バーニングマン2023振り返り Day4 -ファイト・クラブ

水曜日

その日の朝目を覚ますと、EがAと口論しているのが聞こえた。「どこかに出かけるなら、必ず声を掛けて欲しい」と自分のRVに戻ったEを忘れて、3人だけでマンへ行ってしまったからだ。

確かに彼にちょっと悪いことをした、とは思うけど、その日の出来事が刻一刻と変化していくバーニングマンでは、こんなことはよくあることだ。快適なRVに篭り、スターリンクでネットフリックスを観ることにしたEが悪い、と当たり前に僕たちが考えてしまうのは、原則9「Participation(積極的に参加する)」と10「Immediacy (その瞬間を大切にする)」があるからだ。Eは自分だけ仲間外れにされたように感じてショックを隠しきれない様子だったけど、すぐに理解はしてくれたようだ。僕がテントから出る頃には、いつものEに戻っていた。

デフォルトワールドと違って、ここでは予定していたことがアッサリ変更になる。期待していた物事が全然違った方向に進んで、全く違う結果を産んでしまうのは、バーニングマンでの日常だ。そんな時、自分が得られなかったものの代替として授けられた経験をフルに楽しむのがバーニングマンだと僕は思っている。その結果、予想もしていなかった幸運や出会いが訪れる、その瞬間のためだけに、僕はここにいる。そして多くのバーナーが、同じような気持ちを共有していると、僕は信じている。

各々が直面するその瞬間の正しさより、予定調和を重んじるデフォルトワールドに慣れきった人や、FOMO(Fear Of Missing Out =自分だけが楽しい出来事に居合わせないことへの不安)が強い人は、バーニングマンでは苦しい思いをするかもしれない。そして、ここ数年のバーニングマンが惹きつけてきたのは、そういった流行りモノに弱い人たちだというのも、皮肉な事実でもある。また一方で、数回の挫折を経て、そういった人たちがイキイキと今を楽しみ始めるのを観るのも、またちょっとした喜びでもある。

一旦手放してしまえば、楽になる。それは経験からも分かりきったことだけど、無意識の執着から逃れるのは、本当に難しい。僕だって、こうやって3人に会うまでは、ひとりぼっちでテントに篭って、自分以外のみんなが楽しそうに遊びまわるのを聞きながら、早く日本に帰りたい、、と悲しくなっている自分を想像しては憂鬱になっていた。そうなったらそうなったで、きっとそれ以外の方法では得られない何かを得ることができるのは間違いないのに、そんな自分を想像しただけで、心がキュっと締め付けられた。良い想像がぼんやりとしているのに比べて、悪い想像はいつも鮮明で具体的だ。やはり僕は皆と出会えて心の底から良かったと思う。具体的になった現実は、あれだけクッキリ見え怯えた悪い想像を、ぼんやりとした過去の不安へと変換して、なかったことにしてくれる。

しかし、この後僕が手放さなければならなかったものを考えると、今でも少し寂しくなる。結論から言えば、今年のバーニングマンで、自分が予め楽しみにしていた予定は、何ひとつ実現しなかった。まるでEに向けた先輩面が、全て自分に戻ってきたかのようだった。

Aが向かいのキャンプに彼氏を作って、そっちに入り浸りになってしまったのも、それなりにショックだった。昨夜のあんな状況で何もなかったのだから、「彼氏を探しにきた」と(実際にはかなり直接的なストリート言語で)冗談めかしながらも明言していたAがとっとと相手を見つけ、僕たちを離れていっても何の不思議もないし、自分が彼女に文句を言うような立場ではないことも当然のこととして受け入れていたけれど、なんだか彼女の目的がいつのまにか達成されていたのを素直に喜べない自分もいた。

