僕を救った言葉

僕の大学サッカーは挫折から始まった。部員約250人のサッカー部はレベル順に6つのカテゴリーに別れ、活動している。新入生は最初の1か月で実力を判断され、各カテゴリーに割り振られる。新入生の約7割はセカンドチームにあたる、U-20というカテゴリーでプレーするが、このカテゴリーに入れなければ大学サッカーはほぼ終わり、プロなんて夢のまた夢、先輩にはそのように聞かされていた。だから何としてでも、そのカテゴリーに滑り込むべく死に物狂いでプレーした。

そして、1か月後、ついに迎えた発表の日。

緊張感のある雰囲気の中、ライバルの名前が次々に呼ばれていく。

ホッとした顔を見せるライバルたち。

だが、最後まで僕の名前が呼ばれることはなかった。

信じられなかった。誰とも会話することなく帰った。周りも気を使ってくれたのだろう、僕に話しかける人は1人もいなかった。

泣いた。ひたすら泣いた。この4年間どうやって乗り切ろうか本気で考えた。サッカーどころかそもそも友達もできないんじゃないか。そんなことすら考えた。

そして、僕は次の日から下から2番目のチームでプレーすることになる。

そのチームは遅刻当たり前。無断欠席当たり前。初めての環境だった。

僕が思い描いていた大学サッカーとはまるで違った幕開け。

現実を受け止められず、腐りかけていた僕を2つの言葉が救ってくれた。

兄の言葉

僕は、普段はほとんど連絡を取ることのない兄にLINEをした。

行き詰まった時に、気づけばLINEしてるってことはたぶん尊敬してるんだろう。

僕「1年生の上のチーム入れへんかったわ。終わった。」

兄「なにゆーてんの。最後に1番なればいいんちゃう」

僕「そやな。絶対1番なるわ」

兄「そんなん人に言わんでええねん。自分の中で思ってがんばれ。」

端から見れば、ただの兄弟の会話かもしれないが、メンタルズタボロの当時の僕にはおもいっきり刺さった。

多くの苦しい思いをし、自分の力で乗り越えていた兄を知っていたから、その時発せられた言葉にはあり得ないぐらいの力があった。

関本恒一(中学時代の恩師)の言葉

彼は2016年1月23日に37歳という若さで他界した。こんな素晴らしい人になぜこれだけの短い命しか与えなかったのか。神様どうかしてる。

僕が心の底から尊敬する彼が最後に残した言葉。

「未来は明るい」

痺れた。どれほど強い男なんだ。亡くなる直前に「未来は明るい」なんて今の僕じゃ言えるはずない。

サッカーでうまくいっていないだけで、ああだこうだ言ってる場合じゃない。目の前の現実を素直に受け入れて頑張るしかない、そう思えた。

こんな言葉たちに支えられ、僕は大学4年間を走りぬいた。

下から2番目のチームから始まった大学サッカーだったが、最終的にはトップチームも経験することができた。あの時、諦めなくて本当に良かった。

周りの多くの人に支えられ、もう一度自分と向き合い努力することができた。

辛い状態を救ってあげられる一言を言える人間はすごい。僕にはまだまだそんな力はないけど、いつか僕の言葉で多くの人を元気にしたい。夢を追いかけるエネルギーを与えたい。僕を救ってくれた兄や関本さんのように。

言葉に力を上乗せするのは、毎日の自分。

よっしゃ明日もがんばろー!!!!

今日もここまで読んでいただきありがとうございます。

蟻の一歩でもいい、今日より成長した自分になるために!

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