何と比べるか
「それって何と比べて高いと言えるんですか?」
とある企画部署で働きだして間もない、ある日のMTG。
自分が発表したデータを示して「高い」と言ったときにつっこまれた一言。
「いやいやそんなんわかりますやん。普段からデータ見てますやん。だいたい知ってるっしょ~」なんて心の中で思っていたものの、おそらく表情は引きつりつつ、冷や汗書きながら、しどろもどろ訳のわからない言葉を口走って、全然切り抜けられず、その場は終了した。
終わった後の自分は「なんやねん。細かいねん。」とか思ってたようにも思う。ただ今は、当たり前のことができていなかっただけだなぁと強く感じる。
感じることは「モノサシ」って大事ってこと。
「モノサシ」がないとちゃんと比べられないし、そうした習慣があんまりなくて、比べないから分かっていないことも、たくさんあるなとつくづく思う。
90点
この言葉を聞いて点数が高いと思うか低いと思うか。
一見高いように感じても、平均が95点ならば90点は低い。
点数が200点満点なら、正答率観点ではめっちゃ低い。
モノサシがないと、人は正しくわからない。
モノサシをどこに置くかで見え方は全然変わる。
そうやって気づいてから、自分の話す言葉も前よりかはわかりやすくなったのではないかなぁと感じている。
考え方も、少し整理できた。
急に話は変わるけど、
自粛って不便。まぁそれはそう。
自粛前の2020年をモノサシにすれば。
でも2000年をモノサシにしたら、
こんなにリモートワークができて、
対応力がある社会になっていることは不幸中の幸いともいえる。
1945年をモノサシにしたら、
戦争中よりも失われる命は圧倒的に少ないし、
急に家が失われることも全くない。
そんな時代と比べれば
仮に自粛して家から出られなくたって
大したことじゃないじゃないか、なんて思ったりする。
モノサシをなんにして、比べ方次第で見え方も全然変わる。
ついついいつもの自分をモノサシにしがちだけども、
少し変えると大したことでもないんじゃない?とか思うこともまずまずある。
「今って何と比べて良くないと言えるんですか?本当によくないですか?」
まぁ歓迎すべき状態ではないし、コロナ前よりはよくないけれど、
人類史で見たら全然幸福。
すっごい右肩上がりのグラフで、若干凹みが生まれたくらいでしょ。
むしろ制約があるからこそ、見つかることもある。
いろんな制約があって、人はここまで来たんでしょうから。
てなことを風呂に入りながら考えた。
たまにはnoteになんか思ったことでも書いてみようかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?