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【我々は、超人オリンピックという大会について、そろそろ真剣に考えるべき時に来ている】- 3:超人オリンピック優勝者、結構やらかしまくってる問題

見識高いマニア諸氏の中には、既にビギナー向けの講釈に飽き飽きしてきた方もおられる頃合いだろうか。おそらくではあるが、ビギナー諸氏の中にも、私があえて第22回、第21回大会を飛ばして説明を始めたことに不信感を抱いた方がおられるはずだろう。

無論、この二大会を飛ばして話を始めたのには理由がある。それはこの二大会がそれぞれ特殊な経緯によって開催が決定された超人オリンピックであり、この二大会の存在そのものが、「超人オリンピックは原則的に四年ごとの開催」というルールの例外的ケースそのものであるためだ。

2018年。「ザ・レザレクション」と銘打たれた第22回超人オリンピックは、ハラボテ・マッスルより超人委員会委員長の座を譲り受けた新委員長イケメン・マッスルの旗振りによって開催が決定された。1981年に第21回超人オリンピックが開催されてから、実に37年もの間を空けての復活開催となる。

超人オリンピックがここまで長く封印されてきた理由について、その説明責任を持つはずの超人委員会が公の場で申し開きをしたことは、これまでただの一度としてない。ただし物知り顔の識者の間では「これもまた大王キン肉スグルの治世の賜物」と解釈するのがまず一般的な捉え方だろう。

偉大なる大王キン肉スグルの治世は、この宇宙に長い平和をもたらすと同時に、血湧き肉躍る超人レスリングをも停滞させた。超人達は戦う必要を失い、リングに居場所を求めるなくなったのだ。争い無き時代に、正義超人の成長を目的とする超人オリンピックが必要とされないのは自明の理だ。

この大停滞の発端は1981年。キン肉スグルが第21回超人オリンピックを制覇し、V2チャンピオンとなったことから始まる。セコンドのバラクーダ率いるソ連のウォーズマンをねじ伏せた必殺技、キン肉バスター。あの大会よりキン肉スグルの持つ王座は、無敵の必殺技の加護の下、名実共に不動の王座となってしまったのだ。

第21回大会以前のキン肉マンは未だ、運良く王座を勝ち取ったルーキーにすぎない超人だったはずだ。少なくとも世間の評価はそうだった。そもそもこの第21回大会の開催理由ですら、前チャンピオンであるキン肉マンの王座「剥奪」による。それも防衛戦への遅刻による剥奪でベソをかいたというオマケ付きだった。

重ねて言うがこの超人世界チャンピオンのタイトル、大会基準の王座でありながら、タイトル基準の王座としての性格もあわせ持っている。王座が防衛戦によって移動することもあれば、防衛戦への遅刻、品のない言動、かつての反則の露見等々の理由によって時に剥奪されることもあるということだ。

超人世界チャンピオンのタイトルが剥奪された場合、第21回における大会運営の例を見るに、比較的短いスパンで「四年に一度の原則」の例外となる臨時大会が開催されることになるようだ。王座に空白期間が出来るとなれば、世界平和にとっても大きな痛手となることは容易に想像出来よう。

以上を簡潔にまとめると、超人オリンピックの歴史を紐解くには、下記の三つの基礎情報を頭に入れておく必要がある。

1:超人世界チャンピオン(宇宙超人ヘビー級チャンピオン)はタイトルマッチによって超人オリンピック優勝未経験者に「奪取」されることがある。
2:超人世界チャンピオン(宇宙超人ヘビー級チャンピオン)はルール違反等により超人オリンピック優勝経験者から「剥奪」されることがある。
3:「剥奪」により王座が空白となった場合、新たな超人世界チャンピオンを決めるため、四年に一度の原則によらず、例外的な超人オリンピックが開催される。

以上の情報を元に、先ほどの年表をもう一度見直してみよう。

2018年 第22回超人オリンピック(復活による臨時開催)
・優勝 ケビンマスク
1981年 第21回超人オリンピック(剥奪による臨時開催)
・優勝 キン肉マン
1980年 第20回超人オリンピック
・優勝 キン肉マン
1976年 第19回超人オリンピック
・優勝 ロビンマスク
1972年 第18回超人オリンピック
・優勝 ウルドラマン

1968年 第17回超人オリンピック
1964年 第16回超人オリンピック
1960年 第15回超人オリンピック
1956年 第14回超人オリンピック
1952年 第13回超人オリンピック

????年 第12回超人オリンピック(剥奪による臨時開催)
・1949年から1971年からの間に行われている

1948年 第11回超人オリンピック
・優勝 ハラボテ・マッスル
1944年 第10回超人オリンピック
・優勝 キン肉真弓
1940年 第9回超人オリンピック
・優勝 キン肉真弓

ハラボテ・マッスル氏が「私は1948年に第11回超人オリンピックで優勝した」と強弁する以上、歴史の必然として、1972年から1948年までの氏を含む6人の名誉ある王者のうち誰か一人が、王座を剥奪される憂き目にあった。不本意ではあるが、最早、そう考えるしかなくなってしまうのだ。

④へつづく

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