シリーズ考察/柳沢きみお〜君は「翔んだカップル21」をどう読む?
今さらだけどオミクロンって名前がすごいよなァ。語感からして売れなさそうなバンド名に近い。
語感ってボクはかなり重視してて、興味を持つ持たないの選考基準の上位にランクインする。
このバンド観たいなあとか、話してみたいなあの決め手はバンド名だったり、歌詞の言葉遣いだったり。だって人間性ってそこに出やすいと思うんですよね。角度を変えれば脚本におけるセリフの描き方、そこにまつわる状況説明とか。
さてマンガにおける語感ってことで言えば擬音じゃないですか。ムキキ、、とかギニャーとかドーン!とかいわゆる藤子不二雄A的世界。耳の側で黒板に爪たててキシキシいわされてるあの感じ。安孫子センセの発明だと思います。
ボクらの世代でいえばマタンキ!七年殺しのとりいちゃんこと、とりいかずよしは忘れちゃいけない。おそらく昭和40年代後半生まれのボーイズならいきなり少年ジャンプにいくのではなく、コロコロコミックを踏み台にしていた確率は高いはず。つまり「トイレット博士」よりも「ロボッ太くん」世代。応募者全員にプレゼントされたあのKP団バッジ、まだ持ってる?ボクは実家に保管してるよ。
とりいちゃんのマンガは小学生、特に低学年のバカ男子はすっと入っていきやすい作品だった。ドリフターズのカトちゃんのギャグに近いというか。バカ男子の本能に理屈抜きで訴えかけてくるポップネスがあったんですよね。だってマタンキ!だぜ?
それゆえに。とりいかずよしをどう評価するのか、悩むマンガ狂は多いはずだ。
赤塚不二夫の弟子筋で、アシスタント出身者は柳沢きみお。柳沢の才能を世に解き放ったことが最大の功績であるって、そんなわきゃない。「トイレット博士」の大ヒット、個人的には大好きだった「うわさの天海」、コロコロコミックに舞台を移して「ロボッ太くん」とまあいくつものギャグマンガを送り出してきた。
そんな彼が作風を変え、サラリーマンものにチャレンジした作品がある。「トップはおれだ!」。自動車セールスマン業界を舞台にした異色作。表紙のイラストが時代を感じさせる。当時本屋で見かけて国友やすゆきのマンガかと思った。それこそ「JUNK BOY」とかの頃の。で、買ったのかっていえば買ってない。立ち読みするにも単行本にシュリンク当たり前の時代突入もあり、読んだのはだいぶあとになってから。
ギャグ漫画家が方向転換していくことは珍しい話ではない。ストーリーものと違って、瞬間芸の連続を何年も続けていくことがどれだけしんどいことなのか。柳沢きみおが早々にラブコメジャンルを開拓し、弟子筋の村生ミオも追随していくのも当然。小林よしのり、相原コージに喜国雅彦も作風は大きく変貌したし、吉田戦車だってエッジの効いたシュールな作風から今や自らの家族をネタにエッセイ風マンガを描いている。
そんな中で柳沢きみおはもう一度原点回帰しようとした。ボクが長年追いかけ研究に研究を重ね、出した結論はコレだ。ギャグからラブコメ、ハードボイルド路線へを舵を切り、いつしか柳沢はエロギャグに振り切ることで画風すら変えていった。たとえば「形式結婚」は初期と後期でまるで描き方は違うし、その直前まで連載していた「100%」もTV局を舞台にしたバブル期の青春群像劇から後半はドタバタギャグを乱発。その揺り戻しで「形式結婚」初期は画風を戻そうとする姿勢は見られるものの、結局物語同様支離滅裂な展開により物語同様、画風すら破綻していく。
その後他誌も含めて描かれたいくつかの作品を振り返ってみよう。「自分が好き」「ハレム参宮橋」「極悪貧乏人」、、きわめつけは「翔んだカップル21」だろう。
「翔んだカップル」には続編が存在する。「続・翔んだカップル」に「新・翔んだカップル」。この続編はどちらも必読。結ばれたカップルが大学生活を経て破綻、それぞれの道を歩んでいく物語を鬱々と描き切ったこの作品はまじで名作。これは「タッチ」における上杉達也と浅倉南が大学進学〜社会に出ていく中でいったんは結ばれるものの、それぞれ他に好きな相手ができて別れてさらにその新しい出会いすら破綻、そのまま傷ついた自分を自分で癒しつつ社会に出ていく、、なんてストーリーを想像してみてほしい。嫌でしょう?名作を冒涜するんじゃないと思うひとも多いだろう。だけどそのぶち壊し感がリアルでヒリヒリしてるんです、この続編は。
だから「翔んだカップル」の最終続編、ボクは期待していた。もう一度鬱々とした、あのマンガ界の山田太一的作風にカムバックするんじゃないか。いや、間違いない。きみお、ウェルカムバックじゃん!
