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フラットアースがわかったそのあとで【平面説の路地裏から】

とはいえフラットアースがわかったそのあとで、果たしていったいどうしたらいいのか?僕らがあれほど信頼していた科学はその根本を間違えていたし、なんならそれは意図的な嘘であったわけであるし、でもかといってこの一般社会生活を放り棄ててしまうわけにもいかない。もちろん国際社会やら民主主義やら国家制度はただの茶番であったわけだが、それでも僕もあなたも、おそらくその制度内に引き続きとどまって、働いてお金を稼いだりご飯を食べたり他の色んなことをして生きて暮らしていこうとするとは思う。まあもちろんそうではない人もいるかもしれないけれども、なかなかそれもできることではないように僕には思えはする。水族館で産まれ育った1匹のイワシが、「ここは海ではない」と知ったときにどうすればよいかなど、誰にもわからない。

僕がフラットアースを最初に理解したのは2020年の5月12日である。だいたいこのあたりの日付だったかなというわけではない。はっきりとこの日である。その日の早朝(時間までは記憶してないけど、まあだいたい6時台であったとは思う、けど定かではない)。この日付をちゃんと記憶できている理由は、意図して残しておこうとしたからである。この日を境に僕という人間はまたひとつ明らかに変化せざるを得ないだろう、ということが予見できたが故に、ちゃんとその日に目印を打っておきたかったのである。この先、あれから1年あれから2年と、数えることができる。僕はわりとそういうのを大事にするほうで、今自分がどこにいるのかをそれによってある程度知ることができて、いろいろと都合良く、便利なので好きだ。しかし問題はやはり、水族館ネイティブのイワシの1匹としてどう暮らすかである。今は2023年の9月下旬で、あれから3年と4ヶ月が過ぎている。

僕がツイッターでフラットアースのコミュニティに参加し始めたのは、2020年の8月初頭だったと思うけれども、そこで出会った人たちの中には色んな人たちがいる。普段どんなふうに暮らしているのかまではもちろんほとんどわからないけれども、別に全員が全員同じようななんらかの信条でもって生活しているわけではない。ないと思う。ないように少なくとも僕には見受けられる。おそらく皆それぞれのやり方で、それぞれのスタンスで、それぞれのスピードで、フラットアース後の生き方を手探りで、自分なりに打ち立てようとしてきたし、し続けていると思う。僕もそうだ。あれは大変な揺さぶりだった。揺さぶられて打ちのめされて絶望させられた。もちろん人によっては「ふーん、なるほどね、あっそう」という具合に、特に何も感じなかった人もいると思う。ともあれ僕は僕なりのやり方で、僕なりのそれと対峙してきたと思うし、なんとかうまくいったのではないかと今のところ思ってはいる。そしてそれが板についてきて、ようやくひと息つけるなと感じたのは、本当に最近のことだ。3年を越えられたことが大きかったかもしれない。

だから最近になってフラットアースを理解した人も、大いに揺さぶられて打ちのめされて絶望してもらって全然いい。でも僕は先輩として(3年先を行ってたらこれはもう先輩ヅラしてさすがに良いであろう、焼きそばパン買って来てくれたまえ)、それは誰でも通る道だから心配しなくていいよと言いたい。本稿はそのためだけに書いた。誰でも通る道なら良いのか?と訊かれると確かに難しい哲学的諸問題ではあるが、それでも慰めにはなるだろう。心配しなくていい。誰でも通る道だ。そしておそらくは幾分か長く、とても曲がりくねった道だ。今のところ持っている能力や才能や知恵を全部注ぎ込んで構わない。それに値する道だ。さあ焼きそばパンを買って来て食べよう。

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