バーニングマン2023振り返りDay7 or 8-隔離

土曜日、あるいは日曜日

バーニングマンも後半になると、今日が何曜日なのか、いつからが昨日なのか、時間の感覚が失われてくる。

だから、なんだと言うのだ。デフォルトワールドの時間も地図も、僕たちが無限の世界を限定するための、一つの指標に過ぎない。本当にそこまで考え抜かれて設計されたのか、それとも度重なる偶然が、この街をこのような形に有機的に進化させたのかは僕には分からないが、BRCは理由など説明せず、ただそこに生きるバーナーに「今、ここしかない」と容赦なく現実を突きつけてくる。

しかし、断続的に降る雨が、ここにいつまでいることになるのか、頭の中で数えることをやめさせてはくれない。Aが僕に教えてくれた、スタッフ間で共有されている最新情報によれば、BRCの出口ゲートは水曜日まで開かない公算が高かった。先だってのハリケーンで地面の深い層に大量の雨が残っているため、たとえプラヤの表面が乾いたとしても、安全に全員の車が通ることが出来ないというのだ。

遅くとも月曜日にはデフォルトワールドに戻る予定だった殆どのバーナーたちにとって、ゲートがいつ開くのか、は最大の関心事となった。もはやマン・バーンがどうなるか以上に、いったい自分たちがここからいつ出られるのか、が話題の中心だった。その場に留まり続報を待てと繰り返す公式ラジオから、人づてに拡まる不確かな伝聞まで、量ばかり多く人を確信させるに値しない情報は、人々の行動をおよそ4通りに分けた。

1-我先に、と荷物を畳んで脱出を試みる人たち。バーニングマン後の出口渋滞は悪名高いので、少しでもゲートに近づきたかったのかもしれない。まあ、事情は人それぞれだ。

2-公式のアナウンスに従いキャンプに留まってはいるが、月曜日からの仕事や予定の心配で、頭がいっぱいになってしまった人たち。

3-最初からサバイバルするつもりで来ているし、時間にも多少余裕があり、殆ど動じない人たち。むしろ今年だけの「Muddy Man」を楽しんでしまおうという人たち。

4-積極的に動き回って、近所の人たちをチェックして必要な物を分けにいったり、元気づけたり、コミュニティリーダー的な立ち振る舞いが出来る人たち。

僕とD、それに雨のおかげで親しくなることが出来たPとBは、3のグループだ。泥の海の真ん中に堂々とディレクターチェアを陣取って本を読むBの写真を、どこかのニュースサイトがデカデカと掲載したのを、彼女が見せてくれたのは日曜日だったと思う。見出しは確かこんな感じだ。「泥だらけのフェスティバルも思い思いに楽しむバーナー達」

ストリートの知恵を遺憾無く発揮して、周囲を忙しく走り回るAは、間違いなく4のタイプだ。どこかとぼけた感じなのでそうは見えないが、元看護師のDもこのグループに入れてもいいかもしれない。彼が誰彼構わず声をかけてくれるおかげで、近所の輪がどんどん広がっていった。

かわいそうだったのは、月曜日にはニューヨークに戻っていなければならないJとM、子供の誕生日が控えているEだった。特にMは本当に心配そうに落ち込んでいたので、彼女を元気づけたくて、僕は度々2人のところに話しかけに行っていた。

彼女たちと話していると、それに便乗してどこからともなく男性が集まってくるのは、流石美人のなせる技、といつも感心していたのだけど、土曜日の午後そうやって彼女らに引き寄せられてやってきたのは、明らかにLSDかマッシュルームでトリップして意識が溶け出してしまっている、DDという若い男だった。

初めのうち僕は、一言の言葉も気配もなく僕の隣から2人を見つめるDDに気が付かなかった。僕の肩越しの何かを見て2人の表情が凍りついているのに気づき、チラリと横を見ると、90年代からタイムトラベルしてきたような、ニット帽とカーディガン姿のDDが、ウットリとした目つきで彼女たちの美貌に吸い込まれていた。

明らかに2人が怯えているのがわかったので、適当な会話で区切りをつけDDを追い払おうと試みたのだが、そもそも話が全く噛み合わず、どうやってもDDの意識を2人から引き離すことができない。だが酷くトリップしているとは言え、DDから悪意は全く感じられない。このまま荒れ果てたプラヤに彼を放り出すのも気の毒なので、僕はDDを連れて、マンの様子を見に散歩してみることに決めた。そうでもして気を逸らさないと、DDを彼女たちから引き剥がすのは到底無理そうだった。

人の会話にいちいち立ち止まって割り込んでいくDDを連れ立っての散歩はなかなか骨が折れたが、記憶に残る珍奇な経験でもあった。彼が歩みを止め、吸い込まれるように目を離さない景色は、確かにどれもある種息を呑む美しさがあった。夕焼けに染まっていくプラヤの空に顔の半分を照らされながら、DDは念仏のように「What if(もしも)」とブツブツ繰り返した。正確には覚えていないが、

もしも全てが幻だったら
もしも人々が美しかったら
もしも僕の嘘が全てバレていたら

とか、そんな調子だ。僕にはDDの見ているものが見えなかったけど、彼が時折僕に見せる、慈悲に溢れた感謝の表情からするに、なかなかのトリップを経験していたのだろう。

僕たちがキャンプに戻ったのは、もう辺りが真っ暗になった後だった。ここまでの長旅になることは予想していなかったけど、マンをガードしているスタッフに、その日のマンバーンは「絶対にない」と確認出来たことは収穫だった。キャンプ周辺にはまだ様々な噂が行き交っていて、結局何を信じたらいいのか判断するのは難しいことだった。

この後、DDのことで、彼自身からだけでなくJとMにまで物凄く感謝されたし、彼とのマンへの散歩は僕にとっても忘れることのできない思い出となった。殆ど避難生活のようなキャンプも、デフォルトワールドとは別のアルゴリズムでうまく回っているのだった。

イーロンマスクが打ち上げた衛星ネット接続サービス「スターリンク」のおかげで、デフォルトワールドと完全に遮断されたBRCはもうなくなってしまった。このことは残念でもあるが、今年のような状況下では外界の様子を知ることができるのは大変ありがたかった。バーニングマンに人々が「閉じ込められている」という報道は僕たちも見ていたが、それはどこかまた別のパラレルユニバースの出来事のような気がした。

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