見出し画像

JUNKに描き続けた漫画家〜百億の男からしあわせの時間へ〜国友やすゆきを読め!

やぁ、無情。

とあえて書いてみたものの特に意味はないです。おとといNetflixで「楽園の夜」を鑑賞。夜中の3時過ぎから観始めたので終盤ラストシーンの頃には朝方なわけですよ。清々しさすら覚えるラストシーン。最高でしたね。続いて昨夜から再チャレンジ中の「ヴィンチェンツォ」。配信し始めに観て冒頭5分で諦めたこのドラマですが昨日何気に観たら面白い。重厚なマフィアものかと思わせてちょいちょいコメディタッチを入れ込みつつ、さりげにエロ目線も忘れずにと「ウケ」るための工夫を怠らない作り込み。そう、これはまるで国友やすゆきのマンガみたいじゃんと思ったんですよね。

国友やすゆき。2018年にお亡くなりになった偉大すぎる和製ソープオペラの描き手であり読者を喜ばせることに真摯すぎる作品への姿勢は多作家なのもあるのか誰も注目してないのか知らないだけかのかわかりませんがクールジャパン視点で評価はされにくい漫画家なんですよね。ボクは氏の作品は嫌いじゃない、というか好きなので一度語ってみたかったんですよ。


だけど先日予告した国友やすゆきテキストをアップするにはしばらく時間が必要だと思ってました。勘違いというかボクが無知なのか。氏の活動を知ってるつもりでなんにも理解してなかった。スピリッツ初登場は「百億の男」だとずーっと思い込んでいたし。ちなみに連載開始が93年。その前にシリーズ連載で「座・スターダスト」(演劇もの)やってんですよ。おそらく調べればもっと出てくる。江口寿史さんの絵に影響され絵柄を変えていったのが連載中だった「どはずれ新撰組」(剣道もの)。実際連載当初と大きく変わってる。あだち充が「ナイン」で絵柄をどんどん柔らかく現在のものに近い風にバージョン・アップしていきますが(特に2回目以降)そのスタンス以上に変えているし初期と後期じゃ絵柄が別人である。続く「優と勇」では最初からポップに攻めていき、「仕事の依頼が激増した」(少年サンデー「オレのまんが道」国友やすゆきインタビューより/掲載88年)とのこと。そしてアクションで「JUNK BOY」の連載が始まる。

80年代中盤、国友やすゆきはいきなり脚光を浴びた。「JUNK BOY」、「A.D物語」に「企画アリ」。ビッグコミック系でも連載を持ち、いわゆる業界モノを得意とする作家だなと当時高校生だったボクは思ったものだ。ちなみに当時のボクの目には江川達也(「BE FREE!」)、高田裕三(「スポーションKIDS」のち「3×3EYES」でブレイク)あたりと同カテゴリーに見えた。なんとなくですけど。正直あんまり積極的に読もうとは思わなかったのだ。そういうひと、けっこういたんじゃないですかね?

初めてまともに読んだのはスピリッツでの「百億の男」。この時点でトレンディ路線は影を潜め復讐ものという体裁をとりながら「裏・島耕作」とも言える愛欲にまみれる主人公の姿を余すことなく描いたこの作品はドラマ化もされヒットした。それでも「いきなり百億」の借金を背負い職を失い彼女も失った主人公(ボクは昨年ネトフリで「梨奏院クラス」見て「百億」思い出しましたね)って設定は荒唐無稽、だけどその無茶なイントロダクションがあったからこそヒットしたのは誰の目にも明らか。

だけど国友の本領はそこではない。「百億の男」はあくまできっかけにすぎない。おそらく最大のヒット作にしてロングラン。それが「幸せの時間」だ。

世界中の、いや宇宙レベルでの不幸のすべてを背負いこんだある家族の「小市民的生活」崩壊の物語にして続編もふくめ一大エロス・サーガ。こんな作品は他にはありませんよ。ダブル不倫に娘は家出して知り合いの中年男に押し倒されるし。息子は息子でバンドやってる少女とデキちゃうけど続編では主人公として大活躍。父親に負けずおとらずのクズっぷりを全開。続編も含めて一気読みしないと「幸せの時間」は理解できない。

