釧路・東京公演を終えて
8月釧路公演・9月東京公演、たくさんの方々のご協力に支えられて、無事に全公演を終了いたしました。
関わってくれたスタッフの皆様、劇場関係者の皆様、そしてご来場いただいてたくさん有難い言葉をかけてくださったお客様には、感謝してもしきれません、本当にありがとうございました。全ての公演全ての回が満席という頭が上がらないほどの感謝で、筆舌に尽くしきれません。
こんな道に進んで4年間、今までに感じたことのないような最高の温度で、お客様よりも、僕自身が一番楽しかったです。
この、計6回の公演で、いろんな人、いろんな所との繋がりを、肌で心で感じました。
月刊ひとり芝居というタイトルで今年からほぼ月一で始めたこの単独公演、毎月、ただ作り、演り、評価してもらう、それをひたすら繰り返しました。
もちろん今もですが、その都度足りないところが浮き彫りになるばかりで、「超面白いことやってるはずなのにな、なんか伝わんないな、、」というもどかしさに追われ、でもそれでもひとり芝居という心から追いかけたいものが中毒のように自分を追い掛け回してきて、いろんな出来事に襲われてどうにもならなくなった頃、自分でも感覚としてわかるくらい、ひとつ抜けたゾーンに入った感覚がしています。
その感覚が初めて現れたのが、8月の釧路公演でした。
今までは、すべてをひとりでやっている気でいました。ひとりでやっていることに対して、諦めもありました。そして周りの全てにズレを感じていました。
周りの人間にはなにも理解してもらえない、なんでこんなしんどいことひとりでやってるんだ、周りの人間はなんにも見ちゃくれない、見たってどうせ理解できるわけがない、そんなことさえ思ってました。ダサいの一言です。
そんなもんだから当然のように、周りの人間がひとり、またひとりと去っていきました。自分の事だけしか見えていなくて、周りにやさしさを与える余裕がなかったんですね。
そして、近くで心底支えてくれた演出家が離れたとき、いろんなものが崩れていくのを感じました。作品作りという現場で支えてくれる信頼できる味方が、0になった瞬間でした。
もう今までのようなひとり芝居は出来ないかもしれない、いや、もうなんかひとり芝居どころか、もういろいろ無理だな、と、なんにも前に進んでいかなくなった時期が、実はすこーしありました。
その真っ暗な時間に、色々と、いままでのことを、自分が良くも悪くもやってきたことを、振り返りました。
そんな中で出来たのが、釧路公演でいう「なごやか亭の寿司を食べる男」、東京公演でいう「地元で寿司を食べる男」という演目です。
こんなことを書くのはもしかしたら間違ってるかもしれませんが、
僕はあの劇中の妻に、離れていってしまった、別れざるを得なかった大好きな人たちを重ねています。
そして隣にいる息子は、いまやらなきゃいけないことや、まだ近くにいてくれる大好きな人たちの象徴です。
劇中の主人公(お父さん)のように、離れていってしまったものを、仕方ないと諦めるでもなく、闇雲に淋しがるわけでもなく、ただ受け入れて前に進んで昔の自分とは変わっていく。そういうことの尊さと凄みを感じたかったんですね。そしてそれを自分もやっていくことが、自分なりのけじめのつけ方だと、今はそう思います。
そうして出来た演目が、一番多くの有難い感想を頂いたということが、ひとつの大きな大きな答えです。
芝居はとてもメンタルな側面が強く、上に書いたようなことを飲み込みながら演じるすべての演目は、いままでと同じ台本のはずなのに、ひとつひとつが、今まで以上に繊細に感じられて、何かが確実に変わってきたことを強く感じました。
それが、ひとつ別のゾーンに入ってきたってことなんだと、そう思います。
周りの人たちの支えの有難さや重みが、痛いほど、もうなんにも言えなくなるほど、身に染みました。染み渡りすぎて、ビショビショです。
今まで、全てがひとりだってことを、自分を守るための言い訳にして、ここまでやってきました。そうして自分を「ひとりで可哀そうだけど頑張っている人間」として仕立てあげました。恥ずかしい話です。
もちろん今も、作品を作っているのは自分一人で、舞台の上にいるのも僕ひとりです。それはきっとずっと変わりません。
でも、表立ちはしないけれど、常に気にかけてくれているたくさんのひとたち、最近までずっと傍で演出をしてくれていた天才や身の回りのスタッフさん、それらの人間すべてがひとつひとつの僕の作品の共同作者です。
釧路公演、東京公演では、本当にたくさんの人たちが、舞台を支えてくれました。もちろん今までの公演でもそうだったんですが、初めて、それを心からの実感として感じられました。
ありがたい。言葉にすれば簡単ですが、本当に心から、有難かった。
だから、めちゃめちゃウケたとか、チケット売り切れとかそんなの全然関係なくて、そういう気持ちで全公演を終えられたという意味で、本当に完璧な公演でした。
離れていってしまったその演出家から、ありがたいメールを頂き、ただただ、ありがたい気持ちに包まれたので、「これが僕の答えです。」、というものを書き記したく、すべてを書きました。
ケツの穴を望遠鏡で覗きこまれるように恥ずかしいすべてをさらけ出した文章です。
表現者として、タレントとして、間違っている自己開示の仕方かもしれませんが、そういうのはどうでもいいです、これが100パー正しいと感じる、僕の答えです。
ひとり芝居はきっとずっと続けます。というか、逃げたくても逃げられない場所まで来てしまいました。どう考えてもとんでもないものになっていく予感しかしないので、見に来てください、超面白いので!!
皆様、まだまだ未熟な僕ですが、これからも、よろしくお願い致します。亀の歩みかもしれませんが、成長を見守っていただけると幸いです。
全てに感謝。。
最後に、メールに添えられていた最後の一文に胸を打たれたので、拝借させていただいて今までの仲間に・・・
「道の先で会いましょう。」
長谷川恒希
誰も見てないスマホの前で、、あなたは僕にサポートをしてくださろうとしています。 頂いたサポートは、ひとり芝居公演にかかる経費をはじめ、活動費として大切に使わせていただきます。これでまた、皆さんに活動をお見せできる機会の足掛かりになります! 感謝!陳謝!ありがとうございます!!