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はっきり言って、かなり疲れてる

日記(?)です。

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はっきり言って、かなり疲れてる。

保育園が事実上閉鎖されて2週間。その後に到来したどこにも出かけられないゴールデンウィーク。なんとかしてこの日々を楽しもう、できる限りクリエイティブに乗り切ろうとあれこれやってきたが、今日とうとう、無になってしまった。

うちには子供が一人。年少さんの女の子。この変な状況で情緒が不安定になっているせいか、普段保育園でしていた昼寝をせず、しかし夜寝る時間と朝起きる時間はほぼ据え置きで、慢性的にうっすら眠い状態のせいか、朝起きた瞬間から妙にハイテンションで、我々親は一日の始まりから精神をエグられている。常に何かと闘っている男子の相手も大変だと思うが、常に何かを世話したがる女子の相手も寝起きからはなかなかキツいものがある。

妙なハイテンションのため、ずーっと飛んだり跳ねたりしゃべってたり歌ったりしていて、当然親の話なんか聞かず、そのくせこちらには頻繁なポーリング応答を求め(それも妙なハイテンションなので、特に忙しい時は本当に鬱陶しい)、夫婦の処理能力の大半を娘に消費され続けている。

仕事のヘルプデスク対応や急ぎの案件、動作検証などを片付けつつ、娘のヘルプデスク対応もしなければならなかった時は本当にげっそりした。(「トラブル対応しているクソ忙しい時、横から文句言ってくる半可通の偉い人の対応をせざるを得ない状況」を想起ください。)

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自分で言うのもなんだけど、仕事もプライベートもここまで結構がんばったと思う。もちろん、医療や小売、物流の最前線で戦っている方や、行政セクターで仕組みを全速力で整えている方と比べて「相対的ながんばった量」が少ないのはわかっている。しかし、「絶対的ながんばった量」はワタクシ実績比で平素の約120%で、今日とうとうキャパが尽きてしまったのだった。割とキャパの大きさには自信がある(こっそり告白すると、それでメシを食っている自負がある)ものの、同じ作業量でも、インタラプトが頻繁に発生する場合の消耗は激しいということなのだろう。

何が一番つらいって、子供を鬱陶しく思う一方で、子供をなるべく楽しませてあげたいと思うジレンマに陥っていることだ。しかし、所詮、我々は遊びの素人なので、想像力の限界がかなり早い段階で訪れて、iPadをあてがって時間を稼いだり、Amazonプライムの中にいるしまじろうに娘を託すほかなかった。継続的かつ組織的に子供の遊びをプロデュースして、その過程で発育まで担う保育士の仕事は、真にクリエイティブなものであると骨の髄まで痛感した。

(そんな状況で、娘はひらがなの読みをマスターしたので、純粋にすごいと思う。)

さっき一瞬仕事のことに触れたが、正直言って仕事は全くつらくない。やりたいことだって次々浮かんでくる。とにかくプライベートで削られている。なんなら、プライベートから無意識に逃避して気付いたら仕事のSlackを眺めたりしてしまっている。今だって、気を抜くと娘をほったらかしてMacBookの新しい社内標準を妄想したりしている。それだけでもなかなかキテると思うが、爆弾と化した娘を妻が一人で面倒を見てることに気づき、自己嫌悪が再帰的に生成される。

Twitterのタイムラインにて、いつも通りクリエイティブを発揮しているみんなを見て乾いた気持ちになっていることに気づき、いったん自分の内情を言語化することにした。娘は可愛いし、我が子ながら尊敬できる部分もいっぱいあるし、救われることもたくさんあるけど、今はとにかく疲れたんだよ。

ただ、マシだと思っていることがある。それは僕が「疲れてる」ということを自認できていることだ。そして疲れてる理由をざっくり言語化できる程度にいくばくかの余裕と、残りカスのようなクリエイティビティが残っているのも救いだ。(愚痴っぽい文章ですが、ちょっとは面白く読んでもらおうと書いてます)

しかしいまは疲れてるんだ。みんなには悪いが、今日こっからは自分の好きなことだけさせてもらおう。英語の勉強もナシだ。今井さんのローストチキンを焼いて、ビール飲んで終了にするぞ。明日はびしっと娘と向き合おう。

おしまい。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。