まず「幸せの時間」が凄いのは中年男子の妄想と欲望をマンガで余すことなく描き切ってることだ(笑)そして続編も然り。柳沢きみおが幾度となく同じジャンルを描いているが妻の妹と一線を越えることはなかった。自分の娘が主人公の同僚に襲われるシチュエイションまではさすがに踏み込んでいない。ところが国友はそのハードルを飛び越えた(笑)

この「幸せの時間」以降、離婚したての夫婦が新しい恋を求めて本宮ひろ志「俺の空」ばりに彷徨う「バツイチ〜愛を探して」や浮気したあと落雷にあってタイムスリップ、気がつけば過去(笑)という力任せの展開の「時男〜愛は時空を超えて」、ゴラクに連載されていた「ウタ★マロ〜愛の旅人〜」は小池一夫/永井豪コンビの名作「花平バズーガ」並のラブコメならぬエロコメ。まさかの自分の股間が言葉を持つなんて設定を描いてしまうのが素晴らし過ぎじゃないですか。その直前までスペリオールで「総理の椅子」なる政治ものを描いてる作家とは思えない幅広さ。ああ、モーニングでは「コッコちゃん」なる女子アナものもありました。柳沢きみおも女子アナもの「100%」アクションで連載してましたね。多作ぶりも含めて共通項ありますよ、この2人は。「カネが泣いている」(これもモーニング)って消費者金融ものはヘヴィだったなァ。

「しあわせ〜」以前の多ジャンル対応ぶりはなかなか凄い。古舘伊知郎と組んだプロレスもの「スープレックス山田くん」やSFもあればスポーツものとほぼオールジャンル対応。だけど昔の漫画家って皆そうだったんですよね。

遺作「愛にチェックイン」は国友版「HOTEL」(石ノ森章太郎)ともあえて強引に言ってしまうけど、ホテルマンを主人公にした軽快なタッチのラブコメ調が懐かしい佳作だった。国友の偉大な点はその絵柄が「しあわせの時間」以降、ほぼ変わることなく作品を量産し続けたところだし、和製ソープオペラ作家としてきっちりニーズを作品として形にし続けたところにあると思うんです。その点は柳沢きみお、村生ミオも同様。今はなき昼メロドラマの愛欲でドロドロの展開にほどよくサスペンスやホラーのエッセンスを加え読み手を飽きさせない。長く営業している町の中華料理屋さんにも通じる、まさに匠の技ともいうか。飽きない味ってあるじゃないですか。全然高価な店でもなくて、一見なんでもない餃子や炒飯、ラーメンが妙に愛おしい。彼らってそんな存在な気がするんですよね。

最後にボクと国友やすゆき作品邂逅の話を書いておきたい。あれはまだボクがビッグコミックスピリッツのヘヴィユーザーだった頃の話。

1993年初夏。同じ大学で同じサークルで一緒にバンドを演っていた村上は日々バイトに明け暮れていた。僕らはとっくに卒業を諦めていた。いわゆる5回生。京都の老舗ライブハウス「拾得」近くのピザ屋で宅配を主に担当してたんだと思う。彼は深夜帰宅する際に必ずマンガ雑誌を購入し、ファミマの弁当やピザ屋で貰った賄いを食べながら眠りにつくのをルーティーンにしていた。深夜時々ボクも右京区からチャリで約15分の村上宅まで丸太町通りを爆走、円町の吉野家、からふね屋のソフトクリーム、今はなき和歌山ラーメンの名店寅ちゃん、千本丸太町のめん馬鹿一代(焦がしネギラーメンが有名な店)のYOU惑に耐えイタリアン賄いを美味しくいただいた。ピザ屋の宅配用バイクで真夜中琵琶湖まで行ったなァ。

当時の村上のマンガ・ルーティーンは以下だったと記憶している。月曜朝にはスピリッツ(ジャンプは買わない)、水曜朝にはマガジン、木曜のモーニング、サンデーは立ち読みで済ませ、金曜日のヤングサンデー(当時は隔週)は「趣味が合わないんだ」とスルー、小山ゆうの「おーい!龍馬」以外は厳しかったらしい。そして村上は「火曜日になんにも読むものがないんだよね」と嘆いていた。「カレーヌードルとポテチがあれば3日は生きていけますよね」と豪語していた後輩の金子も同じこと言ってたな。まあ当時のボンクラ大学生の大半はそんなものだ。マガジンでは編集者キバヤシが活躍する学研のムー的ノリのミステリー「MMR」、日本中の童貞の妄想を形にした「BOYS BE・・」が人気を博していた時期。そんな村上とマンガという点で唯一接点があったのがスピリッツだった。

