バーニングマン2023振り返り Day1-到着

日曜日

“So, what are you looking for here today?”
-で、今日はここに何を探しに来たの?

チケットカウンター2番の向こうにいる、鼻の周りのそばかすとキュートな笑顔が魅力的な、絵に描いたようなカルフォルニア女性が、ちゃめっ気たっぷりに僕に尋ねる。カウボーイハットにスノーゴーグル、たくさんの首飾り。他の場所であればチグハグに見えるはずのファッションがやけに眩しい。僕は、その調子に合わせるように、おどけてみせる。

“Honestly, I really don’t know. A random guy I just met in Reno took me here.”
-実はよく分からないんだ。リノで出会った良く知らない人にここまで連れられてこられたんだよね」

参加4回目ともなると、この街での作法には慣れている。ここでは、全員がパフォーマーだ。この場所で繰り広げられる虚構とも現実ともつかないデタラメなパーティーで、自分以外の皆を楽しませるため、現実世界を離れた砂漠までやってきているのだ。

ちょっと面白いこと言ったかも、と得意になっている僕に対して向けられた彼女の表情から、僕の答えがあまり褒められたものでは無かったことがすぐに見てとれた。

“I can’t give you what you want unless you say it. Do you understand that?”
-自分の欲しいものを言わないと、私はそれをあなたにあげられない。そのことは分かってる?

挑戦するように僕の目をしっかりと覗き込む彼女の眼差しから、その回答では満足できないことが伝わってくる。僕は、突如現れた面接官に自分の参加資格をテストされているような気になってしまい、なんと答えたらいいのか、言葉に詰まった。

僕の言ったことは完全な嘘ではない。僕をリノからここまで車に乗せて連れてきてくれたDとは、共通の知り合いを通じてこの間の金曜日に会ったばかりで、御年74才の元看護師、NY生まれでウッドストックも観てきたイカした爺さん、バーニングマンに来るのはもう12回目だということ以外、まだ何者だかあまりよく分かっていない。それ以上に、自分自身、本当は何をしたくてここまでやってきたか、ハッキリと言葉にすることは難しかった。

普通のイベントと違い、バーニングマンに何を求めやってくるかは、人によって全く違う。世界でもトップクラスのDJ達が、会場内で何百何千と開催されるパーティーで行うプレイを楽しみに集まる人もいれば、映画「デューン」のような広大な景色に突如現れる、巨大な現代アート群、あるいはミュータントビヒクルと呼ばれる、もはや車としての原型をとどめていない異形の改造車(その多くはサウンドシステムを搭載し、移動パーティ会場として機能する)を楽しみに来る人も多い。異性との、または同性とのロマンチックな、あるいはセクシャルな出会いを求めてやってくる人もいる。または「All of the above(上記の全て)」のことだってあり得る。実際、ここには、ありとあらゆる楽しみがある。それを楽しいと感じる者にとっては。

ただ一つ共通しているのは、僕たちが普段所属し、ある疑念を持ちながらも自明のものとして受け入れている現実世界(コアなバーニングマン参加者 = バーナーは「デフォルトワールド」と呼ぶ)の常識や枠組から解放され、たった10個の「原則」だけにのっとった自由な社会を、1年のうちたった1週間だけ、自分たち参加者の手だけで創造しに来ているということだ。決してただのデタラメではない。目の前の面接官が満足する答えを出すには、もう少し真剣に考えてみる必要があるのかもしれない。

でも「僕は」ここに何を求めて来たのだろう。どちらかと言えば、僕はその問いの答えを探しに来た気がする。不本意なまでにお膳立てされた世界から離れて自分自身と向き合い直し、自動機械のように過ごす日常の倦怠感の裏側に隠れて積もった欲求不満を洗い流すために、僕はここへやって来たとでも、暗記したセリフのような説明ができたかもしれない。でも彼女の求めているのは、もっとシンプルな答えなのだろう。

“Ummm, surprise? maybe?”
-なんだろう、、サプライズ?

だいぶ弱気になってしまった僕の頼りない答えを聞き、彼女は呆れたように右から左へ目をグルリと回転させ、ため息混じりの困りはてた声で言った。

“Wait, you SERIOUSLY don’t know what you’ll get here!?”
-ちょっと待って、、あなた、本当にここで自分が何を受け取るはずなのか分からないの!?

