「私がやりたいからやる」をお守りにして生きたい
久しぶりになってしまって、何を書こう…から始まっています。
何をというより、どうやって。どうやって書いてたっけ。書くのって、やめるとやっぱり難しくなるね。
仕事は仕事、生活は生活。意図的に点と点にする感覚も、ちょっとわかる。防衛本能みたいなものなんじゃないかな。分断することで自分の心を守ろうとすることも、私にはあった気がする。
きっとこのスタイルが合っている人もたくさんいる。知り合いでね、社外からも社内からも電話をたくさん受ける部署で働いている人がいて、その人はブースから一歩外に出たらぜんぶ忘れちゃうって言ってた。中でどれだけイライラしていても忘れちゃう、だから天職だって。私はそれを聞いて、へーって感心するしかなかったんだけど。未知の世界すぎて。ははは。
そう、だからさやかさんの当時の働き方は間違っていない。でも自分で「続けたくない」って気づいて、自分で違う道を歩き始めたことが大事だと思う。結果として今、グラデーションのうまみを味わっている。
虎に翼は1週目の『地獄の道を行く覚悟はあるの?』『ある』から始まって、そのあともずっと、自分で自分の道を決める、決められる世の中、そんな世の中であるための法とはなにか…という軸がひとつあったと思っている。
『私、好きなこととやりたいことがたっくさんあるの。だからね、この先、私は何にだってなれるんだよ。それって最高の人生でしょ?』
最終週で、こんなセリフがあって。そして彼女はそのまま、何にだってなれる状態のままで大人になっていて、希望だと思った。調べたら50代になってた。自分で決めて、そういう道を歩けているんだよね。
半年間のドラマについて、自分の中で消化しきれていない思いがたくさんあるからちょっと書ききれないんだけど。でも、自分の道は自分で決められる、道を自由に選べる環境にこれからも居たいし、そういう世の中であってほしいって思うな。
話が広がっちゃった。
「ラッキー同志」の考え方がすごく良くて、私も乗っかりたい!
少し話したけど、この前ふと「人のため」が苦しくなる瞬間があって。いや、人のために考えるのは苦しくないし、やりがいだし、それは私の生き方だと思っているんだけど、じゃあ私のために考える人は?時間は?って考えてる自分もいて。
そんなときに「これは私がやりたいからやるんだ」って言葉を、スッと出せるようになりたいと思った。目の前にいる人は、偶然やりたいことが一致しただけ。ラッキー同志だから、お互いに依存したり責任を感じたりしなくていい。その人のためじゃなくて自分のため。それをやることで「自分が満たされるから」やってる。
自己満足、承認欲求。字面だけ見るとなんかなーって思うけど、結局人間ってそんなものよね。私は今、自分が満足したい、人に認められたいと思って生きている。マズローの欲求5段階でいうところの、4と5。1~3が満たされているからこその境地にきたんだ。調べてみてびっくりしちゃった。このまんまじゃん。
そうか、私って人間なんだな(壮大な着地)
さやかさんが「note書きながらコーチング受けてるみたい」と言っていて、私もそう思ってたからすごく嬉しかった。どう着地するのかわかんないけど、書いていったら出てくる感じ。私は話すより書くほうがほんとの気持ちが乗るかもしれないな。星野源も「自分にとってエッセイを書くことはセラピーのようなもの」って言ってました。やったね!
今日のnote、本当にまとまらなかった。どこを受け取るも受け取らないもあなた次第。私が書きたくて書きました。さっそく使っていくぅ!
この前、涼しくなったのが嬉しくて、音楽聴きながら1時間くらい散歩してね。次はこの曲を紹介しようかなってなんとなく思ってたら、
この部分とMVが重なったから、選んでよかったなあって。
昔の私は、この曲の歌詞に何度も救われたよ。
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