この日は誰と何をしていたのか、すでに記憶が曖昧になってしまった。多分、DやEとキャンプで談笑したり、プラヤをめぐってアート鑑賞をしたりしていたと思う。正直なことを言えば、今年のバーニングマンは地味だなあ、という印象が拭えなかった。アートの規模も数も、プラヤを走り回るミュータントビヒクルによる移動サウンドシステムも、コロナ前の半分とまではいかないまでも、目に見えてスケールダウンしているのが分かった。

一つこの日のイベントとしてはっきりと覚えているのはセンターキャンプで行われた「Cacophony Society」のカクテルパーティだ。ここで、バーニングマン誕生にまつわるマニアックな話を少ししようと思う。

バーニングマンの源流を辿ると、「Suicide Club」というサンフランシスコの秘密結社にたどり着く。「Suicide Club」は、嵐の夜にゴールデンゲートブリッジの橋桁の断崖絶壁に突撃し、そこから無事生還することによって生きている実感を得よう、とするようなゲリラ的イベントを秘密裏に行っていたアンダーグラウンドグループだった。1982年に消滅した(とされる)「Suicide Club」の活動を継承したのが、この「Cacophony Society」だ。彼らは、今で言うところのフラッシュモブのような活動や、街中でのゲリラアートやイタズラを繰り返し引き起こし、消費文明への皮肉な反撃を試みた。

それら一つ一つのイベントは、会報「Rough Draft」を通して誰でも企画告知することが可能で、イベント終了と共に実行メンバーが解散する。会報の存在とそこに投稿されたイベント情報以外、誰が首謀者か、誰がメンバーであるかさえ、ハッキリとはわからなかった。

「Cacophony Societyは、偶然によって招集された、退屈なメインストリームを超えた経験を追求する自由な精神の持ち主たちのネットワークである。」と彼らは宣言する。ブラックロック砂漠で行われる現在の形のバーニングマンは、Cacophony Societyの行うサバイバルツアー「Zone Trip」と、人が集まりすぎてビーチを追い出された、バーニングマンの原型となるローカルパーティが合流し「Zone Trip#4 Bad Day at Black Rock」として企画されたものだ。

Cacophony Societyの活動を翻案して創作されたのが、映画にもなった小説「ファイト・クラブ」であるというのは、知る人ぞ知る話である。Cacophony Societyのメンバーだった作者のChuck Palahniukが「生きる実感を得るために、拳で殴り合う」という設定で暴力的なエンターテイメント性を付加したが、「ファイト・クラブ」のアナキスト的メッセージはバーニング・マンの初期衝動をそのままなぞっていると言えるだろう。

バーニングマンの表側に、Cacophony Societyが現れるのは、数十年ぶりのことで、このカクテルパーティ自体が一部バーナーの間で話題となっていた。ひょっとしたら時代の節目として、何かとんでもないことをやらかすかもしれない。ちょっとした期待感を持ってパーティの会場であるセンターキャンプへ向かった。

いつもは閑散としていたセンターキャンプは、この時ばかりは指定の正装に身を包んだ古参バーナーで溢れかえっており、大変な賑わいようであった。ただ、残念なことに、そこでは完全に僕は場違いだったようだ。期待していたようなヒネリも驚きも特になく、他人の学校の同窓会に居合わせたような気まずさがあり、僕はチラ見するだけでその場を去った。その後、日本人が多数参加しているキャンプのパーティーに顔を出して、しばらくぶりの日本人バーナーと談笑したり、ドローンショーを見に行ったりして過ごしたが、どれも自分にはどこかで見たことのある光景で、かつてのような感動を得ることはなかった。

バーニングマンでの体験は、天候や参加するキャンプのような外部要因だけでなく、その時の自分の精神状態などに左右され、毎年変化する。何回か参加すると、いずれ、倦怠期のような時が一度は訪れたりするものだ、と複数の先輩バーナーから聞かされていたのを思い出す。ひょっとしたら、自分もこれを最後にしばらくバーニングマンに参加することはないかもしれない、という考えも頭の中で大きく膨らんでいった。


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