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家成俊勝さんのことばを聞く①

福西|よろしくお願いします。今回のインタビューで「これは聞いてみたい」ということが幾つかあります。このようなコロナ禍状況下で、ふらっと大阪にも行けない。いつもは気軽に会って話ができていたことがなかなか話せなかったりするので、このような機会を設けさせて頂きました。

家成|よろしくお願いします。

福西|さて、何から話を始めましょうか。

家成|気楽にやっていきましょう。

福西|今年でドット・アーキテクツは結成何年目ですか?

家成|2004年からなので、もうすぐ16年ですね。

福西|16年!すごいですね。

家成|やばいですよ。

福西|ドット・アーキテクツは設立時から知っているから。

家成|もちろん、だって「ドット・アーキテクツ」の名前つけてくれたのは福西君だし。

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組織について/ 超並列のあと

福西|その後、ドットはすごい活躍で組織も大きくなってきている。家成さんが個人的に興味のあってやりたいこと、と組織としてやっていきたいことが合致している時、もしくは乖離している時と、色々あると思うのですが。まずはそのあたりについて最初に聞いてみたい。

家成|なるほど。組織とは言っても、僕と赤代武志さんを入れて7人なのでそこまで大きくはないコンパクトな組織かな。組織として動く時にいつも考えているのは、一人一人がピンで仕事ができる人間が集まっているのがベストということ。皆それぞれに持ち味があるので、良い所が重なっていけば面白い、といつも思っています。

福西|初期の頃に「超並列」と名付けた設計手法で活動をしていたと思いますが、今はその頃とは違いますか?

家成|ちょっと違うとは思うのだけど、根底にある考え方はあんまり変わっていなくて。「超並列」と言っていた時は、手法化していたと思います。ディテール担当・模型担当・プラン担当、みたいな。それはとりもなおさず、僕と赤代さんと大東さんのディスコミニケーションが成せた業というか(笑)。3人とも全然違うから、議論してもゴールがない。誰か一人のアイデアに収束していくことを全員が嫌う、という。皆バラバラに進めて良いとこ取りしよう、みたいな感じですね。今も役割分担こそないけど、根底にはその考えがある。

福西|それって、すごく奇跡的なバランスだな、と思ってみていましたが、もちろんうまくいく時と、うまくいかない時がありますよね?

家成|あるある。全然あるけど、なにをもってうまくいくかを決めるのも難しい。なんとかやれている感覚はある。

福西|それでいてある種のスタイルだとか、作品を作っていこう、という意識もそこまではない?

家成|そうですね、でも「ドットらしさ」みたいなことは、周りからはよく言われるけど、僕らとしてはスタイルを意識していない。その都度話し合って考えている。けど、今となりに寺田君(スタッフ)がいるんですけど。彼がどう思っているか分からない(笑)。「家成のトップダウンでやっているやないか!」と言われれば、そういうことになる。

福西|なるほど。僕も伊東豊雄さんの事務所にいた時に、自由にやらせてもらっていると思って、やりたいことをやっているつもりでしたけど、気づいたらプロジェクトは伊東さんぽくなっている。最後はガサっと掬われて回収されていく。良いことだとは思うのですが。

家成|そうだよね、伊東さんのお気持ちも分かる気がしてきて、最近。前線でプレゼンするのも伊東さんだし、責任も伊東さん。最後は回収して自分の言葉にしないと言葉の説得力がないと思う。だからドットでもみんなが色々言った言葉を自分なりに回収・咀嚼して、自分の言葉で話せることが必要だと思っています。

大地について

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No.00 / dot architects (Photo : Takumi Ota)

福西|アトリエの事務所によっては、最初に強いコンセプトをたてる。それが抽象的なコンセプトであったりすることも多い。例えば自然とか。ドット・アーキテクツはあまり抽象的なコンセプトをたてないですよね。

家成|確かにそうですね。

福西|コンペの時とか、抽象的なイメージを最初にだして進めていくこともあると思います。コンペをやる時とかは、そのような抽象的なコンセプトを作ったりもしますか?

家成|それがあまりないんですよね。わりと具体的な与件とか環境から形をだしていくことがあって、「自然」みたいな大きいコンセプトがないな、って最近感じています。そういうのも必要かなあとは感じています。

福西|僕は個人的にそちらばかりやっていたから。ペンシルベニア大学・大学院でセシル・バルモンドに教わっていた時も、抽象的な自然の考えた方を色々な手法を使って具体化してきた。ドットはそれがないから、逆に強いなと思います。だから、ドットがいきなり「自然」とか「木が成長する」と言ってほしくない。

家成|でも時には大きいストーリーとか、抽象的なコンセプトも必要な時がある。その時々で変わるとは思うんだけど、一つキーワードがあったほうがいいかなあ、と思っています。

福西|そうですね。

家成|でも、何が新しいか、何がキーワードになるかを考えることも難しい。

福西|僕の勝手なイメージですが、ドットの作品に抽象的な自然のキーワードを当てはめると、「大地」のイメージが強い。特に作品において地面との接し方にすごく気を使っている。馬木キャンプの基礎にしてもそう。大地・地面をいかに定義するかにものすごく時間をかけていると思います。そのような意識はありますか?

