Creation.6&7「戦争と平和」
作.オトモモチ2号ふうこ
私は、人と争うことがあまり好きじゃない。喧嘩もほとんどしない。人に嫌われるのが怖いからだと思う。やや動機不純だし、怒らなくて損してる自覚もある。話が逸れるのでこれ以上は触れない。
でも、だからこそ、人と争うというジャンルにおいていちばん最悪なパターン・戦争はめっちゃ嫌である。戦争は私たちの想像では追いつかないほどむごくて容赦ないはずだ。私は、はだしのゲンや火垂るの墓は見たけど、原爆ドームはまだ行けてない。怖い。目を背けている。見ない振り良くないのはわかってるけど。そして戦争は人が死ぬ。人が死ぬことには、どうしようもない悲しさがあると思う。昨年祖母が亡くなり、それを実さ感している。誰かが死ぬと、その人がいなくなっておしまいではなくて、ああ居ないな、というのを日々、季節ごとに新鮮に、生きてる人たちが実感する。長い悲しみだと思う。そんな悲しみが何千、何万と生まれてしまうものなんて、どんな見返りがあっても最悪の喧嘩だ。
戦争なんかより、やっば〜い程幸せで楽しくなれることが生きてると沢山ある。深夜のラーメンとかアイス、大爆笑、ふかふかの布団にダイブする瞬間とか、ある。それは、わたしにも、あなたにも、世界の人にも、アイツまじキライ生理的に無理!みたいな人にも、その辺の人にも、なんか偉いっぽい政治家のひとにもきっと同じようにある。そんなたくさんの一つ一つの幸せを奪うこと、しなくてよくない?みんなで幸せを大切にして長生きしようよ。
生きてればただでさえずっとハッピーではいられないから、さらなる悲しみなんて生まないで。みんなで、丁度いい距離感で想像力はたらかせてどうにか理解しあって、長生きしたい。あと、戦争や平和を考えるうえで圧倒的な自分の知識不足感じるので、もっと勉強しなきゃと思ってます。知らないことが一番怖いから!!
作.松物「戦争がはじまったら。」
戦争が始まったら、シャワーは手短に浴びよう。裸のまま死んで見つかりたくないから。
戦争が始まったら、友達と一緒に戦うことになるのだろうか。同期には負けたくないな。
戦争が始まったら、自衛隊のいとこは前線に出るのだろう。僕より体力もあるし、銃の使い方も知っているから。
戦争が始まるまでには、親は病気か何かで普通に死んでいてほしいな。戦争に行く自分を送り出して欲しくないし。
戦争が始まったら、ジェンダー平等の概念なんて消えてほしい。お姉ちゃんは女だから戦争には行かなくていいよね。男は俺だけでよかった。まぁ、2人の旦那さんは行くかもね。でも姉ちゃん無事ならいいわ。
戦争が始まったら、ラーメン食べられなくなるのかな。それは死んでも避けたい。タピオカは我慢できる。
戦争が始まるまでに、住民票自分の家に写とかないと。実家に召集令状が届いたらお母さん泣いちゃうもんね。
戦争が始まったら、日々生きてることを感謝して生きれるね。
戦争が始まったら。
戦争が始まったら
あぁ、始まらないでほしいな。
回想
8月9日の金曜日に放送した回です。
1945年(昭和20年)のこの日。
長崎に原子爆弾が落ちた日。さらにはソ連が対日宣戦した日。
※さらにその6日後の8月15日は「終戦の日」として記憶されますね。
突拍子もなかったけど、「戦争と平和」について考えてみたかった。
そして、上の2作を送ってくれました。
僕は今23歳です。僕の親はもちろん戦争なんて経験していない。
だけど、祖父母より上の世代はもろに経験している。
戦争ってなんだ?現象なのか。状態なのか。あるいは運動なのか。カテゴリーできないこの「戦争」。言論では幾度となく聞いてきた。だけど正直なところ、どうしても詰め切れない距離感がある。
そんな僕らや、僕らよりも下の世代はどういう態度であればいいのだろう。そう思ってラジオで取り上げてみました。
こんなお便り(部分引用)もいただいた。
「夜の鼓動にふれる〜戦争論講義〜」著:西谷修(筑摩書房)を読んでいました。戦争論講義と副題に添えてあることからわかる通り、この本のテーマは戦争です。衝撃的な文がたくさんあるなかで、今回は比較的分かりやすい一文をご紹介します。
「戦争とは有無を言わさずすべてを呑み込む〈現実〉であって、〈言説〉とはまったく別のものなのですから。(65ページ)」
この文からみなさんは何を考えますか?
いっろーんな考えや意見があると思う。
それでも僕が固持していたいのは、人の痛みや苦しみとか経験(またはトラウマ)に想い馳せる想像力を幾らかでも信じること。
「幾らかでも」っていう脆さが嫌だけど。自信の無さにも思えるけど。