その瞬間、彼女はここに僕が取り置きしてあるチケットの種類を聞いていただけなのだと、やっと理解することができた。不発に終わった相手のいない小芝居に、急に恥ずかしさが込み上げる。しどろもどろになりながらようやく入場券を受け取ろうとしている時、隣のカウンターにいるDが慌てるように僕を呼ぶのが聞こえる。どうやらここで受け取るとこが出来るはずの彼のチケットが見つからないようなのだ。日本を立つ前に、入場引き換え券となるeチケットが正しく彼に転送できていることはしっかり確認している。それなのに、ボックスオフィスのコンピュータに彼の名前が登録されてないという。

ダグは、僕が今年購入した2枚のチケットのうち、1枚を譲ることにした相手だ。チケット譲渡に関するやりとりの中、まぁ何となく当然とも言える話の流れで、バーニングマンの会場、ブラックロック砂漠に1週間だけ存在する街「ブラックロックシティ(以下BRC)」までダグの車に同乗して連れてきてもらうことになった。会場までの足がない僕には、金銭的にも、労力的にも大助かりだったし、自分自身に向き合いたくてやって来たとは言え、強制的に助け合いが発生するようデザインされた実験都市で生まれる新しい友情は、僕がバーニングマンに求めている楽しみの1つでもあった。結局、僕の望み通りに事は運んでいるということだった。これまでのところは。

会場はデフォルトワールドから隔離され、電気も水道も、ガスもネットもない。最悪の場合、1時間ほど戻った一番近くの街まで、証拠となるDのチケット画面を表示するためだけに引き返さなければならないかもしれない。何かの手違いで、チケットが無効になっていたりしたらどうしよう?会場入りする直前になって、なにやら突然暗雲が立ち込めて来てしまった気がして、僕は一瞬クラクラした。

これは、どのようなサインなんだろう。不思議なことに、ここにいると、なぜか全ての出来事に意味が隠されているかのように感じてしまう。一つひとつの物事が、その他全ての物事を象徴する、僕だけに解ける暗号であるかのように。

そうさせるのは、ギラギラと容赦なく脳天を照りつける砂漠の太陽なのか、この場所がもつパワースポットのようなエネルギーなのか、ブラックロック砂漠独特のふわふわしたチョークのような砂塵に含まれる成分がドラッグのように作用するせいなのか、僕には判別がつかない。考えてみれば、デフォルトワールドでも、僕は全てのことに意味があるかのように解釈しながら、そうやって辻褄を合わせて生きてきたような気もする。だが、全ての感覚、全ての解釈が、ここでは強烈な方へ強烈な方へと引き寄せられていく。僕たちはまだ会場にすら入っていないのに、すでにBRCの魔力に捉えられてしまったかのようだった。

結局、Dのチケットは、本名である「ダグ」の下に見つかった。Googleの創始者2人が、3人目のメンバーを探しにやってきたり、シリコンバレーの名だたるIT企業が資金提供していると公然の秘密のように囁かれるイベントの発券システムにしては、出来が良くないように思える。「ずいぶん駄目なシステムだなぁ」本名を伝えなかった当の本人は、自分には全く非がないかのような言い方でこぼす。つい30分ぐらい前ぐらいまで、渋滞にも巻き込まれず順調に会場に近づいていることに2人は上機嫌で、「史上最もスムーズな入場だ」なんて笑っていたのに。しかし、トラブルも含めてのバーニングマンだ。スムーズなどない、と最初から釘を刺されたような気がした。まぁ、この程度はよくあることだ。

晴れて入場を済ませた僕たちは、まずは2人を引き合わせてくれたRが所属しているテーマキャンプへ向かった。Rに挨拶して、あわよくばキャンプの隅に滞在させてもらおう、というDのアイディアだった。

本当のことを言えば、何ヶ月も前からバーニングマンに向けて準備をしてきているテーマキャンプに直前に割り込むのはあまり歓迎されない。原則その4「Radical Self-reliance(他人の力をあてにしない)」およびその6「Communal Effort(隣人と協力する) 」に反するからだ。2014年に初めて参加した時は、10原則から派生した、そういった暗黙の了解に対する理解が乏しく、なんとなく気まずい思いをしたことも少なくなかった。