家成|それ結構あります。僕たちの建築に直接「大地」がつながるかは分からないけど、そのような意識は大いにあります。高祖岩三郎さんの言葉で「地球とは我々にとって共通なるもの=THE COMMONの究極的な形態である。我々を育む滋養、個々の生死を超えた物質的運動、起こり得ることの存在的可能性、地球とはこれらの総体である」と。地球そのものの上に建築は乗ってくるし、材料も全て地球上・大地でつくられたものであるから、大地との関係性は常に考えています。

福西|スケールの大きな話ですね。

家成|あと「土地」のことですね。所有については昔から考えています。僕ら建築が建てる場所についてです。敷地境界線があって、誰かが所有している場所の上に建築を建てていく。だけどそもそも、地球の表面が切り売りされていることに対しての違和感がある。縄文時代に敷地境界線なんてあんまりなかったと思う。地球の上に家が建っている気分だったんじゃないかな。端が見えないというか。抽象的ですが、その感覚が良い。

福西|地球の上に家が建つところまで俯瞰して考える意識を日々の設計の中で持つことは非常に大切なことではないでしょうか。

家成|昨年1年間、慶応義塾大学SFCの松川昌平さんと松川研究室の学生さん達と一緒にプロジェクトに取り組んだこともあって、最近山に興味がでてきて、山が欲しいなと思っている。自分がそこで木を切って建てられるか分からないけど。木を切って、植樹して、育てるというサイクルを生きている間に経験したい。それもやっぱり地面から生えてくるものを使って建てたいですね。コンクリートの基礎は、自然に全然戻らない。馬木キャンプでコンクリートの基礎は使用したんだけど、コンクリートの生成過程の化学反応で組成が全部変わっているから、壊してもアスファルトの下に敷くとか、再度コンクリートに再利用するとかしかない。そう考えると切株の上とか石の上に家が乗っているとかって、とても清々しい。自然から石を借りてきて、それを基礎にして建物を乗せる。建物が無くなったら、元は自然の石だから、そのままにしておく、又は何の変化もない、状態。それがすごく面白い。

土盛り・基礎・石垣・城

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福西|「土盛り」や「基礎」に対して意識的ですよね。ある種とても東洋的であるとも思います。僕、ルイス・カーンが好きで「カーン建築」ばかり見てきました。カーンの建築って同じ基礎でも全然種類が違う。ペンシルベニア大学に在学していた時に、半年ぐらいかな、フィッシャー邸の実測をしました。実測中に施主のフィッシャー婦人と話をしていたら、カーンは基礎だけ作れれば良い、みたいなことを言っていたらしい。

家成|なるほど。

福西|「基礎だけ作られても困るわねえ」と仰っていました。家成さんが言っていることは、基礎や土盛りも間借りするぐらいの勢いがあり、所有の概念が希薄ですよね。では何をもって場所を所有しているか、を考えたときに、カーンとかは「壁」だと思う。壁をたてることである一定の場所を所有する。そう考えてドットの作品をみてみると、あまり壁がない。壁がないことっていうのが、所有をしないことの意思表示なのかなとも思います。

家成|その意識は確かにあります。

福西|それでいて一方で、ドットの作品をみていると「お城」のようにみえる瞬間がある。山と城は少し違うと思いますが、山は地殻変動で大地が隆起して出来るとすれば、ドットの作品はその隆起した物の上の城を作る雰囲気がある。

家成|それはすごくおもしろい。城も石垣を組む。カーンも石の基礎を作り、石垣も作る。石垣は石のままじゃないですか。形が色々あってある程度は整えるけど、そのまま石として使う。例えそれが無くなったとしても、元々は石を集めただけだから、バラしても元あった状態に戻るだけ。元にあった状態とは配置はもちろん違うけど、意味はあまり変わらない。元あったものが組み合わせるだけで空間ができることが美しい。それがお城の雰囲気を作っているのだとしたら嬉しいですね。

福西|NO.00もお城ぽい。

家成|確かに。でもあれコンクリート使いまくってしまった(笑)。

福西|基礎や土盛りの上に乗る軸組の考え方も色々ありますが、ドットは軸組への意識よりも基礎への意識が強いですね。それがドットらしい建築の要素なのかもしれませんね。

>>家成俊勝さんのことばを聞く②に続く

家成俊勝(いえなりとしかつ)
1974年兵庫県生まれ。 京都芸術大学教授。2004年、赤代武志とドットアーキテクツを設立。アート、オルタナティブメディア、建築、地域研究、NPOなどが集まるコーポ北加賀屋を拠点に活動。建築設計だけに留まらず、現場施工、アートプロジェクト、さまざまな企画にもかかわる。代表作はUmaki Camp(2013、小豆島)、千鳥文化(2017、大阪)など。第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(2016)にて審査員特別表彰を受賞(日本館出展作家)。
福西健太(ふくにしけんた)
1979年大阪府生まれ。ウィスコンシン大学ミルウォーキー校建築学科卒業 / TEN Arquitectos NY勤務/ ペンシルベニア大学大学院建築学科修了/ 伊東豊雄建築設計事務所  / 福西健太建築設計事務所主宰/www.kfaa.jp


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