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#拾 デレマス10thツアーファイナル前日譚~サンライズ瀬戸に乗りました~

※サンライズが主体になるよう配慮したものの、事の性質上文中に多少デレマスに関連するワードが出てきます。Pでない方には全く意味が分からないであろうポイントもありますが、どうかご容赦くださいませ。

人生初!寝台特急で東京へ

「サンライズ瀬戸」は香川県の高松駅を21時26分に出発し、翌7時8分に東京駅に到着する寝台特急だ。言わば”走るホテル”である。
最上級の個室でない限り、新幹線+ア〇ホテル一泊の料金と同等かそれ以下なのがありがたい。何より、眠りから覚めると全く見たことのない景色がそこにあるなんてことほど素敵なことはない。これを叶えてくれるのが最も魅力的なところだ。

列車の紹介はほどほどにし、日記へと戻ろう。高松駅で友人に記念写真を撮ってもらっていたところ、近くにいた車掌さんに声をかけられた。どうも車掌さんが撮影してくださるらしい。ここでどうせなら、と思い事前に購入していた同人パーカーを着てみたところ「それ、ポジティブパッションですか?」と訊ねられたので思わず二の句を失った。こんなところでPに遭遇するなど、不意打ちもいいところである。
そして1テンポ置いて、僕はこう言った。

_いえ、サイキックヒーツです!

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その後車掌さんとも一緒に撮らせていただいた。
せっかくルンルンでパーカーを着たのに、背面の絵がほとんど見えていないのが残念である。
ライブタオルみたいに掲げればよかった

ちなみに速水奏Pだという車掌さん、「最近は”副業”が忙しいので思うようにプロデュースできていないんです」とおっしゃられていた。きっと僕もそのうちそうなるのであろう。久しぶりにプロデュースしたい、と思ってもアイドルの成長っぷりについていけないかも。
そういえば、あの場で名刺交換を申し出た場合”本業”と”副業”どちらのものを渡してくださったのだろうか。解けたところで人生になんら影響のない疑問を残し、列車は定刻通りに高松駅を発車した。

忘れてきてあげたのよ 自分のタオルは

僕が寝床に選んだのは「ノビノビ座席」なる一番グレードの低い”指定席”。カーペット敷き、かつ唯一”個室ではない”が故の不便はあるが、一番安い個室でさえ6000円近く差があるのが魅力だ。
また、個室だけでなく新幹線の指定席と比べても1000円ほど安い。そんな値段で得られる所帯じみた雰囲気が僕の肌にはよく合った。

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写真は別の時間帯に撮影したもの。岡山まではほとんどのカーテンが開いていた

瀬戸大橋を渡り終えるのを見届けたのちに足早にシャワールームに向かうも、当たり前とでも言うべきだろうか。そこには先客がいた。僕と同じで瀬戸大橋を渡り切ったらシャワーを浴びようという魂胆だったに違いない。
体感10分ほど手持ち無沙汰に過ごした後、ようやく僕の番がやってきた。部屋の鍵を閉め、さあ今宵はシャワー後にコーラを一杯引っ掛けて眠るのだ、とアメニティを入れていたはずの袋をまさぐる。...入れていたはずのタオルがない。しみったれの下着しかない。
こんなとき、次に考えられる行動は主に2つ。

1.タオルを2両先の自分の指定席まで取りに帰る
2.面倒くさいから適当な衣類で拭く

日頃僕はほぼ間違いなく「2」を選ぶようなメンタリティの持ち主である。つまりはずぼら、がさつ。だがしかし、この時はそれを選ばなかった。なんか「(アイドル(役の声優さん)に会う前なのに)そんなことでいいのか?」と僕の内なる津田ネキが喝を入れてきたので、従うことにしたのである。理由が情けない。
そうしてイマジナリー津田ネキに言われるがまま、タオルを取りに帰って2分後にもう一度シャワールームの前に立った時には再び「使用中」の文字が踊っていた。

プロデューサーさんに会う

「サンライズ瀬戸」は岡山駅から先は同じく寝台特急の「サンライズ出雲」を後ろに従え、14両編成で深夜の山陽本線と東海道本線をひた走る。

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連結面付近は多くの観光客と鉄道ファンでひしめき合っていた

僕はというと、やはり連結作業を眺めずにはいられなかった。しかしシャワールームに戻るとまた「使用中」のランプが...。
仕方がないのでラウンジで物思いにふけっていると、何やら『分かる人にだけ伝わる』バッグやTシャツを身につけた方々が続々と乗り込んできた。
寝台特急車内で同業者が一堂に会してしまうとは、とんだ胸アツ展開である。ならばそれを受け止め、偶然出会った縁は大切にしようではないか。

先達のエピソードトークはどれも秀逸であった。特に秀逸だったのは5th静岡公演の”追い風Running事件”。会場運営を粗野な警備会社に任せたがために、開演前に入場できなかった数多の乙倉Pが彼女のソロ曲を聴き逃してしまった事件らしい。彼ら彼女らに幸のあらんことを。

最後に2名ほどからP名刺を頂き、世界遺産のお城の目と鼻の先に停車するあたりで僕は離脱する運びとなった。寝台特急に乗るだけでも十分すぎる思い出になり得るのに、こんなに至れり尽くせりな思い出を享受してしまってよいのだろうか。
窓の外に目を凝らしてみたが、白鷺城は見えなかった。すっかり忘れていたが、シャワーを浴びねば。

電車の中の男の子、寝付けなすぎ大問題です

床に伏した時点で既に眠気が差していたので、すぐにノンレム睡眠に入れるだろうと思っていた。だが、世の中にはそれを妨害するものが存在する。寝台特急と明日に控えたライブへの興奮である。
正確に言うならこの時はその興奮を自覚していなかったので、本当にそれが原因なのかはわからない。後になって思えば多分そう、という話である。

