周期性について

阪神大震災から25年、オカンが亡くなってから10年経った節目として1月17日が来たんだけど、両方のイベントに繋がりは無い。偶然である。

毎年この日が、と言うことにもどこまで本当に意味があるかはわからない。1年の周期で地球にまったく同じことが起きるわけではないし、閏年で調整されてもいるし、1年前の今日も10年前の今日も25年前の今日も、2020年の今日へのループでもコピーでも無い。そこに関係性を見出すのは人間が勝手にやっている。

成人式あたりまで、節目と呼ばれるイベントは世代共通のイベントとしてやってくるものが多いが、いつしか節目となるイベントは個人でズレていく。今日と、1年後や10年後や25年後のまったく違うある日に、周期性と関係性を与えて思い出すようになっていく。

祝祭や弔いの形を持って現れるそれら。恐らくそうやって過去と現在に周期性を見ないと、人間はやってられんのです。あまりに同じ日々やあまりに違う日々を繰り返していると、自分がどこに立ってるかわからなくなるような、そういう感覚を持つ人間が多いから、世界中どこでも同じように、皆が関係ない1日と1日を繋いでいる。

そんなことを考えながら、5時46分が来るより全然早く猫を抱えて寝た。

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