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自分を力強く後押ししてくれるものは、それを喪った時にはじめて、その力強さを痛感するもの

近くに美味しい坦々麺のお店を見つけてホクホクした気持ちで昼休みから上がった午後イチ、時と呼吸が止まった。

ここのところ、ロックのレジェンド達の訃報が不自然なくらいに相次いでいる。ただし、そのレジェンド達は奔放な青年時代を全速力で駆け抜けた上で70代、80代まで生き切った人たちがほとんどであった。言うなれば、僕が中学生、ギターを一生懸命弾いていた時には既にレジェンドだった人たちばかりだ。

しかし、ハイスタは明らかに違う。音を頭と体と指先に叩き込んで、目を瞑ってもその音が聞こえてくるくらいに聞き込んでいたリアルタイムのミュージシャンだった。不朽の名盤「MAKING THE ROAD」が出たのは1999年。僕が中学2年生の頃だった。インディーズ盤なのでメジャーなレンタルショップでは借りられず、お小遣いを貯めてCDを買った。

エドワード・ヴァン・ヘイレンが死んだ時、ヴァン・ヘイレンというバンドも自動的に死んだと思ったのと同じ感慨を抱いている。ツネの死により、ハイスタも死んでしまった。他の2人も最高のミュージシャンで、実際にソロワークで活躍しているが、ハイスタはこの3人でないといけなかった。

何故かはわからない。一つヒントがあるとすれば、活動再開のニュースをとても嬉しく感じられたからだろうか。大抵のバンドの再結成や活動再開のニュースはどうしても懐疑的に見てしまうのだが、ハイスタだけは別だった。完璧なチームワークを3人が奏でる音に見出していたのかもしれない。

血肉に染み込んだ音楽には、否応なしに色々な記憶が付随する。どうせパンクだから簡単だろうと思って気軽にコピーしてみるも、実はかなり練られた技巧とアンサンブルで全然形にならなかったこと。今となっては一線級のプロになるまで上達したドラマーがstay goldのテンポとフレージングに「東、これつらすぎる」と音を上げたこと。gloryのイントロをダウンピッキングだけで挑戦したこと。わざわざ12月24日に音楽館の四畳半のスタジオを予約して、男4人で身を寄せ合って練習したこと。そして、そんなこんなを、今日まですっかり忘れて生活していたこと。

大人には、自分自身を叱咤や激励しながら無理矢理にでも前に進まなければいけない日というのが結構頻繁に訪れる。何に叱咤、激励されるかは、人による。麻薬のような恐怖に追い立てられる人もいれば、仕事終わりのビールで済む人もいる。

僕は、自分の中にちょっとだけ残っている熱にふうふう息を吹きかけてはそれを大きくしてなんとか前に進む熱源にする、みたいなことをずっとやってきた。その熱源の元がなんであるかはあまり考えずに、時に消えかけそうになる熱を一生懸命維持することだけを考えてきた。

しかし。

訃報に触れて、その熱源のある場所にぽっかりとした真空地帯が生じた気にすらなってしまった。音楽の死。それも、20年以上前に必死に聞いていた音楽。そんなものが、まさか、ギリギリな自分を動かす原動力の一部になっていたなんて。人間、何を恃みに生きているかわからない。

それでも。

今日も昨日とは違う夕暮れを迎えて、また明日も同じように新品の朝と夕暮れが巡る。僕はまだこの世に生かされているものとしてギリギリでも生きていかなければいけないし、生きてきた自負も少しはある。音楽は死んだが、音楽がもたらした熱は、たぶん僕が死ぬまで消えない。

だから大丈夫だ。泣かない。だって、僕は強い子だから。


より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。