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【我々は、超人オリンピックという大会について、そろそろ真剣に考えるべき時に来ている】- 5:テリー一族、メインキャラなのに設定ガバガバすぎ問題

「テリーマンの祖父シニアマンが超人オリンピックで優勝した」説は、自ら提起しておきながら恐縮だが、かなり突飛な考えだ。仮にシニアマンとドリーマンがこのような黎明期から超人オリンピックを制覇しているのなら、キン肉族よりよほどテリー一族の方が王者に相応しい血筋と言われているはずだからだ。

そもそもの話、ドリーマンは第6回大会の優勝者であり、それ以前には既に5名の優勝者が存在する。父ドリーマンが優勝した大会に数十年後に祖父シニアマンが参戦して初優勝を果たしたというのなら、バリアフリーマンを超える老いらくの挑戦。ロビン王朝よりよほどテリー一族の方が「奇行が目立つ」。

では、テリーマンの父ドリーマンが超人オリンピックを二度優勝しているという仮定はどうだろう。過去にもV2達成者が存在すると知られていなかった一時期ほどではないが、それでもなお、キン肉スグルの超人オリンピックV2はキン肉真弓のV2とあわせ、キン肉王族固有の名誉であるかのように語られることが多い。

V2とは、すなわち超人オリンピック連覇、二大会連続優勝を指す言葉だ。つまり過去に二度の優勝経験がある超人レスラーでも、二大会連続優勝でなければ物語の整合性的に不自然ではない。第2回大会、第4回大会を制覇したであろうルーテーズのように、ドリーマンもまた時を経て王者に返り咲いたという仮定だ。

しかし、この仮定で話を進めると、今度は少し難解な論理パズルを解かなければならなくなる。年表を振り返れば分かる通り、案外もう未確定の超人オリンピック開催枠は少ないのだ。V2無しの条件で考えるとまず第7回が除外される。残る候補となるのは第8回大会、そして第12回から第17回大会までの全7大会。

大会から大会までに最短1年の猶予期間が置かれるとしても、第8回大会は1945年以前、第12回大会は1949年以降に開催された可能性が濃厚だ。そしてこの中から範囲を狭めるのであれば、まず第8回大会が除外される。ドリーマンは「老いるにつれシニアマンを名乗るようになった」。このタイミングではいささか早すぎる。

より正確に言えば、ドリーマンがシニアマンを名乗るようになったタイミングは、各種インタビューにおいては「テリーマンが有名になるとともに自身もシニアマンとようになっていった」と明かされている。 つまりテリーマンが誕生する以降でなければ、ドリーマンがシニアマンの名で大会に出場することはあり得ないのだ。

ザ・テリーマンの誕生日は1960年6月30日。これ以降で開催される予定年度は1964年、1968年、および臨時開催の一回。仮に第6回大会が1924年開催だとすれば、最低でも実に10回大会ぶり、40歳を取ったうえでの二度目の熟年優勝になる。不自然ではないが、かなり厳しい。かなり厳しいというか、無理がある。

「テリーマンの父ドリーマンがシニアマンを名乗り超人オリンピックで優勝した」説を肯定すると、それと同時に「最低でも1943年開催の第6回大会に優勝したドリーマンが最高でも1971年の第17回大会で優勝している」事実と、「テリーマンが遅くとも11歳までに世界的に有名になっている」事実を認めなければならない。

しかし、「テリーマンの祖父シニアマンが超人オリンピックで優勝した」説を肯定すると、それと同時に「最低でも父ドリーマンが優勝した後の大会に祖父シニアマンが出場して優勝する」親子対決を認めなければならない。双方ともに決め手となる証拠はない。このシニアマンは名前の似た第三者、最早、そう考えるしかないのか。

……いや、少し待ってほしい。我々は今、とんでもない思い違いをしているのではないだろうか。キン肉マン5巻に書かれていた情報など疑うべきと口では言っていながら、深層心理において完全には疑いきれていない。そうした中途半端な心持ちが、目の前の情報を「そういうものだ」と思い込んでしまっている可能性は。

……そもそもこの宇宙超人ヘビー級チャンピオンのベルトの裏に書かれた歴代優勝者一覧、本当に順番通りに書かれているのだろうか?

⑥へつづく

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