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始発電車はドアが2つ、そして歌う

本当は11/23か24に出したかったんです。ダイヤ改正前に。
タイトルには始発電車とか入れてますが今回のネタは始発電車の為だけに設定されてた2352C(京急久里浜→三浦海岸)の話。

京急2100形がそもそも好きだったんです。そんなある時に父から「Wing号最終(当時の85A)が三崎口から回送されて翌日401A(三浦海岸0450発快特羽田空港行)になる」と聞いて小学生だった自分にはそんな夜遅くか早朝に外を出歩けるわけもなくだったので1人で見に行くなんてことは出来ませんでした。この時から土休日ダイヤにも401AはあるがWing号がない、どう2100を回しているのかという疑問を持つことにはなりました。
ただ401A自体は久里浜線内だけでありながらもちょくちょく乗る機会がありました。まだ2100が東洋になる前

時は進み高校時代にもなり曲がりなりにも自分名義の学生定期を持つようになり、更に時刻表を読んでみると小学生以来からの疑問を割とあっさり解決出来てしまいました。
※京急電鉄がインターネット上でイロモノの運用公開と運用行路表公開する前の段階。今みたいに京急公式見たら2157-と6061-の運用わかる訳じゃあなかったのよ…
土休日ダイヤにだけ京急久里浜を2325頃に出て三浦海岸を2335頃に到着する特急三浦海岸行とかいうヘンテコな列車があることに気づき、これが後の2352Cとの出会いでした。とりあえず1度見に行こうと思い、そのまま23時過ぎの京急久里浜へ向かい見に行きました。
2315頃に久里浜下り1番接近(山口百恵の秋桜なんですけど夜の人がいないタイミングで重なったりすると結構怖い)がなり、何が来るかと待ってると急行灯が外側向き、東洋IGBTのブレーキ音。整った側面、そしてドアチャイムが鳴らずに開くドアが開き、53C 特急 三浦海岸と表示した2100形がそこにはいるではありませんか。
土休日ダイヤでいくら接続受けがあるとはいえ乗る人数もそこまでいなく、高校生の夜更かし散歩にはちょうどいい時間だったので自分の暇を見つけては乗りに、撮りに行きました。

真夜中を走るから景色なんてろくに見れない、しかも当時毎日のよう乗っている区間でしたがそれでも2100形で三浦海岸行という放送を聞いたり三浦海岸行を出してるのを見てるとこに惹かれていました。
2013年夏に出場した2101-を皮切りに車体更新が始まっていき2015年3月に青くなった2133-が最後でしたが僕の青春が2100形車体更新車と2352Cでした。とはいえ高校時代から素直では無いオタクだったのでHMやら装飾付の2352Cはあまり撮らずシンプルにいつもの2100形を優先的に撮りに、乗りに行きました。

もちろんその頃にはある程度日中運用から流れを見ていたりしたのですが当時の2352C、特に2年くらい金沢8Eで回されてる時期があり、運用を見れど見れど2101-.2109-.2117-ばっかりでこれではなあとなってる時期もありました(2149-と2165-が車体更新された時期)、直後に行先表示FC-LED化もあったので2149-と2165-の車体更新済み+行先表示方向幕での2352Cは2回程度、2157-青車体未更新+行先表示FC-LEDも1回だけありました。2157-は写真ないけど

無事に社会人になりましたが2352C〜401Aの存在は大きく、2352Cに乗れる時は予定を合わせ、401A使えそうな時は4時半過ぎに駅に行き2100形に乗って出勤なんてこともしてました。

ですが自分自身の転勤が決まり2352Cはおろか8Eに乗る機会が無くなりました(代わりに209系2100番台に乗る機会は爆増したよ…やったね!)
そんな訳で2352Cがなくなる前にはまた乗りに行くかなあなんて考えていたら今回の改正で三浦海岸停泊の運用が青砥始発だの印西牧の原始発になるわ401Aから平日は419A、土休日は459SHになるだのと流れてきたのでまだ未撮影だった2117-充当の11月5日とダイヤ改正前最後の2352Cと8E三浦停泊を見に11月23日に三浦まで行きました、、、1525-のさよなら飛急HM?そんなものは知らん。
11月23日、実は朝方に人身事故にあった結果なのか、2352Cに流れる日中運用がまさか3ドア代走となりどの編成がくるか分からず京急久里浜駅へ向かいました。
そして接近が流れてカーブの向こうからくる2100形の左側2桁の数字を見てみると「41」と書かれていて
羽田空港開業から続いていた401A最終充当編成が、三浦海岸停泊する最後の2100形が、最後の最後に53C 特急 三浦海岸と表示して営業する最後の2100形がまさかのぼくの最推しの2141-で来るとは夢にも思わずまさかの感動をしてしまいました。京急電鉄に圧倒的感謝。たまたまだと思いますが2141-の2352Cで最後を〆られて本当に良かった…高校時代からの思い出、聞きなれぬぬるぬる自動放送、そして唸る東洋IGBT。1度留置線に引き上げ、ホームに戻り翌日の支度のため快特羽田空港と表示してパンタを下げ、海からの夜風を浴びながら4時50分の出発まで凛と待つその姿は何も変わらずにかっこいい姿そのままでした。2100形自体の空港線直通運用はまだありますが、1999年の羽田空港駅開業からずっと三浦海岸上り1番列車の快特羽田空港行が各車両2つドアでなくなる、蒲田→羽田空港で座席の向きが逆になる2100形というのはひとつの時代の終わりが終わった、僕の青春の一コマが終わった感覚になります。
401A自体混雑激しかったので割と3ドア化して当然といや当然ではあるのですが…

あと実家にある京急時刻表見たら1999年くらいだと2352Cではなく2368Cと書いてあった記憶があります。いつの改正から2352Cになったのか調べましたが分かりませんでしたのでわかる方教えてください。
2352C自体は年1、三浦国際マラソンのタイミングで毎回3ドア代走して三浦海岸停泊に3ドアが2本入ってました。毎年3月には2352C3ドアみたいなことがあったのです。

2352Cは悔いない形で終われたかなと思います。

さようなら各車両2つドアの京急久里浜始発特急三浦海岸行、そしてありがとう



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