01 自明のお話
noteって、何を書いたら良いのだろう。
きっと、何を書いても良いのだろう(マナーとルールは守りますよ)。
note、書いてみようかなと思って、
書き始めた第1話。
ブログを書いたことはない。ツイートは…たくさんしてる(笑)。国語は…好きだったけれど、得意なわけではなかった。
そんな私が、そもそも何故noteを書こうと思ったのか。今回はそんなお話。
8月12日、ひらやまさんのcotree advent note meetupというのに参加させていただいた。
noteを書いたことはなく、cotreeって何ですか?って状態だったけど、諸々の事情から飛び込みたい理由があり、お手伝いをさせていただけませんかと、声をかけた。
ひらやまさんは快く受け入れてくれ、私は普通に参加者として、参加することができた。
私以外の方たちは、自分のnoteアカウントがあって、更新のペースは人によってまちまちだけれど、皆noteを書いている。
そんな中「noteを書いてみる気はないの?」と尋ねられた。
私はこう答えた。
「普段から色々と考えていることはあって、疑問に思うこともあります。そのときには、それをとことん、自分なりの結論が出るまで掘り下げていきます。だけれど、そこで自分なりの結論が出ると、『あれっ、色々ぐるぐる考え込んでいたけれど、これって自明じゃない?』みたいな気がしてしまって、態々言うほどのことではないかなと思ってしまうんですよね」と。
本当にそうだった。
私は物理や数学に触れることが多く、その中である数式を弄っていて出てきた答えに見覚えがあることがある。そこで「あれ?」と思って、もう一度考えてみると「その式が出てくるのは当然のことだ」と気付くことがある。そういう、感覚。
まるで、自分が気付いていなかっただけで、本質を知る者には「当然でしょ」と言われてしまうような結果を得た感覚。
自分の中でそれまでバラバラだったAとBが繋がる感覚で、嫌いどころか好きな感覚。
だけど、それで終わってしまう。それを自分から積極的に発信しようとは、思わない。いや、思わなかった。
だけれど、話を聞いていてくれた人に言われた。
「どうやって、それが自明だって答えに辿り着いたかを、他の人は知りたいこともあるんじゃない?」
そういうものか、と思いながら、確かにそうかもしれないとも思った。
物理の本によく出てくる「証明は自明であるため省略する」の一文。あなたにとっては自明かもしれないけれど、私にとっては自明じゃないんだよ!!!証明載せてよ!!!フェルマーか!!
そう思うことが何度あっただろうか。
それと同じではないか。
私の"自明"が、誰かの"道しるべ"になるかもしれない。誰かの気づきになるかもしれない。
この間、先人の知恵は、実践は、偉大だと思ったばかりだったのに。
誰かの思考が他の誰かの役に立つことだってあるかもしれない。
それなら私の「結論集」を書いても面白いのかもしれない。
もしかしたらそれを読んでくれた誰かが、私に違う結論を示してくれることもあるかもしれない。
そうしたら、それはなんて素敵なことだろう。
(次回からもう少しコンパクトになるはず)
お読みいただきありがとうございました。
素敵な一日になりますように。