シネマチック桃太郎

(昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。)

あれはそう、海岸で拾った巻貝の中の砂つぶを一つ一つピンセットで取り出すかのように、本当に気が遠くなるような月日を隔てた過去のある日のこと。使い込まれたナイフのように鈍い銀色を放つ白髪の割に、どこか若々しさの滲んだ笑みを口元に浮かべる老人の男と、そんな男が醸し出す未だに瑞々しい少年らしさに対し愛おしさと諦めが混ざったような視線を向ける妻である女、そんな老夫婦がこの一連の、奇妙な勇気をくれる物語の扉を意図せず開いてしまうことになる。

(ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。)

澄み切った青い空が、滝のように目に注ぎ込まれるような日、男は重い腰を上げ、身支度を整え始めた。今日である必要などは全くないが、こんな日には何かと理由をつけて外を歩きたくなる。男はそういう性格の人間だ。
「芝刈りに行って来る。」そんな取ってつけたような理由を、ぽつりと一言残し、男は扉を静かに開き、外へと歩いて行った。人が一人いなくなっただけで妙に冷たくなった空気に向かって女は「いってらっしゃい。」と呟くと、洗濯物をくしゃくしゃと木桶にしまい、ささくれた洗濯板を脇に挟んで家を出て行った。

(おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。)

コロコロと鳴くせせらぎの中を邪魔するように、女はバシャバシャと苛立つ音を立てながら、無言で洗濯を始めた。服が綺麗になっているようにはあまり見えないが、水の中を微かに流れる鼠色と焦茶色が混ざった煙のような軌跡が確かに汚れを落としていることを感じさせる。
誰かに呼ばれたかのように、女は視線だけを川上に向けた。さも当たり前かのように、川上には巨大で歪な球体が浮いていた。それは桃のような形と色をしているが、とても食べ物と認識できるものではなかった。人が一人すっぽり入れるほどの物体をどうして食べられると思おうか。

(おばあさんはその桃を家に持って帰ることにしました。)

しかし、この女は違った。男との無限に続くかと思われていた単調な生活の中に突如として現れたこの物体は、ピンクゴールドの輝きを彼女の脳内に浴びせたのだった。
女は思わず洗濯板を手放した。洗濯板が船のように優雅に下流へと流れていき、それと入れ替わるように桃のようなそれが女と相対した。プロゴルファーの打った球がホールへと吸い込まれるように、それが摂理であると錯覚させるほど自然に、女の左手が物体へと伸びる。
新品のウールの絨毯のように滑らかな毛並びが指の腹を撫でる。そして触った瞬間に、指に返ってくる力の大きさからわかった。この物体は見た目に反して非常に軽いのだと。
そう思うと同時に足が動いた。脛が川の水面を裂き、水しぶきが破裂する。洗濯物を背後に投げ捨て、物体に近づく。洗濯物がどこに落ちたかは振り返らない。両手で抱えた物体は、あの日食べた、甘ったるい桃の香りがした。

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