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垣内光司さんのことばを聞く①

福西|よろしくおねがいします。垣内さん、逆光で坊主頭だけがシルエットで浮かんでいるのが怖いんだけど(笑)。

垣内|どうしようかな(笑)。

福西|いいですよ、なんだかマフィアのドンと話しているみたいで。このままいきましょう。お時間ありがとうございます。先日、ドットアーキテクツ家成さんとも話しをしました。とても盛り上がって、いつもの会話の延長で色々な建築の話ができた。垣内さんとも、普段お話をしているような雰囲気の中で進められたらと思います。

垣内|よろしくお願いします。

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福西|僕が垣内さんと初めてお会いしたのが、梅田の studio-Lの山崎亮さんのイベントか何かでしたか。

垣内|そう、山崎さんの本の出版のイベントだったかな。10年以上前。

福西|結構前ですね。それから度々お会いしていますが、長く知り合いの割に、垣内さんのことを知っているようで、知らないことも沢山ある。いつも気になるけど聞きそびれていることがあって。垣内さんの事務所名は「八百光」でしたよね。

八百光設計部について

垣内|ええ、八百光 (やおみつ) 設計部と言います。

福西|確かご実家が八百屋さんでしたか。

垣内|そう、一度事務所来てもらったよね。あそこが55年ぐらい前に父親が一人で八百屋を始めた場所なんですよ。元々は店舗付き長屋住宅で、1階の土間で商売ができるようになっていました。何年か経った時に、お店を近所のスーパー内に移した。スーパーに移転した後にここが野菜や果物を置く倉庫になった。それを僕が大阪芸術大学の卒業設計の時に、友達とDIYで直して、倉庫の2階を卒業制作する為のアトリエとして使っていました。

福西|そうなんですね。

垣内|大学卒業後は設計事務所で働いていたけど、その事務所を辞めた後、倉庫にある業務用冷蔵庫の隣に机をひとつ置いて事務所めいたものをまず開いた。その時にはまだ昔のお店の「八百光」の看板が残っていたから、そのままでいいや、ってことでそのままにしていました。独立しても仕事とか全然ないから、倉庫を間借りする代わりに配達の手伝いをしていた。打ち合わせの電話をジャガイモの配達中に取ったりしてね(笑)。

八百光事務所外観

< 八百光設計部 事務所外観 >

福西|垣内さんの原点ですね。今も事務所の辺りは京都の下町の雰囲気が残っているのですか?

垣内|原広司さんが京都駅ビルを建てたのは、京都人にとってみればすごく面白い。景観の話も勿論あるんだけど、僕はさすが原さん、と思っています。というのも、京都駅から北と南では文化圏が違うんですよ。僕が住んでいる南は工場も多く、有名な企業、例えば任天堂、京セラ、村田製作所なんかがある。北は所謂本当の京都市内と言うか。ウチも京都市内なんだけど、洛中・洛外の感じがある。南の方は、昔はとくにヤクザの組事務所も多かったし、街宣車も走り回ってた。パッチギ、アウトレイジ的な世界ですね(笑)。京都駅から南に車で10分ぐらいだけど、大学も多くて今は学生の街かな。昔から住んでいる人も多いし、外国人も多いですよ。

福西|面白いですね。事務所名の話に戻りますが、いつも八百光設計部という名前をみて、いい名前だなあ、と思っています。

垣内|父親からは大反対されましたけどね。

福西|そうなんですか。でも、垣内光司という名前の雰囲気と事務所名のバランスみたいなものが良く合ってる。

垣内|父親が光夫(みつお)なんで、「八百光」なんですよ。上に二人兄がいて、僕らは藤森神社の氏子なんですよ。流鏑馬で有名な神社です。兄貴二人は、神主の人が名前を決めたらしいけど三男の僕だけは、八百光のアルバイトの親戚の兄ちゃんが決めた(笑)。

福西|あはは!でも、清涼感はある名前で良いと思います。

垣内|事務所名を見て、間違って中国から仕事こないか、と思っていますけど、全然こない(笑)。

学生時代のこと

福西|初めてお会いして飲んだ時に横に学生さんもいましたよね。その時に建築の道の厳しさについて随分と学生さんに説明されていたので、その時分と比べると「垣内さん随分と丸くなったなあ」と。

垣内|いやいや。でも学生の頃は夢いっぱいだし、先生とかも一線で建築をやっている人たちが近くにいたので勇気をもらうじゃないですか。建築家になれば仕事があるのが当たり前のことだと思っていたけど、実際自分で独立してやってみると、何もなければ本当に何もない。建築というか、独立して仕事をする厳しさということも学生さんは知ったほうが良いんじゃないか、という話で。

福西|まあ、そうですけど。初めてお会いした時の会話がそれだったので、いやあ、こんなに面白い人がいるのか、と。

垣内|でもね、大阪芸大を卒業後、阿久津友嗣事務所に勤めていた最初の1年目は本当にキツかった。車の運転とか、愛車ってどんどん自分の扱える範囲が分かってきて、身体化していくじゃないですか。自分が知ることができて、操作できるのは車までだな、と思います。もう、事務所勤めの1年目は、何もコントロールできなかった。休む場所や時間すら分からない感じで。

