56 たみーさんのnoteへ寄せて。
眠り子です。
今日、というかさっき、たみーさんのこちらのnoteを読みました。
昨日、とある人からもらった、とある言葉がきっかけで、「将来」というものがとても怖くなりました。
自分は社会で生きていくうえで必要な何かが欠如しているのかもしれないな…。
自分は1年後には、新宿か渋谷かの路地裏でのたれ死んでいるのかな…。
そんなことを思いました。
そんなとき、こんな言葉を思い出していました。
視野を広くもつこと。
短期的な視点にとらわれないこと。
そんなことは分かっていました。
しかし、将来に対する不安、自分に対する負の感情、無力感、絶望。
そういったものに支配されていた心は、そう簡単には切り替わりませんでした。
「今ちょっとネガティブな状態なんだ。いつか元気になれば、私も同じように活躍できるから」
と、もう1人のメタな自分が、絶望している自分に囁いてくる。
「それはわかってるよ。わかってるんだけど、動けないし、苦しいんだって」
絶望している自分が答える。
あぁ、本当に、心が切り替わらないときってあるんだな。こういう気持ちなのか。
一つ、大切なことに気付けたことは事実でしたが、それだけでした。
そこから、心を元気に戻す力は、湧いてきませんでした。
特殊な技能はもっていても、それを活かせる場所は少ないのかもしれない。
そもそも社会で生きていくのに必要な、もっと普遍的なもので欠如しているものがあるのかもしれない。
でも本当は、社会で生きていきたい。
あぁ、生きていきたかったなぁ…。
短期的な視点にとらわれるな。
やってみなければ分からない。
飛び込んでみなければ、分からない。
冷静に、理詰めで、自分を立て直すための正論をいくつももってくる自分はいるのだけれど、あぁ、心が立ち直らない。
「どうしてこんなにダメなんだろう」
「なんで自分ばっかりこんな状態になってしまうんだろう」
メタな自分が引っ込んでしまうと、もう涙が止まらない。
正に、昨日のできごとでした。
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結果としては、そのあと母に色々話をして、してもらって「大丈夫、生きていこう」と思えるようになりました。
どうしようもないときがある。
そんなときは、想像してみてほしい。
あなたの大切な仲間の調子が悪かったら、どんな風に思う?
辛いことがあって、自分を責めたくなるときがあって、色々なものに絶望することがあります。
どうしても、心が切り替わらないときもあります。
でも、誰かがそれをこうして言葉にしてくれている。
そういうときにもっていたい心構えを、言葉にしてくれている人がいる。
そこにとても温かさを感じられたnoteでした。
いいなぁ(*´-`)
たまにはスープを作って心も温めてみよう。
お読みいただきありがとうございました。
素敵な一日になりますように。
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