そんなボクの期待は見事に裏切られた。あのタイトリングから賛否両論を巻き起こした伝説の自己啓発マンガ「SHOP自分」を上回る「これじゃない感」は連載第一回目でドーン!と描かれている。
まず田代勇介はどうしてたか。拳を壊してボクサー引退、その後サラリーマン生活へと思っていたが(実際前作ではその描写もある)そのへんはすっ飛ばされて夜間警備員職に従事。奥さんとはとっくに死別していて息子と2人暮らし。話は息子世代が中心だろうし、まあいいかと思いきや、すっかりフケた勇介やら圭ちゃん(なかなかキビちいフケっぷり)、さらにあの杉村さんも登場してのドタバタラブコメっぷりはオリジナル「翔んだカップル」を軽く超越している。
読者がいちばん驚いたのは勇介と杉村さんが再婚したことじゃないかなァ。えええええええでしょう。この時点でラブコメ史人気度上位ランクイン確実の山葉圭の立場は完全に意味不明。杉村さんは鎌倉在住なので田代・杉村一家は一緒に鎌倉隠居ライフを楽しむ流れに。
勇介の息子は圭ちゃんの娘と順当なはずが、親同士の再婚によりこれまた微妙な空気になってしまった杉村娘。「兄妹なんて嫌だよう」と泣きながら寝込みを襲う妹、、ってもはや泥沼展開確実、、と思いきや優柔不断さは親譲りのこの息子、「どっちも選べないよ!」と完全逃避を決め込み物語終了なんですよ。おそらく往年の「翔んだカップル」読者でこの続編を読んでるひとはあんまりいなかったと思うんですよね。マガジン系の講談社ではなく、なんせこの完結編はアクションで連載されてたし。
じゃあ柳沢ウォッチャーのボクはどう評価してるのか。正直連載当初はアチャー、だなと思いましたよ。だけどボクは思うにさっきも書いたように本人的には原点回帰だったんじゃないかなァと。それこそチャンピオンで連載してた「月とスッポン」とか「ミニぱと」あたりの、とりいちゃんのアシスタントを抜けて独り立ちした頃へのフィーリング的にはカムバック的な。そう思うと腑に落ちるんですよ。ポール・マッカートニーが時折思い出したように初期ロックンロールのみのカヴァーとかスタンダードソングをだらだら演奏するカヴァーアルバムってあるじゃないですか。ノリとしてはそういうことなんじゃないのって。
なので柳沢きみお初心者には「翔んだカップル21」はひじょうにハードルが高いし、「おうおう。読んでたぜェ。「翔んだカップル」続編じゃん。おおお、、読むぜェ」なんて軽々しく行動はして欲しくない。その前にきっちり80年代中に完結してんだよってことで「続〜」と「新〜」それぞれ読んで鬱展開に衝撃を受けたあとで読むように。というか80〜90年代のハードボイルド鬱作品群をひととおり体験したあとでも遅くないけどね。上級者向けだもんよ、「翔んだカップル21」はさ。YMOにおける「BGM」、大瀧詠一における「レッツ・オンド・アゲイン」、山下達郎における「ON THE STREET」シリーズ、、みたいな作品だってことにしときましょうよ。
おそらくこの時期って(2000年代初頭)「只野仁」シリーズがスマッシュヒットしたことで、作家的にはもうひと波きてたタイミングだったんですよ。それゆえに、漫画家としての初期衝動をもういちど取り戻すべく描いた作品、それが「翔んだカップル21」だったんじゃなかろか。とボクはこの作品に関しては自分にそう言い聞かせて無理矢理納得させてんのよ。ふう。