バーニングマン2023振り返りDay6-虹

金曜日

朝目覚めると、天気は上々だった。雨は僕の祈りを聞き入れてくれたかのようだった。昨日の予報によれば、このまま週末まで雨が続く可能性が高いとのことだったのだから、僕の祈りの力もなかなかのものだ。

とは言え、テントの外はビチャビチャで、ちょっと外に出れば泥だらけになるのが目に見えた。噂に聞いていた、プラヤの泥だ。ブラックロック砂漠は「砂漠」と言えど、その正体は夏の乾季に水が蒸発してカラカラに干からびた、ブラックロック湖の底だ。雨が降って水分を含むと、細かい粒子状に砕けた「砂」はたちまち元の湖底に沈んでいた粘度の高い泥に戻る。陶芸に使う粘土を思い浮かべて貰えれば近いだろう。

この時点ではまだマシだったかもしれないが、後日ラジオから聞いたことには、僕たちのいた5:30ストリートは、最もコンディションが悪かったらしい。ぬかるんだ地面を歩くとたちまち靴底に泥の層がこびりついてくる。さらに靴底にねぎ取られた地面がボコボコになってしまい、泥のこびりついた靴で不安定な地面を歩くのは一苦労だった。車が通ったところは轍が出来て、さらに酷い状態だ。自転車で移動するのは、もはや困難になってきていた。普段なら目と鼻の先にあるポータポッティ(仮設トイレ)に行くにも、3-4倍の時間がかかってしまうので、ギリギリまでトイレを我慢していたら漏らしてしまいそうで注意が必要だ。

Dは早々に空ペットボトルに小便をためる作戦に移行したが、僕はやはり少し抵抗があったため、その後雨が本格的になって、トイレで小便禁止になるまでは(汲み取りのバキュームカーが会場に入って来れなくなってしまったため、少しでもトイレが満杯になるのを遅らせる必要があった)ポータポッティまで頑張って何往復も旅をした。熱中症対策で水をガブガブ飲む習慣が出来上がっていたので、トイレが近くなって大変だった。

プラヤがこんな状況なので、自然とご近所さん同士で集まる機会が増える。中心になっていたのは、RFのキャンプだ。彼らの振る舞いで毎朝タコスを配っていたので、そこに集まっては音楽をかけて踊ったりしていた。新たに到着したPとB、これまであまり話すことはなかったが、お互い存在は知っていて挨拶くらいは交わしていたチャンスとも仲良くなることができた。

プラヤはグチャグチャになってしまったが、バーナー同士のコミュニティ感はグッと高まって、どんな状況にもポジティブな側面があるのだなあ、と身に沁みた。ちょっとした気遣いや助け合い、声の掛け合いが、前にもましてご近所さん同士を繋いでいくのが分かった。

さらにこの日「自分のための1日にする」とAがキャンプに戻ってきたのには、それがどんな事情だったにせよ、僕は密かに喜ばずにいられなかった。「自分のための」と言う言葉から、1人でゆっくり過ごすつもりなのかと思ったが、僕とプラヤに繰り出したいと言うのだから、それは嬉しいに決まっている。

ちょっと彼氏に悪い気もしたけど、まあ、こちらもAとは最初から遊びに行く約束はしていたので、今日それが実現してもいいだろう、と思った。どちらかと言えば先に約束していたのはこちらだし、余計なことは考えず、晴れ間が広がっている今を大切にしたかった。デフォルトワールドではあまり褒められた行為ではないかもしれないけど、ここはバーニングマンだ。本人たちがそうしたいのに、他の誰がそれをダメだと決めるのだろう。

昨日の雪辱を果たすように、活躍のチャンスがなかったクマの着ぐるみを着て、2人でプラヤに向かった。特にしたいことのアイディアがあった訳ではないけど、久しぶりに彼女と行く実況付きの散歩は魅力的に思えた。実際には、暗く狭いテントから解放されて、胸に溜め込んでいた小さなストレスからなる塊が崩れて行くに連れ、饒舌になっていったのは僕の方だった。

しばらくして、水のボトルをどこかに落としてしまったのに気づいた僕は、Aを残して、直前に遊んでいたインタラクティブアートのところまで戻ることにした。水を持たずにプラヤをうろつくのは危険だし、落とした水筒はMOOPになってしまう。MOOPとは、Matter Out Of Place(場違いなもの)の略で、元の自然環境に無かった、全ての物を指す。もともとゲリラ的なアンダーグラウンドイベントとして始まったバーニングマンでは、原則8「Leaving No Trace(証拠を残すな)」に乗っ取って、会場の自然環境を徹底的に現状回復する必要がある。そのため、人が持ち込んだものは「髪の毛一本残さず」全て持ち帰らなければならない。そして、自分の残した証拠を隠滅するのは、各参加者に課せられた責任なのだ。環境保護の観点から原則8を捉える人は多いが、その裏にはバーニングマンの歴史が見え隠れする。

