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ヒッピーとバックパッカー

ヒッピーとはどんな人たちだろうか?

薄汚れた服を着て長髪を揺らしながらギターを弾くミュージシャン
ワゴン一つで世界中を旅するドレッドヘアの旅人
単なるドラッグ中毒者
愛に溢れた世界を求める理想主義者

旅をする中で、ヒッピーと呼ばれる人たちにたくさん出会い、そして今も主にヒッピーが暮らすコミュニティで暮らしている。そしてバックパッカーである私が暮らすバックパッカー文化とヒッピー文化は切っても切り離せない。
実は意外と現代にも存在するヒッピー文化を是非知っていただきたい。

ヒッピーの定義

ヒッピーとはどんな人たちなのか。
ヒッピーとは「60年代の欧米で生まれた現代社会の既存の価値観に反対し、愛、平和、自然、自由を重要視する思想を持つ者」と言えるだろう。言い換えれば、当時の社会には存在しなかった理想郷を求めた者たちでもある。

彼らの音楽やファッションは確かにヒッピーを形容するには重要な要因だ。しかし、それは全て上記の彼らの思想に基づいており、その思想こそがヒッピーを定義づけるものだと私は思う。

愛、平和、自然、自由から派生して、東洋思想、フリーセックス、全ての性の平等、ドラッグ解禁、動物愛護などを支持している者が多い。

ヒッピーの歴史

ヒッピー文化は1960年代に既存の社会の価値観に反対するカウンターカルチャーとしてアメリカ、サンフランシスコを中心に生まれた。60年代当時のアメリカではベトナム戦争が激化し、それに反対するようにヒッピーの基本思想である「愛と平和」の思想が興隆した。

保守的な価値観に対立するようにLGBTの権利が主張され、また避妊用ピルの発明も伴ってフリーセックスに寛容になった。
主流であったキリスト教に対抗するように東洋思想が重んじられ、思想を追求するために東へ向けて旅をする者もいた。東洋思想で重要な瞑想の効果を簡単に得られると、大麻や幻覚系のドラッグの使用が流行し、LSDの発明がその流行に拍車をかけた。
大量生産消費社会に警鐘を鳴らすように、自然回帰を謳う人が増えた。ここからビーガン思想や動物愛護運動が広まった。

このように社会の潮流に反対するように若者を中心に思想が広まっていったヒッピー思想だが、1970年代にはベトナム戦争終結とともに衰退していく。若者たちの純粋な「愛と平和」を求めた主張は聞き入れられず、戦争を止めることはできなかった。

しかし、一度は衰退したものの、90年代頃から繁栄したバックパッカーカルチャーやレイブカルチャーと組み合わさって、今でも世界中でヒッピー文化を継承している人たちがたくさんいる。

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現代のヒッピーとバックパッカー

現代におけるヒッピーは、この60年代に生まれたカウンターカルチャー思想の系統を引く者と言えるが、実際全ての特徴を持ち合わせている者は少なく、自然派だったりドラッグ愛好家だったり旅人だったり、当時のヒッピーの特徴の一部を受け継いで細分化されている。そしてこの細分化された中で、一番ヒッピー文化が根強く残っているのがバックパッカー社会だろう。

バックパッカーの原型の一部は60年代のヒッピーまで辿ることができる。東洋思想に傾倒したヒッピーたちが聖地巡礼のように東を目指した。お金はなくとも時間があったヒッピーたちは、陸路で地元の安宿に泊まり主にインドやネパールへとゆっくりと向かって行った。ヨーロッパからアジアにかけて彼らが通った旅路では安宿が発展し、情報交換のコミュニティが作られ、ヒッピートレイルと呼ばれるようになっていった。デリー、ヴァラナシ、ゴア、カトマンズといったヒッピートレイル上の都市のいくつかは、今でも当時の文化が根強く残っていて、多くのバックパッカーが一度は訪れたい憧れの街となっている。

今ではバックパッカーの目的は必ずしも東洋思想の追求ではなくなった。むしろそれは少数派だろう。それでもバックパッカー文化の中には、陸路移動だったり安宿だったりヒッピー文化が深く根付いている。バックパッカーの多くがベジタリアンで環境保護活動家、人権活動家なのも偶然ではないだろう。むしろ昨今の欧米では一般的になったビーガン食推進運動や反プラスチック運動、LGBTの権利拡大運動がここまで流行する何年、何十年も前からヒッピーたちはこのライフスタイルを提唱していて、バックパッカー 社会ではそれが普通だった。

バックパッカー文化、それはヒッピー文化を語らずしては理解できず、今でも現代社会に適合したくない者の理想郷のような空間でもある。

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