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2023年の終わりに寄せて【平面説の路地裏から】

何度も言うようだが、平面説を理解してから僕は三年が経ってしまった。石の上にも三年と言うが、この年末はその三年を越えて初めての年越しを迎えるので、この一年を振り返ろうとしたとき、いささかこれまでとは違う感触がある。平面説はすっかり僕の中に根を下ろしてしまった。たとえば本屋さんで宇宙地球科学のコーナーをふいに通りがかると、そこがオカルトコーナーのように映ることが増えた。実際そうなので別に良いといえば良いのだが、以前なら「なんて社会だよまったく」というやや苦い憤りのような味がしたものが、もうそんなことはほとんどなくなってしまった。僕はすっかり馴染んでしまったのだ。何かを得たかわりに何かを失ってしまったのだ。おそらくすべての人生がそうであるように、これからもそれを繰り返してゆくだろうが、悲しくはない。もう最初の三年のような激しい混乱と困惑に曝されなくて済む。あの苛烈な嵐の中を自分は自分なりに泳ぎきれたのだという静かな安堵感がある。

平面説を理解した2020年の5月の段階では僕はROM専で、しかし「ここにも支持者が1人います!」ということをちゃんと手を挙げて示して応えていたい、という気持ちが出てきてTwitterに参加したのがその8月だったが、ひとまずその目的は達成されたように思う。この3年でムーヴメントにもいろいろあったものの、基本的に支持者は増えていると思うし、SNSやYouTubeで目につく機会もうんと増えたはずである。少なくとも「この現代日本には地球平面説を真剣に唱える人が一定数いる」ということが知られる機会は増えたのではないか。僕がどこまでそれに貢献できたかということでなく、最初の動機のとおり、その渦の中のひとりであれて良かったと思う。

もう少し昔話を続けたい。僕はTwitterを主な活動場所にしているが、かつて平面説の支持を表明していた人たちの中には、もう今では参加を辞めてしまった人たちもいる。僕は彼らを忘れていない。今はどうしてるんだろうとふと思うこともある。2020年以降、実社会の暮らしではコロナ茶番がどんどん進行してゆく中で平面説をSNSで表明し続けていくというわけわからん日常の中で、彼らの存在がどれほど僕を励ましてくれたか知れない。そして僕もまた彼らにとってそうであったと思いたい。もちろん今も活動している人たちに対しても同じ気持ちだけれども、それでも特に最初期は混乱の度合いも大きかったので、特に当時のそれが心に残っている。あのころ僕らはお互いに励まし合うように「いいね」を押していたと思う。コロナ茶番で社会と人が狂っていく(見かけ上だ、それらはもともと狂っていたことがついに明らかになった)中で、僕らは自らの宇宙観をひっくり返していたのだ。なんてこった。わけわからん。よくぞ生き延びたものである。いぇーい。

しかしそんな時期もいつのまにか過ぎてしまい、今ではそんな暮らしにすっかり慣れっこになった。周囲の人たちはコロナ茶番にはなぁーんにも気づかず、本屋の宇宙地球科学の書棚はオカルトコーナーである。そして2023年が暮れてゆく。これから先、社会と僕自身にいったい何が起こるのか知れないけれども、怖くはない。何度も言うようだが、マジにキツかったあの時期を僕は乗り越えたのだ。あんなのなんてこたなかったさというようなフリは僕はしない。それはマジにキツかったのだ。次にもっとキツいことがあっても、きっと乗り越えられるに違いない。それにそもそも「恐怖を与えること」は、社会を運営するときのいつもの手口じゃないか。もう僕はそれを知っている。まったく笑える。さあ、良い2024年でありますように。


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