はワクチンが原因ではない。
以上のように、第3b相において、ワクチン接種に関わる死亡例は1件も確認されていない。 対してコロナ感染に関連する死亡は10件あった(ワクチン群1人、プラセボ群9人)。
また mRNA ワクチンでこれまで問題になった心臓や血管に関わる死亡は、プラセボ群の大動脈解離のみである。
ちなみに、8千人もの多人数が試験に参加すると、その中から死亡者が出ることは、統計的に見て、やむをえない。
厚生労働省「簡易生命表(令和5年)」によると(※2、3)、
・日本人男性40歳の死亡率=0.102%
・日本人女性40歳の死亡率=0.059%
であり、ワクチン接種者(ベトナム人)の死亡率が特に高いとはいえない(むしろプラセボ群の方が高い)。
ネットでは5人の死亡が強調されているものも見られるが、全体人数と死亡率を見れば、ワクチン接種が原因と判断するのは無理がある。
効果については、2回投与で、あらゆる重症度の COVID-19 に対する有効性が56.6%であった。 事前に設定された成功閾値は30%であり、これを上回ったため、効能は充分に有るとみなされた。
特に重症 COVID-19 に対する有効性は、18~59歳の健康人では100%、同年齢層の健康リスクを持つ者では91.9%、60歳以上では94.4%であり、レプリコン・ワクチンの効能は大きいと言わざるを得ない。 また、これら有効性は、男性と女性の参加者で同様であった。
以上より、新技術ワクチンの不確定要素は慎重に見守るべきだが、少なくとも第1~3a相の210日間と第3b相の92日間については「安全性と有効性は十分に確認できている」と解釈できる。
3.レプリコン・ワクチンの日本での承認審査に使われた承認審査報告書(※4)
前掲論文の第3b相92日目よりも後の210日目までの情報を掲載したものである。
第3b相において92日目以降はワクチン群とプラセボ群を入れ替えた。
すなわち、92日目までにレプリコン・ワクチンの接種を受けていた人達はプラセボの接種を受け、プラセボの接種を受けていた人達はレプリコン・ワクチンの接種を受けた。
(効果が一群に偏らないような入れ替えは、医薬品試験ではよく行われる)
この93~210日目における死亡例と死因は以下の通り。
・ワクチン~プラセボ群=9/7458例(0.121%)
(内訳=事故死が2例、急性心筋梗塞、敗血症性ショック、外傷、口唇がん/口腔がん、悪性肺新生物が各1例、特定できない死亡が2例)
・プラセボ~ワクチン群=4/7349例(0.054%)
(内訳=コロナ感染が2例、頭蓋脳損傷、脳血管発作が各1例)
mRNA ワクチンで懸念された心血管関連の死因はあったが、約1万5千人中2人であり、他の死因を含めても、ワクチンが原因と判断するには無理がある。
従って第3b相の全210日間について「安全性と有効性は十分に確認できている」と解釈できる。
4.旧来の自己増殖ワクチン
審査報告書(※4)および「医薬品の一般的名称について」(※6)によれば、このレプリコン・ワクチンは、
・ベネズエラ馬脳炎ウイルスから単離された「レプリカーゼ」という、RNA を増殖させるタンパク質
・新型コロナウイルスのスパイクタンパク質
の、2種類のタンパク質をコードする mRNA を組み合わせたものである。
細胞内でレプリカーゼがスパイクタンパク質の mRNA を増幅するので、従来よりも少ない量の mRNA で済み、しかも長期にわたって免疫獲得できると期待されている(中和抗体価が1年程度維持されるとのデータが得られている※7)。
自己増殖する性質そのものに対する懸念も見られるが、それは旧来の弱毒化ウイルス・ワクチンでも同様である。 たとえば、風疹、麻疹、黄熱病などのワクチンはウイルスそのもので作られており、体内で増殖し、当然、副反応のリスクもある。 麻疹、いわゆるはしかのワクチンは、体内で増殖するが、幼少期の接種が一般化しているのは、実績が多いからだろう。
5.シェディングについて
レプリコン・ワクチンは自己複製する mRNA であるため、接種者は少なくとも約1年間という長期にわたって、高い抗体価を維持し続ける。 その間、ワクチン成分やスパイクタンパク質が、接種者の呼気や皮膚からエクソソーム(細胞が分泌する液小胞)を介するなどして、非接種者に空気感染したり接触感染するのではないかと言われている(シェディング)。
接種を望まない人に、ワクチン成分やワクチン由来のスパイクタンパクが取り込まれれば、倫理上、大きな問題である。
しかしシェディングは、理論的には有り得るものの、現実には可能性が非常に低い。
科学的に実証するには動物実験が必要だが、きわめて低頻度でしか起こり得ない事象のため、検証が困難である。 臨床試験や実際の使用データから見ると、シェディングのリスクは非常に低い。
仮にシェディングがそれなりの確率で起こるなら、2024年10月1日以降、すでに家庭生活、学校生活、社会活動、通学通勤などで発生しているはずであり、一部の医院や施設においてのみ「お断り」しても意味がない。
5.1 スパイクタンパク質について
スパイクタンパク質に関して言えば、感染性を持つが病原性を持たないため、仮にシェディングで感染しても mRNA ワクチンと同様の自家抗体が作られるだけである。 抗体が新しく産生されれば副反応リスクはあるが、mRNA ワクチンによる副反応のデータはすでに充分揃っており、過度におそれなくともよい。
スパイクタンパク質のシェディング懸念は、3年間使われ続けた mRNA ワクチンにも理論的には有る。 レプリコン・ワクチンよりは短期間にとどまるものだが、きわめて多数の人間が接種し続けた点を考えると、シェディング懸念は長期にわたって広く存在し続けたはずである。
しかしそのような実例は見聞きされないし、「mRNA ワクチン接種者お断り」という主張も見られなかった。
つまりスパイクタンパク質に関するシェディング懸念はほぼ無いと考えてよく、したがってシェディングという事象それ自体がきわめてまれである事をも示している。