村上もボクも長らく彼女はいなかった。モテる、という生活とは程遠い日常。これはちゃんと書いておくけどバンドを演ってればモテるなんてのは幻想に過ぎない。ちなみに当時関西で人気があったのは餃子大王ってバンド(ヴォーカルが教員やりながらバンド活動してたのが売り)。数年経過して、ボクと村上と同じ大学で音楽サークル違いでNOISE FACTORYなるバンドがソニーからメジャーデビューした(インディー盤のジャケは天下一品店舗前で撮影)けど、ここのドラムとボクはフランス語1の授業が一緒だったというどうでもいいエピソード。彼もボクも留年を重ねており本来1回生で取得しなければいけない単位をいつまで経っても取得できずにいたのだった(ゆえにフランス語1)。いやァ、ほんとよく卒業できたよなァ、俺(笑)。

くるりがメジャーデビューし、京都のバンドが注目され始めるのが2000年代初頭のこと。京都といえばネオアコバンドのデボネアやb-flowerも活動していたが、どっちかといえばTheピーズの「クズになってGO」的ライフスタイルを送っていたボクや村上にしてみればお洒落な京都カルチャーライフはかなり縁遠い雰囲気だったのだ。なんたって愛聴盤は真心ブラザーズ(当時はまだTHE真心ブラザーズ)の倉持陽一ソロ「倉持の魂」(ジャケが山田芳裕)だったし。ただ京都METROとか行きましたよ。野宮真貴がファーのゴージャスなコートを羽織ってMETROに君臨した瞬間は今でも覚えている。初めて小西康陽さんのDJを体験したのもココ。マーチンのローファーを履いて精一杯気取って出かけたことだけは覚えている。

ある日村上が「なんかさあ、このマンガ、すごく嫌だ」と電話をかけてきた。それが国友やすゆきによる「百億の男」だ。80年代中盤に「JUNK BOY」、「A.D物語」とスマッシュヒットを青年誌で連発していた国友やすゆきによるこのマンガはそれまでのスタイリッシュな画風とは一線を画す泥臭い復讐エロス・サスペンス。まあね、普通はそう思うよね、嫌だろうさ(笑)だって冒頭から百億円の借金だもの。不幸が不幸を呼ぶ目が離せないストーリー展開。「幸せの時間」もそうだったけどそれでも読んじゃうんですよね。「新・幸せの時間」も読み進めていくうちにまさかの前作とのリンクに驚かされその不幸のどん底っぷりは目もあてられない(まあそれでも読んじゃうんだけど)。

そもそも「ドラえもん」がなにゆえ世代を越え多くの読者を獲得し続けていられるのか。のび太という普遍的なダメ小学生の「あんなことこんなことできたらいいな」という壮大な妄想をネコ型ロボットがひみつ道具で実現しちゃうからじゃないですか。それこそマンガなんですよ。なんでもあり。ドラえもんに熱中しコロコロコミックを買い、少年ジャンプ400万部達成に貢献しながら600万部達成を見届けつつスピリッツやマガジン、モーニングとマンガを買い続けた世代はもはや立派な中年である。トキワ荘世代以後、そんな妄想と欲望をきっちり受け止めてニーズに応え続けた作家はもっと注目されるべきだしリスペクトを受けるべきなんです。

早すぎた「全裸監督」、青年誌でAV業界を舞台にした最初のヒット作品みやすのんき「冒険してもいい頃」、男の妄想に絞ったラブコメという体裁のエロコメ江川達也の「東京大学物語」とかね。そして柳沢きみお、そのアシスタント筋にあたる村生ミオの師弟コンビの膨大な作品群。ちなみに村生の初期スマッシュヒット作「結婚ゲーム」のあるエピソードに大滝詠一楽曲が登場することはおそらく誰も知らないはずだ(笑)このひとセリフがいいんだ。「わたし、アイミティー」「じゃ、バイビー」とかさ(笑)田舎に住んでる頃に読んでて在東京少年少女は全員そういう喋り方なのかと思いましたね(冗談抜きで)。