大阪を出発した14両編成の特急列車は、米原までの7、80分はノンストップで淀川と琵琶湖の脇を北上する。この間に眠れなければもう終わりだ。そこで「なんの脈絡もない単語を続けざまに連想していたら眠くなる」というマユツバ科学を試してみたところ、確かにだんだん意識がおぼろげになっていくのを感じた。レム睡眠くらいには達していただろう。
_1時19分ごろ、それを打ち破らんとする轟音が響き、僕の耳をペネトレーション。トンネルに差し掛かったようである。せっかく眠れそうだったのに一気に覚醒してしまい、とても醜い気分になった。

その時のツイート(1/2)
その時のツイート(2/2)

こうして僕の興奮と眠気のせめぎ合いは振り出しに戻ってしまった。1時50分ごろにはとうとう米原に停車する際の揺れを感じ、どうしようもない絶望に駆られるのであった。

2人のTwilight Sky

ごくごく浅い眠りを2時間ほど貪り、4時ごろに再度ラウンジへ向かってみた。「眠りから覚めれば見たことのない景色がそこにある!」という夢は当の昔に散ってしまったのでもうどうでもよい。

驚いたことに、4時間前に会談に興じていたプロデューサーさんが1人だけ、そこでガシャを回していた。「もしかしてずっと起きてたんですか?」と問うてみたところ「さすがに寝ましたよ(笑)」と丁寧に返されてしまった。そりゃそうであろう。我ながら愚問だったと思う。

しばらくすると太平洋と国道が並走する区間に差し掛かった。薩埵峠である。
僕はまるっきり気づくことなく通過しかけていたが、彼の「ここ、もしかして有名な撮影スポットじゃないですかね」という一言でハッとした。地図アプリを開くとまさにドンピシャ。彼はなかなかの慧眼の持ち主かも知れぬ。

薩埵峠の風景。無料素材をお借りしました

旅慣れたプロと見えた彼だが、旅行歴について尋ねてみると「東海道本線で東京に向かうのは18きっぷで各駅停車の乗り継ぎ旅をした時以来です。『ムーンライトながら』を当時知らなくって...」と苦笑していた。案外ライトな旅人なようである。それにしても、『ながら』は知らなくてよかったと思います。全く眠れないうえに物盗りが頻出していたって噂なので…。

4時40分ごろ、列車が急に停まってしまった。何らかのトラブルに対応するため、急いでブレーキをかけたかのような減速っぷりであった。

その時のツイート

悪い冗談はよせよ藤村くん、ろくに眠れなかった挙句途中で運転打ち切りにまでなっちゃあいよいよ僕の旅行は残念そのものじゃないか。せめてなんかアナウンスしてくれ。

だいたい3分くらい停まってから、特になんのアナウンスもされずに運転再開となった。なんだったんだろう、あれ。

不眠パワーでメンヘラチェンジ

起床(ろくすっぽ眠ってないのに「起床」と呼んでよいのかは甚だ疑問だが、ここでは便宜上そう呼称する)からおよそ一時間。
車窓の左手に青く大きな山体が現れた。富士山である。富士山は『ふじの山』の歌詞通り頭を雲の上に出し、雪の着物と霞の裾を身にまとっており、正に「拝む」という表現が似合う荘厳さであった。

本当に雲より上に山頂があった。地元の石鎚山など、文字通り足元にも及んでいない

ところで、僕には通過するのを非常に楽しみにしていた区間がある。早川(はやかわ)駅~根府川(ねぶかわ)駅間、通称「ハヤネブ」である。
ハヤネブは太平洋を背に大カーブを曲がる列車を撮影できる定番撮影スポットなので、そこの車窓に対する期待値は並々ならぬものであった。

ハヤネブはすぐそこというところで、水平線の向こうに丸いものを認めた。
昇る太陽の10倍の速さで走るサンライズ瀬戸・出雲は、間もなくそれに追いつき…。ハヤネブ通過時には得も言われぬ絶景を我々にお披露目してくれた。

曇っているが、水平線には及んでないのでまあよい

これを見るためなら、どんな早起きだって全く惜しみなくできる。それにしたっていささか早すぎではあるが…。ライブ開演まで約10時間。早くも活動限界を知らせる警報が鳴り響き、内なる碇ユイが目覚めようとしていた。

終点・東京に到着

一晩の間に並走する電車の色はマルーンから赤に変わっていた。疑いようもなく、ここは首都圏である。
横浜を出発した後、洗顔ごときで飛ばせるような眠気ではなかったが洗面台へ赴いた。それが眠気覚ましになるかどうかなど、この際どうだっていい。ありがちなアクションだって、寝台特急の車内で行えばちょっとしたアクセントになる。
4月1日の14時半に地元を出発し、18時から高松で友人と会食したあと、21時過ぎにようやくサンライズ瀬戸に乗って…濃密な17時間に及ぶ往路はあと20分で終わりを迎える。

そして4/2の7時8分、列車は時刻表通りに東京駅の8番線に滑り込んだ。

手前が僕の乗り込んだ12号車である

10時間近く寝食を共にした寝台特急とはここでお別れだ。初めて1人で関東に降り立ったときには、思わず拍動が増すのを覚えた。ただし寝不足による高血圧の可能性は無きにしも非ず。
さあ、いよいよここからは上京後初の単独行動。ライブ開演まではどこにでも行っていいのだ。お散歩用のカメラを構えた僕は、誰よりも自由な気分で改札の外へと繰り出した。


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