kayo horiuchi/納見佳容

アラフィフ。母。ソロキャン好き。

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最近の記事

氷のバケツに一晩中、足を浸けてた話し〈全女のこと〉

昔話しです。 プロレスの試合中、足が「バキっ」となって。 立てなくなったので「なんだこれは」と驚いて、それでも立つのが試合なのでえいっ!て立とうとするんですが、とにかく立てない。 結果、骨折をしてるんですが、私は骨折をしたことがないのでそれに気づかず、どうして立てないのと困ってるうちに試合は終わって。(どうやって終わったんだっけ?) 背負ってもらいとりあえず控室へ戻って、さあ病院!といきたいところですが、そうはならなくて。 場所が北海道の田舎町だったので、近くに整形

    • 卵アレルギーと、ちょっとカオスなベビーカー親子

      息子が二才の頃の話しです。 いつものようにベビーカーを押してテクテクと児童館へ遊びに行ったある日のこと、可愛らしいママさんがみんなにクッキーを配ってくれました。 お家でたくさん焼いてこられたそうで、ちゃんと小分けしてあって、きれいにラッピングまでされてる。 知らないママさんだったけれど、はじめましての我が親子にもくださる。ありがたい。 ただ我が子、卵アレルギーで。 心苦しさはありますが、聞かなくてはならんのです。卵が入っているかを。 そして聞いたら入っているとのこ

      • 私は根っからの夜型人間

        私は夜型人間です。 根っからの夜型人間です。 朝型の方が時間を有効に使えるだろうし、なにより健康的なので、なんとか治したいと何十年も思っているけど、治らない。 今現在は起床時間6時半です。 これは無理やりです。朝ごはんを作らないといけないので。仕方なく6時半です。 私の周りの朝型人間は5時には起きていると言います。すご。そんで一人でお茶時間を楽しんだり、ストレッチをしたり、軽く掃除をしたり、まさに丁寧な暮らしを楽しんでいるという。 私もそっちいきたい〜。絶対そっちがい

        • 〈30年前の〉エステティックと、こじらせ女子

          ↑↑↑ (なんとなくこちらの続きになっていますが特に読まなくても問題ないやつです) 三十年近く前、世間はアムラーブームとかTKブームの頃。 十代の終わりで上京、挫折、実家出戻りをやらかしちゃった私は、若干引きこもったのちえーいとエステの世界へ。 これは地元の地方都市で一年だけエステティシャンをした頃の、ちょっとした思い出話しです。 エステの世界当時美容の仕事をしていた姉を追うような、確かそんな気持ちで入ったエステの世界。 入社したのは美顔・脱毛・痩身の総合エステティ

        氷のバケツに一晩中、足を浸けてた話し〈全女のこと〉

          〈30年前の〉エステティックの女たち

          ハタチの頃、少しだけエステティシャンをしていました。30年近く前です。 1年ほどしかエステのお仕事はできなかったのですがけっこう楽しくて。いろいろと心に残っているので、少し書いてみます。 ハツラツなお姉さんがた当時のエステティックサロンはまさに女子の世界で。周りのエステティシャンたちはみんな華やかで、なんだかハツラツとしていましたよね。 時代はアムラーブームで。当時CMをバンバン流していた某エステティックサロンの、私が勤務していたのは地方都市の地元の支店(サロン)でした

          〈30年前の〉エステティックの女たち

          2024年、春の日記

          びっくりしちゃった。 前の投稿から一年空いちゃってる! 一年経つの、ほんとあっという間ですね。 しかしこの一年、私なにやってたかしら…。 って振り返っても、特に何もやってないわ!それもまたびっくり! 大きなトピックがないんです。ほんとない。 まあでも、それって平和ってことかしら。 もちろん悩みなんかエンドレスですけどね。それ言い出したら、このご時世どんどん出てきますけどもw でもね、ご飯が美味しくて、元気に歩けて、夜お布団で寝られて。 大きな変化もなくそんな毎

          2024年、春の日記

          いよいよ小6、卒業目前

          小6の息子、いよいよ卒業が目の前です。 学校からお別れ会のプレゼントを持って帰ってきたり、プリントには「卒業」の文字がいっぱい。なんだかもう家の中もいよいよ感が充満してますよね。 持ち帰ったプリントの中には「卒業文集の下書きと清書」も紛れてました。(卒業文集とか懐かし〜) で、ちょっとチラ見しちゃったんですけど、まあ字の汚いこと。「これ一生の記念になる文集だけど字汚くない?大丈夫?」って思わず聞いちゃいましたよね。 そしたら「これが自分の字。汚くないよ。これでいいんだ

          いよいよ小6、卒業目前

          ランドセルへ「声掛けのお守り」毎朝のいってらっしゃい

          息子が朝登校していく時「車に気をつけてね」と必ず声を掛けます。 いったらもう小6でそこそこ体も大きい男子なので、毎朝毎朝そう声掛けるのもなんだか私も心配性ね…なんて思っちゃうんですけど。 オプションで「急がなくていいからね」と「車は朝スピードだしてるからね」なんかも付けたりしちゃいますよね。 なんならもう習慣になっちゃってるので息子も「声掛けられ待ち」みたいなとこあったりして笑 ちなみに「急がなくていいからね」は、変に急いで飛び出して車にぶつかるぐらいなら、遅刻してく