そして国友やすゆきですよね。国友の作品群は家庭持ちで通勤2時間、遊ぶ金もろくにない中年男性の下半身を見事に鷲掴んだ。ボクが思うに犯罪防止にも役に立ったと思いますよ。

ボクは思う。国友やすゆき亡き後、中年男子の妄想と欲望を具現化できる漫画家がいなくなってしまったと。今、週刊ポストで連載されているのはとみさわ千夏の「ラッキーな瞬間」。路線的には国友の遺作となった「愛にチェックイン」から続くライトタッチのエロコメだし人選的には間違っていないがコメディのひとですからね。「てやんでぃBaby」(MR.マガジン)とかちょいちょいエロを絡めてくるけど多少下品な表現描いてもどっか品があるんですよ、このひとは。秋本治のアシスタント出身ってことは大きいんでしょうね、そのへん。

国友やすゆきは踏み込んじゃいますからね。「オレのまんが道」インタビューを読むとマンガ家として軌道に乗るのにとにかく時間がかかっている。ゆえにちょっとした雑誌のカットから企画ものまで何でもこなさなければいけない時期が長かったと語っている。ですよね、「激メカライダー陽太」(構図がゲームセンターあらしっぽい)とか「がんばれ!ガンバ」(野球マンガで魔球もの)とか。たしかコレは双葉社系の「100てんコミック」だった気がしますが間違ってたらごめんなさい。でもこの不遇な時期に培われた読者のニーズにとことん応えようっていうスタンス、サービス精神がのちの多作家、国友やすゆきの基盤になったと思うんです。ゆえに「幸せの時間」を始めとする和製ソープオペラの傑作群は生まれたんだと。


国友やすゆきが描いた膨大な和製ソープオペラの数々はこのまま歴史の中に埋もれてしまうのだろうか。誰が後を継げるんだろうか。ちなみにボクはひとりだけ心当たりがある。原秀則だ。企画アリなんですけどね。


そう、描いて欲しいのは令和版「冬物語」。大ヒットすると思うんですけどね。40代後半、50なりたてぐらいの世代がターゲット。主人公のキャラ設定はあのキング・オブ・優柔不断のアレ。てゆうか主人公は森川光そのまんま。物語はそうだな、、コロナでリストラにあい、家庭も崩壊した森川が職安で同世代の女性に巡り会う。その女性に会いたいがために職安に通う主人公。だけどその女性には、、ってまんまコレ「冬物語」、それでよし!当時はフラれてしまった雨宮しおりと焼けボックリに火がつくのもよし、倉橋奈緒子と結婚してる設定でもよし。泥沼設定の萌芽はいくつも用意可能じゃないですか。

何年か前、「東京ラブストーリー」の25年後?みたいな続編出てましたけど、ボクはアレは読んだ瞬間失敗作だなと思ったんですよね。読者のニーズ、つまり妄想を具現化できてない。25年後、順調にフケた主人公の姿を(悪い意味で)克明に描いてしまった点で失敗。仕事人国友やすゆきなら絶対にやりませんよ。
あのフケてしまった赤名リカを誰が読みたいか。ショボくれた永尾完治ってのはひそかにアリだなと思いましたけどあれだけのヒット作、やるなら女性誌じゃなくてあえてのスピリッツ。もしくはビッグコミック本誌だったと思いますよ。まあ初回読み切りだけはスピリッツ掲載でしたけど。

ボクは思う。やっぱ国友やすゆき亡き後、中年男子の妄想と欲望を具現化できる漫画家は原秀則なんじゃないかと。描いてくれないかなァ、週刊ポストで。令和版「冬物語」。大ヒットすると思うんですけどね。読みたくない?かつては人生の岐路つまり大学進学ってターニングポイントで悩みに悩みまくった主人公たちが50も過ぎて人生最後の最後に悩みまくる話。絶対にあたると思うんだけどなァ。

と、ここまで書いてなんだかんだでむちゃくちゃ長文になってしまったことに気がついた。でもさ、ここまで書いてもボクは国友やすゆきの魅力について100%語れたとはちっとも思えない。だから読んでほしい。初心者におすすめは「百億の男」。次に「幸せの時間」で間違っても「カネが泣いている」とか「コッコちゃん」とか「ウタ★マロ」から読まないように(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?