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大手ハウスメーカー入所初日

 平成元年4月1日 大手ハウスメーカーの東京近郊都市の営業所に配属された日の事は、昨日の事のように覚えてる。アパートやマンションを資産家に建てて頂く集合住宅部門に配属されたのだ。

 平成バブルの真っ只中、今では考えられないような佇まいがそこにはあった。

 それぞれの社員のデスクの上には、吸殻が山積みとなった灰皿が置かれ、今では当たり前の風景であるパソコンなどはなく 顧客毎の資料がうず高く積まれていた。当時は、個人情報保護など全く考慮されていなかったのだ。

 営業所は、所長を筆頭に4班に分かれ、各班の班長が4〜5人の営業マンを管理している。僕が配属された2班のリーダーは、風貌は、角刈りの戦国自衛隊員。話す口調は、関西弁で朝一から、部下を怒鳴り散らしていた。月初という事で、先月実績の上がらない部下を叱責していたらしい。

 この風景については、平成を終え、令和を迎えてこの僕が令和元年12月に転職するまで変わらぬ風景である。断っておくが、この会社は、スーパーゼネコンを含めてもグループ売上高は、業界でもトップクラスの会社である。

 こりゃ 大変な所にきちまったな  と思ってたら戦国自衛隊に呼ばれた。
「新入生!ちょっと こっちこいや」
「お前、先輩から名刺100枚もらってこい!もらってきたら、先輩の名前を定規で二重線引いてその下にお前の名前のゴム印を押せ!」
 
 これも今では考えられないが、赴任した日に新入生の名刺など出来ておらず、先輩の名刺を拝借して利用するしかなかったのである。このゴム印押しが、入社して初めてした仕事だ。

 「遅いやっちゃな! 出来たんか? 
  出来たら その名刺持って なんでもええから
  名刺交換して100枚貰うてこいや!
  100枚集まるまで帰ってくんなや。明日の朝、
  確認するから、戻ったら、俺の机の上に置いとけ
  け! わかったな! わかったら すぐ行ってこ
  い。早よ いかんかい! ボケッ!」

 こんな調子の初日である。
これだけインターネットが進んだ現代では、この名刺を100枚貰う行為に何の意味も見出せないし時間の無駄だと思うが、当時は、スポーツを行う前のランニング宜しく、こんな事が普通に行われていた。
今なら、先輩から100枚借りるとかするんだろうが、
入社したばかりの僕は、馬鹿正直に先輩から借りた顧客リストだけを頼りに名刺を貰いに外に出た。

 外に出て気付くのだが、先輩が貸してくれたリストは、顧客リストではなく、あくまでこれから受注を取りたい先のターゲットリストみたいな物で、先輩は先輩で「右も左もわからない新入生が自分のターゲット先を訪問し、何か情報でも引っ掛けてくればこれ幸い!」と思ってたらしい。

 なので、終業時間を過ぎても半分も集まっておらず、どうしたものかと途方にくれたあげく、疲れて駅のホームで転寝してしまったらしい。トントンって肩叩かれて我に帰ると 地下鉄の若い駅員さんが
「大丈夫ですか?新入生?」って聞いてくれた。
実は… と事情を話すと その駅で貰える限りの名刺をもらってくれた上で、「他の駅でも駅舎にいる方の人に頼んでみなよ。頑張って!」と言って送り出してくれた。結局、終点の駅まで言って折り返し、何とか集まった100枚。時計をみたら10時30分。
 初日にして、「いつ辞めようか?」

そう思って 改札出てくらい空を見上げたら、雨がポツリ。 泣きたくなった。


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