なぜ景観が保持されなければならないのか。

街路樹の話をしていると、大阪市や東京都のような地方自治体が長年愛されてきた街路樹を伐採している・しようとしているような話をよく聞く。とりわけ明治神宮外苑の件は有名だろう。

神宮外苑再開発 警告で考える「再開発のあり方」 伐採計画どうなる? | NHK

この件に関して私はいまいちわかっておらず、もうちょっと追ってみたい内容ではある。もちろん大阪・東京両都市の事例においてはその地域における与野党対立が強いこともあるんじゃないだろうかと思ったり。

伐採反対の立場をとる人は長年愛されてきたと主張するが、果たしてそうなのか問われる必要はあるのではないだろうか。木の寿命は50年から100年。街路樹は排ガス等周辺環境の影響により寿命が短いと聞いたことがある。なんとなくで植えたとか、その当時は必要性が高くて植えたとか、そうしたものがずっと残り続けてこれから生きる住民たちに費用や管理負担を押し付けてもいいのだろうか。

などといろいろ考えていると、結局のところ問われるべきは、「なぜ街路樹景観が維持されたり維持されなかったりするのか」なのではないか。文化財と指定されればそれは守る対象になる。そうじゃなければ更新される。その間にあるものとはなんなんだろう。

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