世界が一変しても変わらないもの。
自分の子どもは何をしていても可愛い。
食事を嫌がって不服そうな顔をされても、
ちょこまかと纏まりついて来て掃除の邪魔をされても。
だが、母も人間である。
疲れもすれば神経もすり減る。
許容できないことだってあるのだ。
例えば、言葉でコミュニケーションの取れない息子が、泣き叫びながら頭をぶつけ続けていることとか。
最初に「おや?」と思ったのはいつだったか。
ヒラヒラしたもの、カチャカチャ鳴るものへの執着がすごくて、集中していると呼んでも反応しない。
自分の世界にひたりたくて気こえないふりをしていた私の幼少期にそっくりだと思っていた。
どこかでずっと否定していた。
息子は賢いのだ。
言葉以外でのコミュニケーションはできる。よく笑う。愛嬌がいい。
ただ、気に入らないことがあると頭をぶつけながら泣き叫ぶ。
その行為に疲弊しきった私は、保育園の連絡帳に弱音を吐いた。
そして「専門期関での育児相談」を勧められた。
それが一昨日の出来事。
十人十色様々な子どもたちを見てきた保育士さんにとっても、息子は「普通」ではなかったのかと、少し泣いた。
世界ががらりと変わった気がした。漠然と思い描いていた未来が全部引っくり返った気がした。それでも唯一つ変わらないものがあった。
息子がかわいいのだ。
いつもよりじっくり息子と触れ合って、いろんな未来を想定して、唯一つ息子がかわいいことは変わらなかった。
それならやることも変わらない。私は息子が幸せでいられるよう。頑張るだけだ。
まだ未来は何も確定していない。まだ一つの可能性が動き出しただけ。
そもそも「普通」ってなんですか。
私は、私の可愛い息子がこれからも変わらず笑っていられるように頑張るだけだ。
ただ今日この日の息子への愛情だけは、忘れずに記録しておこうと思った。
2024.05.27
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どうしても吐き出す所が欲しくて書いたけど、そのうち消すかも。
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