バーニングマン2023振り返り Day3-プラヤ生活の始まり

火曜日


Aと僕は、毎朝「アークティカ」までクーラーボックスに使う氷を一緒に買いに行く「アイス・バディ」になった。Aは、道すがら「あれを見て!」とか「これを見て!」とかそこかしこを指さしながら、興奮気味にユーモラスな語り口で実況を行ってくれた。自分では絶対に気が付かなかったディテールを彼女が発見した時や、まさに自分が今注目していたものを、彼女も同時に同じような視点で捉えていることが判った瞬間など、2人とも大はしゃぎの道のりだった。通りかかったド派手なバービー仕様のミュータントビヒクルの上に乗せてもらい、大音量の音楽にあわせて踊りながらキャンプまでパレードのようにして送り届けてもらったのは、自分にとって余り派手なところのなかった今回のバーニングマンでのハイライトの一つだろう。その時流れていた曲も、通り過ぎる人がみな手を振ってくる車からの眺めも、全て鮮明に覚えている。僕たちは大きくハイタッチして「これだよ、これ!」と言わんばかりに大笑いした。氷をお使いにいくだけで、この馬鹿騒ぎ!まるでアホなミュージカルコメディの中にいるようだった。

「アークティカ」は、会場内でお金が通用する唯一の店だ。コロナ前までは、マンを中心にテンプルのちょうど反対側、居住区画の中心にあるセンターキャンプにも、お金が使えるカフェがあった。しかし、去年から10原則の3「Decommodification(商業主義との決別)」をさらに厳しく追求するため、センターキャンプのカフェは閉店された。センターキャンプの目の前では、よく大売り出しの宣伝に使われる巨大なバルーン人形が、にこやかな顔で風に踊っていた。胴体には、大きく”NOTHING FOR SALE(何も売りません)”と書かれていた。実にバーニングマン的な皮肉だな、と思った。

カフェ閉店のニュースは、センターキャンプで冷たいラテを飲みながら、そこで新しく出会う仲間と談笑するのを楽しみにしていた多くのバーナーを悲しませた。世界一美味しいと思っていたアイスチャイがもう飲めないのは、僕も残念だった。「センターキャンプのバイブは殺されてしまった」なんて、人々は口にした。確かに、いつもは個性的なコスチュームに身を包んだバーナー達で賑わうセンターキャンプは、閑散として打ち捨てられてしまっているようだった。入り口にいたスタッフに、僕たちがいかにカフェ喪失を悲しんでいるかを伝えると、彼の見解では、カフェ閉店の本当の理由は、エスプレッソマシンを動かすために使う莫大な電力のせいだ、と教えてくれた。

確かにバーニングマンは、その表向きのイメージと違ってエコとは程遠いイベントだ。その人気の高まりとともに多くのセレブやIT成金を引き付け、いけすかない金持ちとインスタバカのためのくだらないお祭り騒ぎに落ちぶれてしまったと、プラヤを離れてしまった古参バーナーも多い。後から聞けば、反骨精神の強い一部のバーナーが、抗議のため会場への道を封鎖してしまうという事件も、今年は発生していたらしい。参加者が贅沢に使うエアコンや、会場までのプライベートジェットの燃料、ミュータントビヒクルが放出する火炎放射のガス、あげればキリがない無駄遣いの上に、バーニングマンは成り立っている。「それが祝祭というものだ」とか「彼らがデフォルトワールドで消費していたであろうエネルギーの方が大きいよ」とか、いろいろ言い訳はありうる。でも、噂に聞く去年の悪天候といい、今年やってきた季節外れの台風といい、明らかに何か環境に変化が起こっているのは、みんな薄々感じているはずだった。

ハリケーンヒラリーによりBRCの整備が遅れていることは、1週間前くらいからネットメディアでは取り上げられていた。そして大抵の場合、それは地球環境問題と繋げられて報じられていた。バーナーの間でも、バーニングマンの存在意義と自己矛盾をからめ気候変動はホットなトピックとなっていた。今年のセンターキャンプは、100%再生エネルギーでの運用を目指すと言う。そのためには、カフェの閉店は余儀ないことだったのだろう。これが何を解決するのかは分からないが、出来ることをやるしかないのは、デフォルトワールドと同じだ。

