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京都精華大学 サコ学長の日本観が面白い

「学校以外の、誰にも制約されない時間やだらだらした時間を使って考え、遊びや家庭での経験とシンクロさせて自分の中に落とし込んでいく、というプロセスも必要だ。個性は、そうやって伸ばしていくものであり、余暇の時間をしっかり使うということによってしか、自分自身は成長しないのではないか。」

確かに親や教師から、お前らダラダラしろといわれた記憶はない。教室でも部活動でも家庭でも、学生時代はダラダラすることはほとんど許されない。社会に出てもしばらくは許されない。ではいつするか。仕事上の戦力外になるころから徐々にはじまり、引退後から死ぬまで続く。(男性に多いようだ)

「趣味といったら、まるで専門家のような勢いになるので、ビックリする。<映画を見るのが趣味で>と言ったときには、映画オタクが近づいてきて、〇〇監督のあの作品のこのアングルが、撮り方が・・・って、うんちくを垂れてくる。なんやねん!知らんわ!こっちは、軽い気持ちで映画を楽しみたいねん!」

これに対して、内田樹氏の解説が痛快。

「映画オタクも、コスプレーヤーも、別に社会的に特に有用な存在だとみなされているわけではありません。彼ら自身でも、自分たちが周縁的な、不要不急の文化活動にかかわっていることはよく自覚しているはずです。でも、それでも、あるいはそれゆえにこそ、彼らは自分たちのこだわりの領域について、ものすごく真面目に、トリヴィアクイズ的情報と深い技術知を身につけようとする。そして、そのことはその領域では高く評価される。それとは逆に、あれこれの分野について、ちょっとだけ興味があり、ちょっとだけ知っているという人は、日本社会では<半可通>とか<半ちく野郎>とか<ニワカ>とか呼ばれて、軽侮され、しばしば罵倒の対象にさえなります。だらだら映画を見たり、遊び半分に服着たりするのはダメなんです。ちゃんとしたプリンシプルがあって、深い理論的裏付けがあって、献身的にやらないとダメなんです。教科以外のものに対しても、やる以上は生真面目に、徹底的に、偏執的に関心を向けなければいけない。中途半端に関心を持つくらいなら関心を持たない方がましだ。もしかしたら、多くの日本人はそう思っているんじゃないでしょうか。とりあえず親とか先生とかにそう断言されたら、勢いに負けて、<あ、そうなんだ>と頷いてしまう人はかなり多いんじゃないかと思います。でも、ちょっと待ってくださいね。そんなことに簡単に頷いちゃっていいんですか?ほんとにそんなこと認めていいんですか?中途半端な関心を持つくらいなら関心を持たないほうがいい。よく知らないことについては口を出さない方がいいって、ほんとうに世界共通の真理なんですか?とりあえず、サコ先生は<違う>と思っています。サコ先生の眼には、この信憑こそが日本人に取り憑いた一種の民族誌的奇習に見えている。サコ先生から僕はそのことを教えられました。(中略)こういう態度があまりにもすべての領域で起きているので、ついに無感覚になってしまって、<人間、世界中どこでもそういうものでしょ?>と思っていましたけど、違うらしい。どうやらこれは日本の<風土病>らしい。いや、わかりません。別に網羅的にデータを取ったわけじゃないんですから。でも、サコ先生が日本の教育について一番気にしているのは<このこと>なんです。だということは、これはよその国ではなかなか見ることのない現象だということです。」

最近アートに興味がありまして、でもまだ買ったことはないんです。

作品の良し悪しは説明できないけど、作家のファンなんです。

そんな方大歓迎です。フェア会場で作家という人種と話してみてください。

きっと何か面白いことがあります。それは約束します。

明日はアートフェア東京の作品搬入設営日。


   


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