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18 高みを目指して味わった孤独、私が大切にしたいこと

周りと比べて高いか低いかではなく、周りと違うことで苦しむ人は大勢いると思います。
しかし、例えそれが周りの多くの人たちには理解できないことでも、悩んだり、その悩みを誰かに話して受け止めてもらう権利は、誰にだってあるのだと思います。


私は、好きなことや得意なことがあると、高みを目指したくなります。
ゲームでも、勉強でも、なんでも。
本当に好きだって思えると、もっと上手くなりたいって思います。
きっとそれは、自然なことなのだと思います。
ですが、高みを目指したが故に感じた寂しさや、もどかしさなどがありました。

中学生の頃、私の成績はトップクラスでした。
ですが、私と同じくらいの成績だった人は1人だけで、私が勉強や成績に対して思い悩むことがあっても、その悩みを話せる友達はその人だけでした。
普段は仲良しの友達でも、勉強の話になると、どうしても嫌味を言うような感じに取られてしまうことが多くあったからです。

親友とも呼べた1人とは、成績も近かったので、その人となら話ができるのが私にとっての救いでした。
それでもときには、高いところにいるが故の孤独(というと大袈裟なのかもしれませんが)を味わうこともありました。

しりとりやポケモンなど、ゲームに関しても、空気を壊さないようにするために本気を出せないもどかしさや、全力でぶつかることのできる相手のいない寂しさなどを味わうことがありました。

しかし、徐々にそうした気持ちを味わうことは減っていきました。

高校では、何人かで上位争いをして、毎回順位が変動するくらいには、同じ立ち位置の人が増えました。
それに伴って、勉強で悩んでいることを話せる友達も増えました。

ゲームも、今では全力でぶつかっても相手をしてくれる人に巡り会えましたし、Wi-Fi機能などで全国対戦ができるのを知って、自分より強い人と戦える機会が生まれました。

周りには中々悩みを理解されることのなかった私は、そこではもう孤独ではありませんでした。

そうした経験を経て、人には人それぞれ違った悩みがあることを意識するようになりました。
このnoteには、私が周りと比べて高いところにいたときに味わった孤独の話を書きましたが、逆に、周りの人は当たり前にこなすことが私には全然できないという思いをしたこともあります。

周りと比べて高いか低いかではなく、周りと違うことで苦しむ人は大勢いると思います。
しかし、例えそれが周りの多くの人たちには理解できないことでも、悩んだり、その悩みを誰かに話して受け止めてもらう権利は、誰にだってあるのだと思います。
そこに凡も非凡も関係ありません。

そして、周りと違うことで悩んでいる人の苦しみを受け止められるようになりたいと思いました。

皆、安心して高みを目指せる。妬みや孤独に恐怖しなくても良い。劣等感に苛まれなくても良い。
そのための力になれたら、どんなに素敵でしょう。

安心して高みが目指せるのは、素敵なことだと思うから。
自分で自分を蔑まなくていいのは、素敵なことだと思うから。
誰にでも、悩みを聴いてもらう権利があるから。

『みにくいアヒルの子』に登場する白鳥の雛も、周りに受け入れてもらえていたら、どんな展開になったのでしょうね。

お読みいただきありがとうございました。
素敵な一日になりますように。

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