          ランドセルへ「声掛けのお守り」毎朝のいってらっしゃい

          4才、ママと寝られないことをどう受け止めていたのかな

          私4才の頃から基本「1人寝」でした。 というのも、両親とも飲食業で帰宅が深夜。基本的に「夜は姉と二人きり」という環境で育ったんです。 日曜日は仕事が休みだったので、日曜だけ両親が夜も家にいてくれる。だから幼いうちは日曜日がひたすら待ち遠しかったです。あとはもう月曜から土曜は「寂しさの塊」みたいな子どもだった気がします。 この環境を人に話すとわりと驚かれます。「姉妹ふたりだけで?夜を?毎日!?」って。 でももう物心ついた頃からなので、自分的にはそれが普通でしたよね。

          4才、ママと寝られないことをどう受け止めていたのかな

          ファミキャン・ソロキャン楽しいなという話し

          焚き火が趣味です。キャンプも好きですし、焚き火そのものが好きです。 なぜ好きかと言うと、特に明確な答えはないんですが多分ぼーっと出来るから?無になれるからかもしれません。 きっかけは友人で。 友人夫婦がデイキャンプに誘ってくれて焚き火に出会い「たのしー!」となりました。 帰ってすぐ焚き火台をポチりましたよね。 ↑初デイキャンプ それから、ちょうど我が家は海に遊びにでることが多いので浜でちょこちょこ焚き火をしていました。 そうしているうちに、古くからの友人がなんとソ

          ファミキャン・ソロキャン楽しいなという話し

          「挨拶ができない子」だったので思うこと。

          挨拶ができない子でした。私の子どもの頃です。 極度の人見知りでした。両親か、姉の後ろにいつも隠れてる子で。分かりやすく内弁慶。 チック症で病院に行くほど外での緊張が強い子でした。 近所の大人、門に立つ先生、そういった見守ってくれている周りの人たちに対し、元気よく挨拶できた方がいいと分かっているんだけれど、その場に立つと言葉が出てこない。 とはいえ、友達に恵まれて小学校の頃は毎日が楽しくて楽しくてのお花畑ちゃんでしたけど。 でも根本の人見知りは変わらず「挨拶週間」みた

          「挨拶ができない子」だったので思うこと。

          毎年恒例、我が子の記録動画。反抗期準備にもおすすめ。かな?

          我が子は現在10才、小4男子ひとりっ子。 ティーンエイジャーの入り口に立ち、そろそろ思春期の扉あく?あかない?みたいなお年頃。 反抗期はまだきてないけれど、言葉が荒いときは全然あるし「ああ思春期こわっ」と既に今から思ってます。 「3人核家族」でして、息子にとっては抜けが少ないというか息の詰まりやすい環境だと思うので、私と主人がそれをちゃんと自覚してなきゃな〜なんて考える今日この頃です。 なお、ひとりっ子親としてこれ当たり前ですが、いろんな行事が常に「初めて」であり「最

          毎年恒例、我が子の記録動画。反抗期準備にもおすすめ。かな?

          3才の記憶

          みなさん小さい頃の記憶ってありますか? 私は3才の頃の記憶が1番古い記憶です。 細切れにはちょこちょこうっすらあるんだけど、よく覚えてるのが2つ。 1つは3才にして空気を読んじゃってるみたいな記憶。 うちビデオカメラって持ってなくて。時代的に当たり前な感じもしますが、同じ時代にうちの旦那はビデオが残ってるんですよね。旦那家すごい。 で、うちはないから父がカセットデッキで子どもの声を録音するってのやっていて。 それで覚えてるのが、父が嬉しそうに私のそばにカセットデッキ

          1995年の忘れられないある1日のこと〈上京前夜〉

          毎年、年の瀬になると「歴代の出来事を総ざらい」的な番組が増えますよね。 そんな番組を見ていると、記憶がぶあっと蘇ってくる日付けがあるんです。 それは、1995年3月20日。 地下鉄サリン事件のあった日です。 あれからもう30年近くが経つのですが、どれだけ経とうと忘れてはならない事件があった一日で、また私にとっては少し違った意味でも、忘れられない一日です。 今回はその日のこと書いてみます。 当時18才で。愛知の田んぼいっぱいな田舎の町に暮らしていました。 その頃、全

          1995年の忘れられないある1日のこと〈上京前夜〉

          クリスマスイブだけど特に何もない日記…

          あらやだ。 noteがcanvaとコラボって? 知らなかった。 アイキャッチが簡単に作れるようになっていたのですね。 サイズ設定とかしなくてもサクッと作れると?なんとまあ。 (アイキャッチってこの↑タイトル画です) ほんと、noteいろいろ凄いですね。スマートで読みやすいし、字の太さとかいろいろ絶妙な感じで。 でもアメブロのガチャガチャしてるのも、あれはあれで好きなんだけど。褒めてる。 そんなことより前記事の件で「大丈夫、息子氏きっと分かってくれるよ」といったあたた

          クリスマスイブだけど特に何もない日記…

          昔ママがプロレスラーだったと言ってなかった件について

          こんにちは。 こちらのツイートに多くの反応頂きまして、 なんかほんとお恥ずかしい。 ネットニュースにも取り上げられて。 とりあえず恥ずかしすぎて、穴があったら1年ぐらい入ってたいわ。 (追記:実際は親の名前ではなく、地名だったらしいです。そりゃそうだ。) でもいい機会なので「10才息子にプロレスやってたこと言ってなかった件」について書いてみますね。 10年、いい区切りかもしれませんので。 10才、話してみる時期かもです。 私は18才から27才までプロレスラーをして

          昔ママがプロレスラーだったと言ってなかった件について