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かじ‐昭和末期・地方・少年

昭和後期・バブル・野蛮

昭和の終わり、少年だった自分は地方都市で育ち、そこは20万程度の人がいて、平野が広がっていた。

バブルのときってサラリーマンもお金をたくさん持っていたんですよね、みんな元気で海外に行きまくっていたんでしょ

平成生まれにそう言われたことがある。田舎の小学生は、バブル期の都会の大人の懐事情を知らない。今に比べれば、地方都市も含めて日本全体が豊かなのは間違いないだろう。だからといって、金満精神丸出しの大人は周りにいなかったし、自分が豊かさを享受した感覚はない。

しかし、はっきり言えることがある。それは、まだ昭和末期の地方には土の臭いがする野蛮さが漂っていたということだ。みんな大雑把でおおらかで人をたやすく傷つける。友達も親も見知らぬ街の人も大なり小なりそうだった。自分もしかり、だ。

ウェルダン・金塊・バッファローマン

実家の近くに○○というエリアがあった。○○は円形の広場が中央にあり、それを囲むように文具屋やおもちゃ屋・靴屋などが並んでいた。ある日○○で火が起きた。夜中、何台もの消防車のサイレンが○○から離れたところにある我が家にも聞こえた。

次の日の朝。登校途中に○○の横を通った。ひどい有様だった。エリア全体がウェルダン。鼻をつく炭と溶けた化学物質が混じり合った臭い。物見遊山の野次馬。不幸中の幸いは、○○は店舗ばかりで住居利用の人がいなかったため、怪我人や死人が出なかったことだ。

その日の下校途中。(もしかしたら次の日だったかも知れない。)○○を通ると、子ども、つまり友人たちが○○に群がっていた。物見遊山ではない。彼らには目的があった。おもちゃ屋だ。難を逃れた玩具、特にキン消しを探していたのだ。ゴールドラッシュ!
あたしが来たときは、時既に遅しだった。目ぼしいものは何もなかった。残るのは炭のみ。当時6年生のマー坊君(仮)は今でいうオタクだが、彼がほとんどのキン消しをゲットしていた。記憶が薄れているが、鎔鉱炉の中のT-1000みたいなキン消しを持っていた気がする。その光景を写真におさめたら、そのまま「慣用句辞典」の「火事場泥棒」の説明欄に貼り付けて使えるだろう。

今振り返れば野蛮な行為だ。私だって、たまたま乗り遅れただけであって、早くに気づいていたら、同じ行動を取っていたかもしれない。今でも実家の奥底に、黒ずみのついたバッファローマンが眠っていたかも知れない。みんな貧しいわけではない。田舎にだって豊かだった。しかしみんな短絡的で洗練されてなかったのだ。

後日談

後で聞いたことだが、放火が火災の原因で、どうやら土地の利権だとか地上げだとかが犯行理由らしい。真相は分からない。犯人が捕まっていないからだ。更地になった○○は、数年後再開発されて商業スペースとして生まれ変わった。しかしどの店舗も経営がうまく行かず、さらに再開発され、今ではイベントスペース(第三セクター)になっている。

さらに後日談。○○には、火災に巻き込まれなかったお店が一軒あった。後日その店は火事になり全焼した。原因は同じく放火、らしい。店舗兼住居だった。同じくイベントスペースの一角となっている。

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