まあ、12回も参加して知り合いも多いはずのDのことだ。その辺は心得てのことだろう。何よりも原則1である「Radical Inclusion(どんな者をも受け入れる)」の存在が、バーナーの懐を広く保っている。バーニングマンがあらゆるタイプの変わり者を受け入れながら、当初の姿から何度も形を変え、世界中から7-8万人もの参加者が集まる巨大なイベントに成長したのも、原則1に見られるオープンマインドな精神にあったはずだ。ダメ元でチャレンジしてみるのは悪くない。

当然だけど、答えはアッサリとNOだった。電気をみんなでシェアしてるから、ここに滞在したかったら(例え電気を全く使わなくても)設備利用費を払わないとならないし、残っていた最後の区画も、飛び込み価格でかなり割高なのに関わらず、数日前に売れてしまったという。Rがまだ会場に現れていなかったことも、この答えに影響することはなかったはずだ。

それぞれのテーマキャンプでは、バーや食事会、ワークショップ、パーティーなどを開催して、他のバーナーにそのキャンプのテーマにそった娯楽を提供することを条件に、BRCの中心部に近い便利な区画を割り振られている。皆が思い浮かべるようなバーニングマンでのユニークな体験はほとんど全て、運営ではなくこういったテーマキャンプが奉仕の心で無償提供しているものだ。そこに滞在するからには、そこでの役割分担を負わないとならない。当日やって来てサラッと入れるものではないことは、本当は僕にもDにも分かりきっていた。それでも絶対にダメと決めつけずとりあえずやってみるのは、バーナーらしいといえばバーナーらしいのかもしれない。

バーニングマンの参加方法は、主に、テーマキャンプに参加するか、オープンキャンプで個人または少人数でキャンプするか、どちらかになる。僕たちはBRCの外縁部に近い、オープンキャンプエリアに移動して、そこに落ち着くことにした。オープンキャンプエリアでは、周りの人に声を掛け合って、空いている区画があれば自由にキャンプすることができる。僕は日本から持って来たソロキャンプ用テントを貼り、車の中で寝泊まりするダグは、日中の強い日差しを避けるためのシェードを建てた。コンパクトながら、これから1週間の砂漠生活の砦となる、なかなか快適そうなキャンプサイトが出来上がった。今年は言われているように参加者が少ないのか、メインの「6:00」ストリートに近い、アクセスの良い場所を確保することができた。

リノで入手してきた医療大麻を一服して少し落ち着いてから、僕は早速BRCの真芯に据えられる、巨大な人型の木造建造物「マン」へ詣でることにした。この「マン」を最終日から2日目の土曜日の夜に燃やすのが、バーニングマンのハイライトであり、イベント名の由来でもある。「マン」はバーニングマンの象徴であり、またバーナー達の精神的支柱でもある。それは、ただの比喩ではない。視界を奪い、方向感覚を失わせる砂嵐の向こうに、うっすらと蜃気楼のように姿を浮かべる「マン」を頼りに、バーナーが愛を込めて「プラヤ」と呼ぶ広大なブラックロック砂漠を彷徨ったことのある人間なら、その圧倒的な存在感に救われたことは1度や2度ではないはずだ。BRCに到着して居場所を確保したら、まず「マン」を訪れる、というのは、バーナーによくある行動ではないだろうか。

チケットカウンターでは(その必要もなかったし)うまく言い表すことができなかったけど、これまでの自分の人生に複雑に絡まって、激しいうねりを巻き起こしてきた流れを一旦解きほぐして、ゼロから自分を再構築し、次のステージに進みたいと僕は思っていた。自分の人生に込められた暗号をとくヒントとなるような体験を、僕は求めていた。その時点では、その後まだまだ続く波乱万丈を予想しきれていなかった5年前の僕と、その荒波を一旦乗り越えてからの僕では、「マン」の見え方や感じ方に変化があるだろうか。僕は知りたかった。

世界の果てにあるどこでもない場所の中心に聳え立つ「マン」を見上げ、ここに帰って来たのだ。と込み上げる実感をしばらくの間堪能した。不思議なことに、前回よりもずっと心が落ち着いていて、期待していたような熱い感情は生まれてこなかった。乗り越えてみると、どんな荒波も当然のことのように思えてくるものなのかもしれない。他人には大袈裟に聞こえるかもしれないけど、僕自身と「マン」だけは、よく分かっているような気がした。「マン」の台座に打ち付けられたグランドピアノの弦を誰かがハンマーで叩き、幻想的で心地よい、決して楽譜に落とすことのできないメロディを奏でていた。

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