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水平線のカーブについて(あるいは科学の名の下に一刻も早く廃業すべき"地球の丸さがわかる岬")

現在の科学が言うところによれば、球体地球のカーブは飛行機の高度からでは見えない。あるいは飛行機の高度からならわずかにカーブが見えるという論文もあるという話もある。が、いずれにせよ、飛行機の高度から見たときにようやく見えるか見えないかというレベルの話であることは間違いなく、つまり我々は球体地球に比べてあまりにも小さいがゆえに、その"輪郭"であるべき水平線のカーブは常に直線として認識されるはずであるというのが現在の科学の"教え"から導かれる結論である。ではそうであるならば日本各地に点在している「地球の丸みが見える岬」などの観光地については一体どのように考えれば良いであろう。それらは現代の最強宗教である科学の名の下に、一刻も早く廃業されるべきだろうか。

まず、地球の丸みが見えると謳う場所での水平線は実際に左右にカーブしている。なんなら地球の丸みが見えると謳う場所でなくとも、どこでも水平線はカーブする。ただし、目に水平線が映る幅がある程度大きくないといけない。この閾値がどこにあるのか僕はまだうまく見定められてはいないけれども、その幅が小さいと水平線は直線で、その幅が大きいとカーブする。これは網膜のスクリーン上に、より長い距離を映し出さなくてはならないために歪むからであろうが、「地球の丸さが見える岬」のような場所は海に突き出ているので、美しい水平線がどこまでも広がっていて、その幅をスクリーン内に収めようとするために水平線はカーブする。

うんと昔、僕がまだ地球が平面だと知らなかった頃、船の上からこの水平線のカーブを初めて見たときは「ああこれがちきうのまるさかあ」と鮮烈に思ったこともあるし、これは去年のことだったか、どこかの旅先で地元の人と喋った時、「私の通っていた小学校は高台にあってね、そこから海がよく見えたもんさ、それが丸くて、ああ地球は丸いんだなあ、って思ったよ」というような話を有り難く聴かせてもらったこともあるし、これは3年ほど前だったか、和歌山の潮岬の”地球の丸さが見えるタワー”の入り口のところで知らないおばちゃんが、「あれ?タワーに登らなくてももうすでに丸くない?ねぇ丸くない?」とその友達のおばちゃんにしつこく言ってるのを聞いた。僕は「そうだよおばちゃん、おばちゃんが完全に正しい、タワーになんか登らなくてもすでに水平線は曲がってる、僕も今それを見てますよ」と心の中でひっそりと思いながら缶コーヒーを啜った懐かしい思い出もある。僕が言いたいのはこういうことだ。つまりフラットアースなんか知ってようが知っていまいが、目やレンズや網膜のことやらを考慮していようがしていまいが、実に多くの人が水平線のカーブを見ているということだ。「地球の丸みがわかる岬」などの観光地のことを思えば尚更である。多くの人がその観察を認めるはずだ。飛行機に乗る必要など無い。低い高度でも、条件によって水平線はカーブする。つまり科学学界の見解は、一般的に言って間違いなのである。それは観察を重ねた見解ではなく、純粋に理論上の結末である。いつものことながら実にバカバカしい。

ではこの齟齬を一般社会通念上の公式筋ではどのように処理しているかというと、「錯覚」ということになっている場合が多い。地球は丸いから水平線も丸いものだと思い込んでいるがために錯覚を起こしているのだと。はははは。全く呑気である。肉眼ではカーブして見える水平線を試しにスマホのカメラで写すとカーブしないことに気づくこともあまり無い。前に「地球の丸さがわかる岬」を紹介したブログ記事を見たことがあるが、そこにアップされていた写真のキャプションには「写真だとわかりにくいけど、実際はもっと曲がっている」とあった。その写真の水平線は(僕が見る限りでは)真っ直ぐであった。はははは。あるいは水平線が真っ直ぐに見えるところで顎だけを上にあげていって、視界の一番下、目玉の限界あたりに水平線を映すと、今度は逆向きにカーブするのがわかる。これはなかなかおもしろいので、やったことがなければ是非やってみてほしい。水平線のデザインは実に観察者に依存している。

もしも水平線が現行科学理論上の球状地面の輪郭だとしたなら左右にカーブして見えることは無いが、実際にはカーブしたりしなかったりする。そしてその輪郭線の位置は物理的なもののはずなので、空間内の一箇所に固定されているが、実際には観察者が高度を上げ下げするのに追従し、その球状地面は膨らんだり萎んだりしているように見える。これはフラットアース界隈では”水平線のせり上がり”と呼ばれて大変に親しまれている現象だが、少なくとも本稿ではそんなことはどうでもいい。本稿で大事なのは、現代の最強の宗教である科学の名の下において「地球が丸く見える岬」は廃業しなくてはならないのか?あるいは少なくともたとえば「地球が丸く見える錯覚に陥る岬」とかに名称や謳い文句を変更しなくてはならないのか?という問題である。だがなんの問題もない。そう、なんの問題もないのだ。何も変更する必要は無い。事実として水平線は観察者にとって丸く見えるからだ。これを錯覚と言って間違えているのは科学であって、これを球だと言って間違えているのも科学である。もう全方位的に科学はみっともなく間違えているのだ。その点でもこの「地球の丸さがわかる岬」は実に偉大な存在である。それは海にひとり突出し、水平線を広くあらしめ、また孤独にそれを享受しながら美しく屹立しつつ、観察することへの要求と科学の間違いを実存たらしめている。しかしそれはほとんど誰にも気づかれることなく、今この瞬間も海風に吹かれ続けている。その風を頬に感じる。海鳥が翔ぶ。地球の丸さがわかる岬へ、ようこそ。

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