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血液型による性格診断を妄想する

特段もの珍しい話ではないが、組織の一員として行動していると、ときより、場が静寂と化し、とても居心地が良いとは思えなくなることがある。気の知れた仲間であるにも関わらず。(気の知れた仲間だからそうなるのか。)

そんなとき、いくぶん場を和ませる手段として、血液型による性格診断をする光景を目撃する。良くも悪くもそれなりに場が和む。

科学的根拠はないらしいが、もしかしたら生物の進化の過程で、人類が自然淘汰されぬよう、血液型に多様性を組み込む必要があったのかもしれないわけだし、非科学的だと短絡的に議論を終わらせては面白くない。なにより、噂通りの血液型診断にズバリ該当してしまう同僚にときどき出会うのだ。ただ、まるで違う診断の人も随分いる。

ひとつの原子内の中性子の数が異なると、たとえ同じ陽子数をもった原子でも、化学的挙動が異なるように(同位体)、隠れた変数が見つかれば、ある種のバイアスがかかることが原因で性格判断にズレが生じるのでは、と妄想したくなる。だが、そもそも人のパーソナリティらしき属性値を変数として定義することが難しいのだろう。

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