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だんがいぜっぺき−昭和末期・地方・少年

思い出は編集されているけれど

お祝い事の記憶があまりない。昔の写真を見て色々思い出すこともあるが、そういうときに限って、横にいる母親から間違いを指摘される。指摘されると、ああそうだったと思い直す。ときに指摘されても「本当にそうだったっけ?」と釈然としないこともあるが、自分の記憶に自信があるわけではないので、もめるのも嫌だし、母の記憶を「正史」として話を収める。

だから、これから書かれたこともそうだ。「正史」か「偽史」か分からない。多分、自然と記憶は編集されている。けれども、強く刻印された記憶であることに間違いはない。

幼稚園・冬・パーティー

幼稚園の卒園を間近に控えた頃。あたしは友人の誕生日パーティーに誘われた。彼の家のリビングは広く、テーブルの上にはオードブルが並んでいた。友達の家でパーティーなんて初めての経験だ。あたしはケーキやチキンをいただき、お呼ばれした友人たちと色んなゲームをして遊び、楽しく過ごした。

子どもは一所にいることができない。そのうち誰が言い出したわけではないが「外で遊ぼう!」ということになった。彼の家の近くには川があった。あたしたちは川に向かった。土手に向かうときの興奮をわずかに覚えている。
当時あたしは幼稚園だ。友人の兄など小学生のお兄ちゃんもいたが、幼い子どもたちだけで土手にいたのだ。そんなことはほとんどない。ただそれだけで面白い。自転車に乗れなかったあたしは、足軽みたいに他の子の自転車を追いかけながら走り、川についた頃には汗だくになっていた。
土手はコンクリートで舗装されている。その割れた隙間に溜まった土から、雑草に混じってセイヨウタンポポが生えている。子どもたちは思い思いに散らばった。何人かでかけっこをする子。一人遊びをする子。わたしは生えている植物を引っこ抜いていた。深い意味はない。抜いて集めて川に放り投げた。流される雑草を眺めていた。
わたしはふと思い立った。セイヨウタンポポを抜き、川に近づいた。根っこのドロを洗い流して根のようすを詳しく見たくなったのだ。手を伸ばし水面にタンポポの根をつけた。泥が、流れていく。その様子をぼーっと見ていたら、突然目の前が真っ暗になった。

水流・叫び声・眠気

次の記憶は土手を走る友人たちの姿だ。私は友人たちと同じ速さで横移動する。彼らは何かを叫んでいた。おーい! とかそんなやつだ。わたしは川に飲まれて流されている。
不思議と恐怖はなくて、何とかなりそうな感じがする。どこかに手か足が引っかかれば流れは止まるんやない? 土手に手を伸ばしてみた。届かない。水面から土手のヘリは高い。私の手は届かない。川底に大きな石が転がっている。そこにどうにか足を引っかければ流されなくてすむっちゃない? そう思い足を伸ばすが、川の流れは強いし、角が取れた石に足がかからない。
遠くから友人の声が聞こえる。口に水は入る。いやだけどきたない水を沢山飲む。そのうち疲れてきた。ねむい。それが一番近い感覚だ。だからあたしはねた。

目を開けると誰かに抱かれている。さっき食べたバースディケーキを吐く。口とか服が緑色の水草のにおいがする。目の前が暗くなる。

ICU・ホームシック・4月

気づくとカプセルみたいなものに囲まれたベッドにいる。横を向くと、真っ赤な肌の男の子がいた。やけどやか? ずっと向こうにガラスの窓があっておばあちゃんたちがいる。ここは家じゃないと? そう思いながら目を閉じた。

それから数日経って何が起きたか分かってきた。わたしは溺死しそうなところを釣り人に助けられて救急車で運ばれたのだった。だいぶ流されて酸素を長く取り込んでいないため集中治療室行きとなった。親は「脳障害の可能性がある。覚悟してほしい」と医者に説明を受けた。
集中治療室から小児病棟に移ったあたしは、毎日帰りたい帰りたいと泣き叫び同部屋の子供たちに疎まれた。見るに見かねた看護婦さんに散歩に連れて出してもらい、歩きながら慰めてもらった。
10日程度で無事に退院した。障害は残らなかった。4月、地元の小学校に入学した。

断崖・徴・再会

小学生になりしばらくしたある日。思い出したことがあった。カプセルに入っていたときに見た夢だ。
暗い荒れ地に一人であたしが立っていた。(多分あれはあたしだ)目の前に大きな断崖があった。陽のない荒れ地、断崖、あたし。断崖の向こう側とこちら側の距離は遠い。けれども何とか工夫をすれば渡れるという確信をあたしは持っていた。行くか行かないか悩んでいたら目が覚めた……。

たとえばそれを臨死体験と名付けることはできそうだが、見たのは助かってから数日後のはずだから、そう言い切るのは違う気がする。
今でも夢の意味を考えるときがある。色々な仮説があるが、その一つが「サイン」だ。世の中には自分の力では解決できないことが存在する。それに出遭うと、巡り合わせによっては命を落とすことがある。そういう「現実」と「夢見がち」な幼年期の間に引かれた大きな徴。それが断崖として現れたのかもしれない。

1年くらい前、母が運転する車でその川の横を通った。川を横目に見た母は顔をしかめて「早く行こう……」とつぶやいた。あたしは川をよく見てみた。とても小さな川だ。だが流れは強そうだ。流されたら助からないと思う。

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