直射日光をもろに受けるプラヤの暑さは、久しぶりにそこに戻る僕の心配ごとの一つであったが、何のことはない、東京の異常気象に比べれば快適そのものであった。「寒暖差の激しい砂漠でサバイバル」と聞くと、それだけで参加を躊躇ってしまう人も多いと思うけど、昼の暑さも、夜の寒さも、東京の夏と冬を知っていれば、まだどうって言うことはない。そういう環境で生活しているのだということを、東京の人はもっと知っていていいと思う。

この日、僕たちのキャンプから目と鼻の先で、原因不明の火災が起きたのは、記憶に残る出来事だった。センターキャンプであんな話を聞いた後だったからかもしれないが、facebookグループ内での気候変動に関するスレッドに、会場整備中のプラヤでEV車の火災がいくつも発生しているという現場からの投稿を見たことを思い出した。その投稿すら真偽不明だし、目の前の火災と結びつける根拠は何もないものの、サーモスタットが壊れた暖房のようにじわじわと温度を上げていく地球が、僕たちの生活圏を少しずつ焼き尽くしていくのを連想してうっすらとした恐怖を感じた。

僕にとってショッキングだったのは、すぐそこで火煙が上がっているのに、ほとんど誰も全く関心を示さなかったことだった。「自分たちにできることは何もない。気にせずいつも通りやろう」と言ってでもいるような隣人の態度は、気候変動に対する自分たちの態度そのものに思えた。そして、1人で騒いでもどうしようもないと、僕自身がこの恐怖心を簡単に飲み込んで、皆と同じく気にかけないことを選んでしまったのにも、何か説明の出来ない全く別の恐怖の存在を感じさせた。

その時のキューを待っていたかのように、BRCの公共ラジオから、”Crazy”という曲が流れ始めたのは不気味としか言いようがなかった。目の前に立ち昇る黒煙と、青い空と乾き切った砂漠がダグのミラーグラスに投射するハイコントラストな鏡像、そしてそこに映る自分の歪んだ姿を背景に、Gnarls Barkleyの歌声が狂気の底から絞り出すように問いを投げかけてくる。

お前が人生の
最高の瞬間を楽しめるよう祈ってるよ
でももう一度
よく考えてみるんだな
それがオレからの唯一のアドバイスだ

お前は本当に
自分がまともだと思っているのか?
おめでたい奴だな
お前は狂っている
お前は狂っている
オレと同じように

結局火災はしばらくして収まったが、同時に皆の頭からも消えてしまった。僕は歌の男のように、自分が狂人であることを受け入れるしかなかった。誰の記憶にもない出来事を、ただ1人覚えていると主張する狂人だ。「そんなことあったっけ?」「何かの思い違いじゃない?」そう言われれば確かに、あれは僕の妄想の産物だったかもしれない。

今日Rが到着すると聞いていたので、彼のキャンプを訪ね、今はそこに参加しているかつてのキャンプメイト達と5年ぶりの再会を喜びあった。皆全く変わっていなかった。一瞬にして家族か親戚のような安心感につつまれた。皆、信じられないくらい暖かいハートを持っているのが、その周波数が空気を伝播してくるかのように伝わってきた。

軽く夕食をご馳走になってキャンプに帰るとDとA、僕の3人でマンとテンプルを見に行こうということになった。

テンプルを見る前だったか、見た後だったか、もうはっきりとは思い出せなくなってしまったけど、Dが疲れたので1人で先に帰る、といなくなってしまった。僕とAに気を使って、2人にしてくれようとしたのかもしれない。その時の僕たちは、ちょっと怪しげな雰囲気を醸し出していてもおかしくはなかった。どこまでも広がる砂漠を今宵の満月が明るく照らし、バーナー達が身にまとう電飾が夜行虫のようにそこかしこを飛び回る様は幻想的で、あまりにもロマンチックだった。

僕たちは2人で久しぶりのディーププラヤのアート探索を楽しみ、そのうちの一つによじ登ってしばらく静かな時を過ごした。この時ばかりは、Aも何も言葉を発しなかった。ひんやりとした夜の風にのって拡散される彼女の体温と柔らかい月明かりが空間を満たしていた。

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