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03 無意識に価値観を押し付けないお話

価値観って人それぞれありますよね。
誰かのもっている価値観が自分にとって受け入れられる価値観のときもあれば、そうでないときもあると思います。
また、逆に、自分のもっている価値観に、相手が賛同することもあれば、相手にとっては相容れないものであることもあるでしょう。

今回のnoteは、自分のもっている価値観・感じ方を無意識に相手に押し付けていない?ということについてです。

前回のnoteにも、少し似たような話が出ていますが、価値観の押し付けとして分かりやすい例を出すと「将来いい企業に入れるように、大学は〇〇大学を受けなさい(あるいは、今のうちからいっぱい勉強しておきなさい等)」とかでしょうか。
ここには、いい企業に入る=いい人生という価値観が隠れています。そもそもいい企業とは何でしょうか。やりたいことや大事にしていることなどによって、何がいい企業となるかは人それぞれ変わってくるでしょう。

勿論これが、言葉の送り手が受け手の価値観を理解したうえで発した言葉なら、問題にならないこともあるでしょう。しかし、相手のもっている価値観の理解が十分になされないまま、あのような言葉を発してしまうと「それはあなたの価値観でしょ!!」と、言い争いになってしまうこともあるかもしれません。

感じ方も、価値観と同様に人それぞれ異なるものです。
今回noteのトップ画像に使用したのは、この間、新江ノ島水族館に行った時に撮ったクラゲの写真です。
この水族館に行った時にも、子どもが魚を見ている中、保護者の方が「あっちにいるやつの方が綺麗だよ」と言って、子どもを連れていってしまう場面がありました。
何を綺麗と思うかは人それぞれですし、そもそも綺麗なものが好きかどうかも人それぞれなのに…と思う場面でした。

他には例えばこんな場面でしょうか。
「この間、〇〇遊園地のジェットコースターに乗ったんだ」に対して「あれ面白いよね!!」
「明日は雨かなぁ」に対して「それはちょっと嫌だね」
一人でご飯を食べている人に対して「可哀想」

一つ目、二つ目は表情や声の感じから相手の感情が読み取れることもあるでしょう。ですが、そうでないときに安易に「〜だよね」「〜だね」を使うことは、一方的に自分の感じ方を押し付けることになりかねないと、私は思っています。
三つ目に関しても、一人でご飯を食べることが可哀想なことになるかどうかは、人それぞれです。単に一緒に食べたいと思う人が居なかったのかもしれませんし、人と一緒にご飯を食べることが苦手だという人もいます。

先の例だと、私は、一つ目は「そうだったんだ」「ジェットコースターに乗ったんだ」「どうだった?」など、二つ目は「雨かもしれないね」「ちょっと嫌?」など、相手の発言をそのまま受け止める、あるいは相手の感情を尋ねるようにしています。
三つ目に関しても、いきなり可哀想だとは思いません。もちろん、実際にその人が寂しい思いをしている可能性もあるので、自分がどうするかはケースバイケースですが、自分の価値観を押し付けてしまうことのないようにしています。

今回のnoteの最初に出した例は、だいぶ極端な例だと思われたかもしれませんが、自分の価値観・感じ方を無意識に押し付けてしまっていないかを時々省みるということは、人と関わるうえで大事なことだと、私は思っています。

トップ画像にしたクラゲ、私は綺麗だと思うのですが、皆さんはどう思いますか?(クラゲ苦手な方はすみません…)

お読みいただきありがとうございました。
素敵な一日になりますように。
途中で話に出た前回のnoteはこちら↓



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