だから、自分が落としたものを回収するのは自分の役目だと分かってはいるものの、雨の後のぬかるんだプラヤを歩いて、あるかないかわからない水筒を探しに今きた道を戻るのはだいぶ億劫だった。たまたま近くを通りかかったカートが声をかけてくれて、後ろの席に同乗できた時は本当にありがたかった。多分クマの着ぐるみのおかげで目立っていたのだろう。

僕を拾ってくれたのはBRC公式ラジオのスタッフの2人組だった。もうすぐ再び嵐がやってくる予報だから、それを知らずにまだプラヤをうろついている人達に声をかけてまわっているらしい。ドライバーの男は、恐ろしく口の悪い皮肉屋で、僕が友達を残してきていることを伝えると、「全く、どいつもこいつも友達を誘いやがって!オレたちは友達はお断りなんだ。友達はよしてくれよ。チクショー」とブツブツ言いながらも、アレクサンドラのところまで車を飛ばしてくれた。

プラヤにいる人たちに向け、早く自分たちのキャンプに帰るように促しながら「やれやれ、一体いつになったらコイツらは学習するんだ」なんて悪態をつきまくっている。僕らはそれを、他人事のように聞き流しながら、殆ど人のいなくなった、今まで見たことのないようなプラヤの大平原をカートで爆走するという幸運を楽しんだ。前列のスタッフに気づかれないよう声を上げずに大きくハイタッチしていたのがバレていたのか、「MOOPがないか、今からアートの周りをチェックして回るけど、文句はないな?」なんて言いながら、プラヤに散在するアートを1つひとつ案内してくれた。「夜になったらこれはすごい綺麗なんだけどな」なんて教えてくれたけど、もう夜の一番の時間帯にここを訪れることは、誰にもできないだろう。どうやら今度の雨は、昨日より深刻度がだいぶ高いみたいだった。

バーニングマンに初めて来た時は「世界中いろんな国を旅してきたけど、こんな光景今までどこでも見たことがない」と驚愕した。2回目、3回目とBRCに帰ってきた時は、その夢や幻のような光景が、やはり実在していることに感動した。4度目となる今回のバーンでは、自分には当たり前になってきてしまったことにいちいち大はしゃぎしている初心者を少し冷めた目で見ていたりすらした。なんだか、かつて自分がデフォルトワールドで子供時代に感じたことの繰り返しになってしまうのではないか、薄っすらと恐ろしくもあった。

今、目の前に広がっている人気のない泥だらけのプラヤは、嵐を目前に静かに荒れ始めた海面のようだった。ゴツゴツしたカートのタイヤが泥の海に刻みつける轍が水平線まですうっと伸びていき、まるで僕たちを乗せたスピードボートが海面に波を立ててどこまでも走って行くみたいだった。今になって、まさかこんな未だかってない風景を目にするなんて、思ってもいなかった。僕は自分が失ったものと、その代わりに得たものについて想いを巡らしていると、カートは「NO DANCING」と掲げられた巨大なオブジェの横を通り過ぎ、ラジオステーションへの帰路へと向かっていった。僕はプラヤが僕に贈る特別で皮肉なメッセージに、思わず吹き出した。チクショウ、今日こそAと一緒に、踊りまくるはずだったのに。

ほぼ貸切状態のプラヤからキャンプに戻った僕たちを迎えてくれたのは、大きな二重の虹だった。僕の記憶は既に曖昧で、まさかあの後さらにこんなに素晴らしいプレゼントがあっただなんて、信じられなくなってしまっている。いくらなんでも、出来過ぎだろう。端から端までプラヤをすっぽりと包み込むように、遮るもののない巨大な空間を贅沢に使って描かれた虹は、呆気に取られるくらい完璧過ぎた。

倒れていくドミノのように空を見上げる人たちの輪が広がり、プラヤのここかしこから歓声が上がった。虹を超えてプラヤの遥か彼方まで拡散した意識が、一気に今ここにいる自分の体内に戻り、また他の人たちと繋がってプラヤの遠くへ帰っていくようだった。歓声は遠吠えのような叫び声へと変化して、遠くから近くへ、また遠くへ、こだまのようにつらなっていった。

もはや天体ショーと言っても過言ではないスケールのダブルレインボーを見て「今年はこれを見るために来た」と思ったバーナーは多いだろう。プラヤのこの様子では、明日のマン・バーンは間違いなく延期だろう。でも、もうそれでもいいんじゃないか、そんな気がしたのは僕だけではなかったはずだ。


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