バーニングマン2023振り返り Day10-テンプルバーン

最後の火曜日

マンが燃えた次の日の朝、僕たちは抜け殻のようになる。これまでの10日間は夢か幻か。あれだけ様々な感情を伴う強烈な体験の連続も、砂嵐で完全にホワイトアウトしたプラヤが次の瞬間抜けるような青空を見せるかのように、意識の中で全くの別物に変質していく。

僕は、こうして、自分が夢から醒めていくのを自覚する。あるいは、また長い一年の眠りにつこうとしている。自分の中に共存する二つの世界のバランスをとるように。まどろみの中、半覚醒の状態に身を委ねていくように。

今これを書いている僕は、既にデフォルトワールドの夢にどっぷり浸かって、あの空っぽのまどろみの中考えたことを思い出せずにいる。もっと早くこれを書き切ってしまいたかった。数ヶ月後には自分がこの状態になることは確実なので、今年こそは早めにこの記録をどこかにとどめておこう、と誓ったのに。

プラヤを後にする人々は更に増え続けて、もはやBRCは荒涼とした砂漠に停留するキャラバンといった風情に近づいてきた。僕たちの隣でキャンプしているベテランバーナーのCが、彼女が初めて参加した1999年のバーニングマンは、これくらいの密度だったと教えてくれた。

それよりだいぶ遅れて2014年に初参加した僕は、当時の雰囲気が感じられただけでもなんだか嬉しかった。昔からバーニングマンに参加している人はみな口を揃えて、2011年ごろ以降の人口爆発したバーニングマンはもはや以前とは別物だ、と言うからだ。確かに僕の知っているいつものBRCの規模感と比べると、これは都市と田舎町くらいの差がある。僕は、ハイウェイの遥か彼方の田舎町のような、いなたいBRCも好きだった。こんな環境で1週間でも生き抜いたら、確かに生きている実感がとめどなく湧いただろう。

何もないところで、全てを自分たちの手で作って生き延びようとしたら、過酷だった環境を生きるノウハウがたまり、そこから新たな文化が生まれた。

と、いうのは僕の想像するバーニングマンの成長過程だ。確かにかつてのバーニングマンとは違うものかもしれないが、今だにバーニングマンが世界中の人たちを惹きつける理由は、数々のトラブルを乗り越えて変容成長していく文化の担い手となれることにあるのだと思う。

最後になるまで、どのように取り扱っていいのか分からなかったバーニングマン10の原則の7に「Civic Responsibility(市民としての責任を果たす)」というのがある。結局、日本でもよく聞く「自由と責任」の話であるので、特にここで語ることもないように思えたのだ。しかし、ここで言う市民の責任は、日本で考えられているような「市民らしくルールに従う責任」というようなものではない事実は重い。ここには従うべきルールなどないのだから。

ルールのない世界での、市民としての責任とは、何なのだろうか。僕はバーニングマンに何度も参加しながら、ずっと考え続けていた。この時も、そんなことをぼんやりと考えていたかもしれない。

そう言えば僕は、ずっとDに聞きたかったことがあった。BRCまでの車中、Dにバーニングマンに何度も戻ってくる理由を尋ねた時、彼は初めてのバーニングマンで人生を変えるような経験をしたからだ、と話していた。Dの言うその経験とはどんなものだったのか、興味があった。

バーニングマンの参加が人生の転機となったと語るバーナーは多いし、(シャーマン達が使うようなドラッグを使用する人が多いからか)スピリチュアルな超常的体験を得たという人たちも多い。僕自身バーニングマンに参加し、自分の人生に対する向き合い方を大きく転換させた1人でもある。かつてある友人は、100年後、バーニングマンは一つの宗教になるかもね、と言っていたが、全く有り得ないことではない。

ひょっとしたら彼にとってパーソナルな出来事だったのかもしれない。Dは具体的に何があったのかは語らず、かつて自分は人間への信頼を失い、エリート主義に陥っていたが、ここでその信頼を取り戻すことが出来た、とだけ言った。こんな時に彼の搾り出すしゃがれ声には、その問題に対して彼がいかに人生の多くを費やしてきたかを思わせる痕跡があった。