ゆえにレプリコン・ワクチン成分や、その他の何らかの物質についても、シェディングは憂慮するに値する事象ではないと考えられる。
実例を示す事も困難なほど、きわめてまれな事象を憂慮するよりは、新型コロナウイルスに感染する事による後遺症や死亡のリスクこそ、深く憂慮すべきではなかろうか。
安全性と有効性が確認された医薬品といえども、意図せず暴露されるのは確かに倫理的問題だが、後遺症や死亡の可能性を高める判断の方が、倫理的な問題は大きいと考えられる。
6.現時点では日本でのみ承認されていることについて
日本でのみ承認された点について、他国で未承認であることが懸念されるが、逆に日本で承認されていない医薬品が他の国々で先に承認されている例は多い。
これは各国の規制当局の判断基準やプロセスの違いによるもので、全世界で同時期に承認されるなんて事は有り得ない。
承認のズレが問題だとするなら、日本で承認されていない医薬品やワクチンは危険なのか。 それならドラッグ・ラグが問題視されてきたのは何だったのか(他国で承認済みだが日本で未承認の医薬品が使えないとき、患者や家族は大きな負担を強いられる)。
このレプリコン・ワクチンは、ベトナムでは追加免疫について承認申請されている他、欧州でも承認申請の段階にある。 米国では、CSL Seqirus 社が米食品医薬品局(FDA)と交渉しており、承認申請に向けて準備中だという(※5)。
7.総論
確かに新技術の懸念はゼロではないが、まれな事象を重視して、有効な利点を捨て去るのは、「事故が起きるから社会からクルマを排除する」ような完全ゼロ・リスク思想であり、多数にとっては支持しにくいだろう。
臨床試験などから一定の安全性が確認されても、未知の懸念は必ずある。 レプリコン・ワクチンは接種210日目までの安全性データはあるが、その先については未確認のリスクが存在するはずだ。
mRNA ワクチンで確認されたアナフィラキシーや心筋炎のような「まれな副作用」は、治験段階では十分に検出されない。
実際に長い期間、多人数に使われることで、「まれな副作用」が少しずつ明らかになり、データが蓄積され、懸念が科学的に検証され、不安が解消されてゆくという経緯が、新しい医薬にはどうしても必要である。
安心が得られるには長い時間がかかるが、mRNA ワクチンは3年間を経て「多数派の支持」を得るに至った。
新型コロナウイルス感染症によるリスクが高い「高齢者および健康不安を抱えている人」にとっては、レプリコン・ワクチンの利点はリスクを大きく上回ると考えられるが、「健康な成人や、重症化の可能性が小さい小児」にとっては、利点はさほど大きくないとも考えられる。
したがって、冒頭に述べた通り、「出典の確かな客観的データを見て、確認済みの安全性と未確認の危険性を理解した上で、接種を受ける本人の健康状況から、個々の是々非々で接種の利点と危険を判断すべき」としか言えない。
そのあたりの考慮を飛ばして、「レプリコンワクチン来院お断り」のような主張を掲げ、不安を煽るのは、賢明ではない。
8.参考文献
※1
・Safety, immunogenicity and efficacy of the self-amplifying mRNA ARCT-154 COVID-19 vaccine: pooled phase 1, 2, 3a and 3b randomized, controlled trials
https://www.nature.com/articles/s41467-024-47905-1
※2
・令和5年簡易生命表(男)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life23/dl/life23-06.pdf
※3
・令和5年簡易生命表(女)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life23/dl/life23-07.pdf
※4
・審議結果報告書 令和5年11月28日 医薬局医薬品審査管理課
https://www.pmda.go.jp/drugs/2023/P20231122002/780009000_30500AMX00282_A100_3.pdf
※5
・自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/011900001/24/10/01/00568/
※6
・医薬品の一般的名称について 令和5年11月27日 医薬薬審発1127第1号
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc8085&dataType=1&pageNo=1
※7
・Meiji Seika ファルマの自己増幅型ワクチン、非科学的主張には「厳正に対処」
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/24/09/25/12402/
・【10月1日より接種開始】新型コロナ「レプリコン・ワクチン」は本当に大丈夫なのか?ワクチンの第一人者が答える
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/83429
……本記事は、このウェブページを骨格として、足したり削ったりして作ったものである。
・新型コロナ「レプリコン・ワクチン」になぜ懸念の声?mRNAが自己増殖し長期間の効果に期待、だが承認は日本のみ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82985
・新しい診断、治療:「エクソソーム」の可能性
https://www.do-yukai.com/medical/137.html
(以上)
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