バーニングマン2023振り返りDay5-雨

木曜日

木曜日は、今年のバーニングマンで僕が一番楽しみにしていた日だった。僕が好きなアーティストやDJのステージが、この日に集中していたのだった。水曜日までは、いわばウォーミングアップで「今日から本気を出す」と言った気持ちでいた。今年のバーニングマンはスロースターターだけど、きっと、これから週末にかけてどんどん盛り上がっていくに違いないとの淡い期待も、この時点では残っていた。

まだ夜明け前、あたりが暗闇の中、僕はBRCの一番端、10:00ストリート&Hストリートまで自転車を走らせた。バーニングマンの通りは、マンとテンプルを結ぶ中央のメインストリートを6:00として、東側2:00から西側10:00まで放射線上に時計盤のように配置される。また、それに交わるAストリートからKストリートまでの通りが円弧のように広がり、一番外側のKストリートを端から端まで歩くと、ノンストップで1時間半はかかるくらいの広さがある。

だんだんと街の外れに近づき、通りが「遅く」なるにつれ、同じ場所を目指すであろう自転車の隊列が大きくなっていく。そう思って群に紛れていると、知らないうちに全然別の群に合流していて、気づけば新しい旅が始まっていることも多いのだが、こんな時間にここでバイクをとばす皆が目指しているのは1つだった。集合場所に着くと、係の男が「Tychoを見に来たのだったらこの先に見える2つの緑色のライトを目指せ、そこが今日の会場だ」とシークレット会場を教えてくれる。地平線の遙かかなたから昇る美しい日の出を迎えながら、サンフランシスコ出身のミュージシャンのチルな演奏と、中東を思わせるエキゾチックな出立ちのダンサー達による美しい火の舞を楽しむ。360°周囲に視界を遮るもののないプラヤの夜明けは格別だ。いよいよバーニングマンも後半。ラストを飾るマン・バーン、テンプル・バーンに向けて捧げられるかのような夜明けの儀式は、太陽がその光と暖かさが包みこむ範囲を広げるにつれ、最高潮を迎えた。この時はまさかこれが今年BRCで観ることのできる最後のステージになるとは考えもしなかった。

Aがいなくなってしまった代わりに、他のご近所さんの間に徐々に顔見知りが増えてきて、午後は隣のキャンプのパーティにDやEとお邪魔した。そこで仲良くなったRFから、その後DISTRIKTという老舗サウンドキャンプに遊びに行かないか誘われたのだが、少し悩んだ末に断って、1人で別行動をとることにした。僕は別のキャンプで、昔大ファンだったKruder & Dorfmeisterと、今一番好きなDJコンビ、Polo & Panが立て続けに出演するのを、どうしても見に行きたかったのだ。

日本出発が近づいてきても何故か気分が盛り上がらず、本当に今年バーニングマンに参加したいのか、憂鬱な気分で自分に問いかけている時も、「でも、今年はPolo & Panが来る」と気分を一転させられるくらい楽しみにしていたパーティだ。新旧のお気に入りDJが同じステージでバーニングマンに出演すると聞いて、僕は最高な形で願いがかなったような気がしていた。持ち込める所持品が限られている中、今年のテーマ「アニマリア」に合わせ、この時のためだけに着ぐるみのクマのパジャマを持ってきていたくらいだった。信じて欲しいのだが、こいつを着た僕はかなりキュートで、「オレのクマダンスでフロアを沸かせてやる」ぐらいの意気込みだった。

DISKRIKTに向かうRFとEと別れ、しばらくR達のキャンプで旧友と過ごした後、一旦着替えにいつものキャンプまで戻ることにした。気が焦っていた僕は、その時プラヤのはるか彼方の山並みを覆う重く暗い雨雲に、気が付いていなかった。

キャンプに帰ると、僕はそこに久々のAの姿を見つけ、嬉しくなった。ひょっとしたらAと彼氏を誘って、一緒に出かけてもいいかもしれない。

しかし、Aの顔は、すっかり曇っていた。彼女はさっきから強くなってきた風にのって、雨雲がこちららの方にますます広がっているのを指差した。Aの彼氏は、実はバーニングマンのボランティアスタッフで、スタッフは今、これから来る嵐に向けて、対策に大忙しだという。彼女も近隣を回って、嵐がやってくるので皆自分のキャンプを離れないように、との指示をして回っていたのだった。

Aの顔はこれまでみたことのないくらい真剣だった。「私はあなたに安全でいて欲しい。だから今日はどこにも行かないで。どのみち今日のイベントは全て中止になるから。」風がさっきよりも強く、テントを叩きつけ、パタパタとなる音がやけにうるさかった。

僕がAの警告を無視して会場となるサウンドキャンプへ向かうべきかどうか悩んでいる時に車で新たに到着したのが、JとMだった。よりにもよってこのタイミングで到着するなんて可哀想に、いったいどんな人だろう、と気の毒に思っていた僕は、車から降りた2人を見てビックリした。ニューヨークから来た2人は、誰がどうみても100%モデルか女優さんで、僕たちのキャンプのご近所さんとしてちょっと目のやりどころ困るくらい美人過ぎた。

