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プリキュアで泣く大人について

「映画ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!」を見てきた。もちろん娘が見たいと言ったからだが、見たいと言ってからの我々親の反応は早かった。なんなら、序盤は娘が映画館の迫力にびびって妻と中座して、僕一人で観ていたくらい。

素晴らしかった。どんな言葉も陳腐になってしまうくらい、完成度が高かったと思う。大人もろとも泣かせにかかった時の東堂いづみ先生あえて先生と呼ぼう)、ならびに東映アニメーションのプリキュアチームの底力を見せつけられた。若干の説教臭さを感じたヒープリの最終回自体では泣けなかったので、完全に油断していた。

まだ疫病が本格的に流行り始める前、同僚と飲み屋でプリキュアの話をした。オタク、またはオタク気質の人間の濃度が濃ゆい会社なこともあり、30を越えてだいぶ経つ男が熱くプリキュアを語っても引かれない心理的安全性があった。めいめいビールを片手に、プリキュアを語り合った。

その中で同僚の一人が言った。「プリキュアは、泣く」

ノータイムで同意したものの、その具体的なメカニズムについては思いを馳せていなかった。そんな熱い飲み会の直後、日本は疫病禍に飲み込まれてそれどころではなくなってしまった。

今ならわかる、プリキュアを見て何故大人である僕が泣くのかを。

まず一つは、プリキュアの一年のクールの中で成長していくキャラクターと、自分の子供の成長がオーバーラップするからだ。幼児の1年の成長は刮目すべき飛躍で、もう別人と言っていい。様々な事情や成り行きでプリキュアとなった登場人物が一年という時間の中で螺旋状に成長して、より大きな理想を育てその実現に近づいていく様は、子供が無意識に貪欲に世界を獲得していこうとする姿に被る。これはグッと胸に迫るものがある。泣ける。

次に、登場人物がなんらかの葛藤と共に生きている様子が描かれているからだ。本当にこれが正しいのだろうか、みんなのためだろうか、家族のためだろうか、地球のためだろうか、宇宙のためだろうか。それぞれのキャラクターの葛藤と共に、世界ののっぴきならなさが加速して、否応なくそれぞれの決断をさせられる。

もちろんそれは、プリキュアだけではなくて現実世界の中学一年生、二年生においても、男女問わず起きていることだが、自分にもあったそののっぴきならない記憶が話の展開と複雑に絡み合って感慨深いものがある。泣ける。

最後に、途方もない創作への熱さがアニメーションの後ろからビンビン伝わるからだ。いろいろなアニメへのリスペクトが感じられ、かつ、自らがトップランナーとしてアニメの新しい歴史を作っていこうとするのが感じられる。

ご存知の通りプリキュアは大抵のシリーズでゴリゴリの肉弾戦を展開する戦士達なのだが、その裏には「プリキュアは『女の子向けだから』という決めつけを捨てた」という逸話があり、女の子のためではあるものの、女の子がどう生きていくべきかというのが考え抜かれた設定である旨が、初代プロデューサーのインタビューから語られている。

プリキュアの戦闘シーンはあくまで記号であり、それをそこにそういうふうに置く意味が深い愛と考察と共に込められている。熱い。泣ける。

色々書いてみたが、やはりその熱さに共鳴して泣かされるようだ。スポーツでも、WEBコンテンツでも、そして文学であろうと、僕はその通奏低音として熱い血が流れるものにギュンと心を掴まれて取り込まれるタチだ。

ちなみに僕の推しはキュアスター、星奈ひかるさんです。彼女の曇りなき目が理想を語り世界と宇宙を救い、最後に自分自身の大きな大きな夢を叶える様は、最終回から一年以上経った今でも、たまに思い出して泣ける。


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ヒガシ note inc.

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ロードバイクのガツンとした部分を愛するnote株式会社のコーポレートIT担当。女の子の親でもあります。