福西|そんなに追い詰められていたのですか。

垣内|周りに友達に聞いてみたら、1年目はコピー取りとかお茶くみとかやってる。でも僕の場合はいきなり設計をやらせてもらった。所長の阿久津さんと僕しかいなかったし。AとBの仕事は所長がやるから、Cの仕事は垣内くん、ちゃんとやってね、と所長はあまり事務所にも来ない。分からなかったら過去の図面みて、現場も打ち合わせもひとりで行け、というスタイル。それはもう、めちゃくちゃしんどかった。

福西|ちょっと所長の懐の深さたるや、信じられませんけど。

垣内|いやいや、考えられない(笑)。自分が今逆の立場でも考えられない。

福西|確かにちょっとすごすぎるけど、それが今の建築家としての垣内さんを形成していますね。

垣内|もう、ほとんどそれですよね。全ての図面も手描きで描いたし。だから所長も僕の案を通してくれたりして。生意気な1年目の所員だったと思いますけど。そういえば、阿久津さんと初めて会うとき、大阪のハービスで30代の建築家を集めた展覧会があって、阿久津さんも出展していた。その展覧会のポスターを卒業制作していたアトリエの壁に張っていたんですよ。卒業設計は模型が大きくないとダメ、という恩師・宮本佳明さんからの御達しがあって、宮本さんがゼミ生に聞くわけですよ「お前は模型を何畳つくるねん?」と。

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< 卒業設計:「近代都市計画批判」>

福西|ええ?!畳単位なの?

垣内|そう。六畳作ります!と(笑)。デカい模型をエスキースの為にいちいち大学に持って行けないから、宮本さん自ら家庭訪問に来てくれました。その時に壁に張ってある展覧会のポスターを見つけて、これに行くつもりじゃないよね、と。

福西|あはは!

垣内|「行きます」と言うと、「今やるべきことは卒業設計で、展覧会に行く暇なんてない。外出禁止や!」と言われた(笑)。いや、でも僕は就職活動で阿久津さんにアポも取っているんです、と言うと「あかん、俺の名前を出していいから断れ」って。

福西|最高ですね、その話。

垣内|で、仕方なく阿久津さんに電話して、卒業設計で宮本ゼミに外出禁止令が発令されまして…と説明したら。阿久津さんも優しいから「じゃあ卒業設計終わってからそれも見せてよ」と言ってくれて。それから改めて阿久津さんに会いに行った時、ポートフォリオを見せた。そうすると、阿久津さんが言うわけですよ。「垣内君、ウチに来ても住宅の仕事しかないよ」と。はい、と言うと、木造しかできないよ、と言われる。それはおかしくないですか、となるじゃないですか。住宅であろうが、大きかろうが小さかろうが、建築家は、その時に一番有効な構造形式をチョイスするのが建築家の職能じゃないのですかって。そしたら、お前俺を揺さぶるつもりか、と言われて(笑)。

福西|何それ、面接なんですかそれ(笑)?

形式について

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< 伏見稲荷の納戸 / 八百光設計部 >

福西|話しは変わりますが、垣内さんの作品「伏見稲荷の納戸」と「上鳥羽の離れ(仮)」は見学させてもらいました。「石垣島の躯体」は見たことがないので分からないのですが、垣内さんのプロジェクトの文章を読んでいると「形式」をすごく意識して設計を進めていますよね。

垣内|ええ、そうですね。

福西|伏見稲荷の納戸は「鳥居」という形式が明確ですね。石垣島の躯体の形式は、石垣島にある周りの建物の住居形式を引き継いだ、という話をされていましたが、鳥居のような強い形式と比べると、少し意味合いが違う。

垣内|「石垣島の躯体」の形式というのは、周りの住居が持っている形式というわけではなくて、石垣島の気候とか、集落のコンテクストとかに対する建築の対応として「形式」という言葉を使っています。だから、石垣島に存在する住宅形式をそのまま反映させたわけではない。集落の住宅形式では何も分からない、というのが「石垣島の躯体」でのアンサーなんです。つまり、台風がどこから来て、風や湿気をどう抜いて、日陰をどう作るか、と言うのも周りの住宅からはコンテクストとしては読み取れないんですよ。それを目に見える形で分からせるための新たな形式として「石垣島の躯体」を立ち上げた、というのが僕の真意なんです。

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< 石垣島の躯体 / 八百光設計部 >

福西|なるほど。

垣内|だからある意味、教育的指導なんですよ(笑)。周辺の住宅からは、そこの気候とかコンテクストにどう対応しているかは読み取れない。だから、僕の設計した建物を見た時に、どちらから強い風が吹くのか、どう風が抜けていくのか、地下水・井戸水がどう流れてそれをどう利用するか、というのが建物を通して分かるようにしている。それを形式と呼んでいます。だから、元からそこにある建築形式を踏襲している、ということではないんです。

>>垣内光司さんのことばを聞く②に続く

垣内光司 (かきうち こうじ)
1976年京都府生まれ。大阪芸術大学卒業後、阿久津友嗣事務所を経て、実家の青果店八百光に設計部を設立。現在、一級建築士事務所八百光設計部主宰、大阪市立大学非常勤講師。第23回吉岡賞、第6回京都建築賞藤井厚二賞、WADAA2018など受賞。著書に7ip#03 KOJI KAKIUCHI(ニューハウス出版)がある。
福西健太(ふくにしけんた)
1979年大阪府生まれ。ウィスコンシン大学ミルウォーキー校建築学科卒業 / TEN Arquitectos NY勤務/ ペンシルベニア大学大学院建築学科修了/ 伊東豊雄建築設計事務所  / 福西健太建築設計事務所主宰/www.kfaa.jp



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