最初僕は、彼女たちはここに車だけ停めて、どこかのターンキーキャンプ(高額の参加費と引き換えに、自分で「鍵を回す」以外何もかもやって貰えるルール違反のグランピングキャンプ)にでも行ってしまうのかと思った。バーニングマンには、「スパークル・ポニー」と呼ばれる人種がいる。他人に頼りきりでバーニングマンに参加するようなタイプの、主にルックス自慢の女子(男性にももちろんいるが、大抵女性に対して使われる。これは多分僕が男性だからで、女性バーナーは、自分の見た目ばかり気にして周りの役に立たない男を、こうやって呼んでいるに違いない。悪口として使われるかと言うとそうとも限らず、それはそれでプラヤの華として受け入れられている、と思う)たちのことだ。僕は彼女たちも、その手のキラキラ女子で、週末どこかのパーティに誘われて、そのためだけにやって来たのかな、と想像してしまった。

ところが、彼女たちは、今からここにテントを張るという。これから嵐が来て浸水してしまうかもしれないので、今日は車の中で仮眠して、明日明るくなってからにしたらどうかと提案したのだけど、やはりテントがいいと言って、2人で荷を下ろし始めてしまった。そうこうしている間にも雨雲がどんどん近づいてきているのが分かる。しかたがないので2人がテントを張るのを手伝うことにした。
「自分たちで何とかするから大丈夫」というのだが、やはり彼女たちもペグハンマーを持っておらず、結局テントは僕がたててあげることになった。

バーニングマンの原則2「Gifting(与えることを喜びとする)」は、バーニングマンの10原則のうち、最も有名で、またもっとも誤解されているものだろう。バーニングマンに行く、というと「お金が使えなくて全部物々交換なんですよね?」とか、「みんなにプレゼントを贈り合うんですよね?」とか言われることがよくあるが、それは全くの勘違いだ。確かにバーナーの多くは「SWAG」と呼ばれる手作りの記念品を贈りあったり、何かと隣人に食べ物を振る舞ったりして、人に積極的に「ギフト」を贈る。

しかし「ギフト」は、物に限った事ではないし、その見返りを求めるのは、バーニングマンにおいては、最も恥ずべき行為だ。この、ギフティングという文化を理解するためには、一旦「paying forward (ペイフォワード/恩送り)」という概念を足場にすると分かりやすいと思う。人に受けた恩を返す「paying back(ペイバック/恩返し)」から一歩進んだ考え方が「ペイフォワード」だ。つまり、社会的な動物である人間はお互いに依存しながら生きているので、誰かから受けた恩をその人に返すだけでなく、見えない繋がりで結ばれている、一見赤の他人に見える隣人にも、先回りして恩返ししてしまうことによって善意の輪を広げよう、という考え方だ。

ここから更に一歩突き進めて、恩も何も考えず、とにかく人に喜びを与えることから始めようというのが、バーニングマンの「ギフティング」だと僕は捉えている。だから、日本の「バラマキ土産」みたいなのはギフティングでもなんでもないし、形にとらわれること自体が、もはや間違いだ。あまり難しく考えず、とにかく自分の考える限りの「良い人」でさえあれば、それ自体がギフトでありうる。遠い日本からワザワザこんな砂漠まで参加する人がいることだけでも喜んでくれる人も多いで、僕はつまらない土産物より行為でギフトを送るよう心がけている。

ギフティングを説明するのに、「ギブ&テイク」ならぬ「ギブ&ギブ」だとする言い方があるが、これも言い得て妙だと思う。皆が十分にギブしあえば、テイクすることを考えなくとも十分に満ちたりる。バーニングマンの過酷な環境は、ギフティングによって、過酷ではなくなる。迷子になって脱水症状を起こしかけている人がいれば、声をかけて水をあげたりするし、ペグハンマーを忘れた人がいれば、自分のものを使って手伝う。大きめのシェードをはって、みんなの憩いの場を作るのも、ギフティングの大きな一部だ。SWAGを贈るのは、ギフティングの象徴的な行為に過ぎない。

テントを貼り終えたころ、パラパラと雨が降り出した。僕たちは、互いに無事を祈りあい、それぞれのテントに戻った。最小限の荷物でやってきた僕のテントは、本当に狭い。明け方帰ってきてそれから睡眠をとることになってもグッスリ眠れるよう、UVカット仕様で中は真っ暗になる。僕は暗闇の中、風が僕たちのキャンプを吹き抜け、時に雨がパラパラとテントに落ちてくる音を感じながら、できるだけ心を穏やかに保ち、雨雲がプラヤの遥か彼方へ去っていくところをイメージした。

不思議なことに、暗闇の中の僕の心のざわめきに合わせて、雨風の強さも変化するようだった。僕はできるだけ不安を忘れ、プラヤの神に祈るような気持ちで、いつの間にか眠りについた。

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