アニゲーにしろ、ドラマにしろ、「それは作品(フィクション)である」から観えるはわたしの主体作用である、だから個の事実である。なら、文学と記事の違いと、俗と研究の認識差に違いがあるのは普通。そして、論破と言う人間ほど話を聞く耳を持たない人間なら対する必要はないだろう。これもまた俗よ

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