僕には、Dの言っていることが分かったような気がした。これは恐らく、まだ僕がその姿を捉えきれていない、バーニングマンにおける「市民性」に関わる話なのだ。僕らはここでは、互いに助け合い、協力して何かを生み出し、自分が何が好きで、何が嫌いかよく話し合い、お互いに心地よく過ごせる方法を探す。なぜ、デフォルトワールドでは、同じように生きることができないのだろうか。それを阻んでいるのは、何なのだろう。

そして、ここの何が、それを可能にしているのだろう。

Dは、何も答えずにいる僕を振り返りもせず、そのまま遠くを見つめながら、僕たちは同じトライブの一員なのだ、と言った。何の前提も持ち出さず、当たり前のように僕のことをweという主語に含めてくれたのが嬉しかった。

多分、デフォルトワールドには「正しさ」が多すぎる。それぞれの生い立ちや文化、「教育」によって組み立てられた模範解答や、極端な場合は「正義」に固執して、自分の立ち位置からしか見えない正しさに属さない人間を世界から排除することに躍起になっているように思える。ここでは、僕らはただの無力な人間だ。自分が生き延び、隣人を助け、また助けられる喜び以外の正しさなど一旦どこかにおいて、仲間になるしかないのだ。

特に何をした訳でもないのに、この日はやけに日が短く感じられた。閑散としたプラヤに落ちる長い影と、夕焼けのグラデーションを邪魔する光源はもはやほとんど存在せず、自然のリズムがそのまま1日の長さを決めた。

それまで自分の位置と向いている方角を推測する道標となっていたマンは、もう焼け落ちてしまった。プラヤは徐々にもとの荒野に戻り、例年より数段も存在感を増した闇が刻々と迫ってくる。生存本能が、キュッと自分の身体を引き締めさせるのが感じられる。もしここで方角を見失ったら、二度と帰って来れなくなってもおかしくはない。

近くにキャンプを張っていたベテランのCがテンプルバーンを一緒に見に行こうと誘ってくれた時は、正直少なからずホッとした。彼女は、遠くにうっすらシルエットを残す山の稜線と星の位置から、方角がわかると言うのだ。帰り道彼女がそのことを証明した時には、僕はその正確さに舌を巻いた。たった1°の角度の狂いが、円弧上に広がる都市では大変な距離のズレに繋がるというのに、途中一度だけ若干の軌道修正をしただけで、僕たちはほとんどレーザー光線のように元いたキャンプに真っ直ぐたどり着いたのだから。

しきりに感心する僕を見て、彼女は教えてくれた。「最初は誰でも迷子になるの。昔は街灯も何もなかったし、キャンプもまばらだったからほとんど暗闇で、誰かに助けてもらわなければ、絶対に目的地に辿りつけなかった」と。そうやって、みな少しずつ「賢く」なっていったのだと。

僕たちは、本当に賢くなっているのだろうか?少なくとも、Cはそれを信じていたし、彼女自身が賢くなってそれを証明してみせた。彼女は美しく、賢く、そして自信に溢れていた。何よりも凄いのは、その自信が、自分だけでなく、他者までも同様に信じる力にまで高められているところだ。

異端児が集まるこんなところまで来たのに、ここでも日本人という異端である僕のことまで信じてくれている、それがどれだけポジティブなメッセージを僕に与えてくれているか、彼女はどれくらい気がついているのだろうか?

DやCの話を聞いた後だからかもしれない、またはいつもより規模が小さく、そこに明らかに存在する、プライベートな心の繋がりのようなものが僕にも感じられたのかもしれない。今年のテンプルバーンは、まるで小さな村で1年に1度行われる盛大な儀式のような親密さで、僕を抱擁してくれた。それが僕たちのトライブの、また一年の別れの儀式かのように、近くの人たちが自然とハグを贈りあった。燻った炭の香りと、テンプルが燃え尽きた後もしめやかに光をまたたかせる火の種が、僕らの心の奥底の生命の熱の間を、糸を結ぶように繋げていった。


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